蒼天の花
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城の真後ろに広がる庭園の隅に、ひっそりと佇むガラス張りの温室があった。
侵入してから走り続けていたレオニードは、真っ直ぐに温室へ躍り込む。
身を滑り込ませるように中へ入れると、素早く扉を閉める。
ようやく動きを止めた足が鼓動に合わせ、ずくん、ずくんと全身を突き上げ、熱を駆け巡らせる。
走っている時は気づかなかったが、止まると胸が詰まって息苦しい。
大きく深呼吸をして息を整えると、レオニードは室内を見渡した。
外はまだ草木から芽吹く物は見当たらなかったが、室内では柔らかな緑の葉がのびのびと腕を広げ、瑞々しい花や蕾が散らばっていた。
その中の一角に、夏の蒼天を思わせるような色の花々を見つけると、レオニードは足早に花へ近づいた。
(これが毒の材料になっている花か……)
浪司から聞かされた特徴の、細長い花弁を五枚つけた青い花。
もっとおどろおどろしい物を想像していただけに、その美しさが際立って見える。
(……枯らしてしまうのは可哀相だが、仕方ない)
レオニードは腰に携帯していた小さな袋から、漆黒の液体が入った小瓶を取り出す。
そして蓋を開けると、青い花に向かってまき散らした。
液体が花びらを濡らし、その先端に滴を作り、ポタポタと土壌へと落ちていく。
ジュウゥゥゥという音とともに白い煙が立ち昇り、地を這うようにして辺りへ広がった。
瞬く間に花はしおれ、美しい青が黒ずんでいく。
他の植物たちも煙を浴びた途端、同じように生気を失っていく。
温室をジワジワと侵食していく死の気配に、レオニードは思わず顔をしかめた。
(これが、みなもや浪司が持っている力なのか)
バルディグに毒を作らせないという目的のために流した、植物たちへの毒。
今使った物は狭い範囲でしか影響が出ない、と浪司からは聞いている。
ただ、その気になれば国全体に毒を流すこともできるのだろう。
人々の体を麻痺させることも、無差別に殺すことも、毒を大地に広げて草の生えない不毛の地に変えることも、彼女たちには可能なのだ。
毒を操り、一族を守り続けてきた守り葉。
悪用される訳にはいかないと、外部の人間だけでなく、一族同士でさえも監視していたのだろう。
つまり、みなもと共に生きるということは、自分たちも互いを見張らなければいけないということ。
どちらかが敵の手に落ち、その力を悪用されることになれば、命を賭けてそれを阻止しなくてはいけない。
最悪、相手の命を奪うことになったとしても。
そう思った瞬間にレオニードの胸が痛み、目を細めた。
(彼女は子供の時から、一人で守り葉の使命と向き合って生きてきたのか)
不意に、見たこともない幼いみなもの姿が脳裏に浮かぶ。
仲間を失った心細さで小さな肩を震わせ、目に涙をため、それでも歯を食いしばって、懸命に前へ進み続ける……そんな姿が。
(俺が同じものを背負ったとしても、みなもの苦しみは減らないんだろうな)
むしろ自分と一緒になれば、己を律するだけでなく、こちらを監視するという負担が増える。
共に生きることが、より彼女を苦しめることになるかもしれない。
(……それでも俺は、みなもと共に生きたい)
自分が抱えていくものだけでなく、少しでも彼女の重荷も背負いたい。
みなもが肩の力を抜いて生きられるようになるならば、どんな苦労も惜しまない。
これからは、心から笑って生きて欲しい――そう願わずにはいられなかった。
温室の植物がすべて枯れていくのを見届けた後、レオニードは踵を返して外へ出て行く。
ここまでは予定通り。あとはみなもと浪司に合流して目的を果たし、この地を離れてしまえば決着がつく。
今みなもは姉の元へ向かおうとしているハズ。誰かから王妃の居場所を聞き出せば、彼女と落ち合うことができるだろう。
庭園から城に向かって走りながら、話ができそうな人間はいないだろうかと辺りを見渡す。と、
「貴様、何者だ!」
前方から数人の男たちが現れて、レオニードの前に立ちはだかる。
昨日、ナウムの屋敷へ潜入した時に見かけた顔だった。
(ナウムの部下か……まだここまで動ける人間がいたとは)
無言でレオニードは剣を抜くと、切っ先を正面に向ける。
彼らを睨みつけて牽制していると――。
――横へ回り込んだ一人が斬りかかってきた。
城内の毒が少しは効いているのか、相手の動きが鈍い。
レオニードは冷静に判断すると、少し体を後ろに反らして剣を避ける。
そして空振りした隙に、他の男たちに向かって蹴り飛ばす。
巻き添えを食らうまいと、彼らが後ずさる。
やはり他の人間も動きは鈍く、毒の影響を受けていることが目に見えて分かった。
(これなら俺一人でも相手にできる)
そう判断し、レオニードは地を蹴って男たちへ挑みかかる。
浪司から渡された毒を無効化させる中和剤を飲んだおかげで、毒が漂う中でも普段通りに動くことができた。
素早く懐へ入り込むと、鮮やかに刃を翻し、彼らの剣を弾き飛ばしていく。
そして無防備になった胸や背中を、大きく斬りつけた。
「うぐっ……!」
くぐもった声で唸りながら、次々に男たちが倒れていく。
地に体を横たえた彼らは、どうにか起き上がろうともがく。
しかし力が入らないのか、上体を起こそうとしても、すぐに崩れ落ちて突っ伏す形になっていた。
辺りを見渡して敵がいないことを確かめてから、レオニードは険しくなった目で彼らを見下ろす。
(……毒が効いていても、ここまで動ける人間がいるのか)
自分と同じように、彼らも少なからず耐毒の薬を服用しているのだろう。
だとすれば、みなもが目的を果たそうと動いた時に、取り囲まれる可能性が十分にある。
いくら毒を使えるとしても、襲われても絶対に大丈夫だとは到底思えない。
もし、彼女が傷つけられ、命を落とすようなことがあれば――。
嫌な想像が頭をよぎり、言いようのない不安が胸を鷲掴みにしてきた。
(一刻も早く、みなもと合流しなければ……)
レオニードは懐から三角に折られた褐色の包み紙――浪司から渡された自白剤を取り出す。
これは副作用が少ない。だから相手が廃人になることはないぞ、と浪司から聞いている。
それでも使うことに一抹の後ろめたさを感じてしまい、躊躇してしまう。
しかし相手には悪いが、みなもの元へ駆けつけることのほうが重要だ。
レオニードは最初に蹴り倒した男に近づいて体を仰向けにすると、彼の顔へ白い粉をふりかける。
とどめを刺されると思ったのか、男は泣きそうな顔でこちらを見上げていた。
だが、徐々に目は虚ろとなり、瞳から怯えが消えていった。