動かぬ体
こちらの譲らない眼差しから、いずみが目を逸らす。
そして心細くて誰かに助けを求めるような表情を浮かべた。
「ごめんなさい……みなものお願いは聞けないわ。この国のためにも、イヴァン様のためにも」
少しだけ願いを聞いてくれることを期待していたが、拒まれることは覚悟の上だった。
覚悟していたが、いざ現実を突き付けられると、みなもの胸が痛くなる。
ここで目的を果たせなければ、もういずみは自分と二人きりで会おうとはしてくれない。
だから、今を逃す訳にはいかなかった。
みなもは立ち上がり、いずみへ近づこうとする。
「エレーナ様に近づくな!」
次の瞬間、部屋の壁から数人の男たちが現れ、周りを取り囲んでくる。
しかし、みなもは驚かず、冷静に彼らを見渡す。
(護衛に誰かを潜ませているとは思ったけど、こんなに隠れていたのか)
一人の男がいずみの側へ寄り、ソファーから立ち上がらせると、こちらを伺いながら距離を取っていく。
みなもが一歩前に進もうとした時、彼らは腰の短剣を抜き、鋭い切っ先を向けてきた。
「動かないでもらおうか。いくらナウム様に気に入られているとしても、エレーナ様を傷つけるような真似は許さない」
「……分かった。貴方に従うよ」
自分が無抵抗だと示すように、みなもは両手を耳元まで上げる。
袖が下へずれ、手首があらわになる。
右の手首には琥珀色の、左の手首には漆黒の小石を連ねた腕輪があった。
漆黒の小石を一粒だけ歯で咥えて取り外すと、そのまま噛み潰す。
それを見た途端、いずみが血相を変えた。
「みんな、みなもから離れて! そうしないと――」
「もう遅いよ、姉さん」
いずみの声に遅れて、みなもの体から甘い香気が漂う。
匂いに気づいた男たちが、怪訝そうな表情を浮かべる。
だが、次第に彼らの顔に脂汗が滲み始めた。
「な、何だ、この体の痺れは? まさか……」
「安心して。単に痺れて動けないだけで、死ぬことはないから」
みなもが再び一歩踏み出そうとした時、男たちの体が前に出ようとする。
しかし動いた瞬間に彼らの体は大きく揺れ、床に崩れ落ちた。
腕輪の石は、麻痺の毒を固形物にした物。
これを守り葉が口にすれば体の血が反応して、体中から毒が放散される。
男たちが倒れ、どうにか動こうと体を震わす中。
いずみだけは自分の足で立ち、こちらを見据えていた。
みなもは薄い苦笑を浮かべ、いずみへ足を向けた。
「やっぱり姉さんは久遠の花だから、耐性はあるんだね。でも、少しは効いているんじゃないかな」
一歩近づくと、いずみが重い足取りで一歩下がる。
「ダメ……私から力を奪わないで」
「ごめん、姉さん。俺はこのまま見て見ぬふりはできない」
早くやらなければ、新たな護衛やナウムが現れてしまう。
みなもは間を縮めようと、駆け出そうとする。
しかし、どうにか立ち上がった護衛たちが、みなもの前に立ちはだかる。
命をかけて姉を守ろうとしてくれているのは嬉しいが、今は単なる厄介なものでしかなかった。
一つ、二つと、鈍い動きで短剣が振り下ろされる。
みなもは目を細め、冷ややかな表情を見せる。
「邪魔だ。そこで寝ていてくれ」
刃の間を縫って、みなもは相手の懐に素早く飛び込む。
と、彼らの手を叩き、短剣を床へ落とす。
それでも諦めず、体を張ってこちらにしがみつこうとした男を、みなもは容赦なく蹴り倒した。
あと残っているのは、いずみだけ。
倒れた男たちをまたぐと、みなもは青ざめた顔をしたいずみの元へ向かおうとした。
「おーおー、それがお前の本性か」
背後の声に、みなもはゆっくりと振り向く。
もっと大勢を引き連れて来ると思っていたが、予想に反して現れたのは一人だけだった。
何人もの人が倒れ、酷い惨状になった部屋を見ても、彼の顔色は変わっていなかった。
「驚かないんだなナウム。お前の中では、俺がこうすることぐらいお見通しだったってことか」
「まあ予測の範囲内ではあるな。ただ、オレが考えていた中で、一番最悪の展開だな」
クッ、と押し殺した笑いを漏らしてから、ナウムはいずみに目を向け、背筋を伸ばして一礼した。
「エレーナ様、すぐに終わらせますから、ご安心下さい」
腰に剣は挿しているが、抜かずにそのままナウムが歩いてくる。
以前ザガットの宿屋で、彼の身軽な動きは見ている。
それだけ侮られているのかと思うと、頭に血が上りそうになった。
(ずっと嫌な思いをさせられたんだ、コイツにだけは容赦しない)
今なら麻痺の毒でナウムも弱まるハズ。叩きのめすには絶好の機会だった。
ナウムに対峙しようと、みなもは体の向きを変えようとする。
だが――。
「みなも、そこから動くな」
低く鋭い声が耳に届いた直後、みなもの足は動きを止める。
ここで止まる気はないのに、体が言うことを聞かなかった。
何をした、と言おうとしても口は動かず、ただナウムを見ることしかできなかった。
(どうなっているんだ?! ナウムのヤツ、俺に何をしたんだ!)
どうにかして動こうとするが、身じろぎ一つできない。
そんなみなもの焦りをあざ笑うかのように、悠々とした足取りでナウムが近づいてきた。
毒の香りが届く所まで来た時、やれやれと言わんばかりにナウムは肩をすくめた。
「麻痺の毒か……このまま部屋に垂れ流されるのは困るぜ。早く止めてくれ」
体が動かないのに、毒を抑えられる訳がないだろ!
心の中でみなもが叫んでいると、勝手に右手が上がり、腕輪の琥珀色の石を咥え、噛み砕いてしまう。
スウゥゥゥ、と体から匂いが消えていくのが分かる。
それと同時に、みなもの全身から血の気が引いた。
ナウムがみなもに近づき、不敵に笑う。
「良い子だ、みなも。そのまま待っていろ」
手を伸ばしてこちらの頭を撫でると、ナウムはいずみの元へと歩いていく。
まだ痺れが残っているのか、それとも怖い思いをしたせいか、彼女の肩が小刻みに震えていた。
落ち着かせるように、ナウムはいずみの肩に手を置いた。
「申し訳ありません、エレーナ様。私の考えが甘かったせいで、こんな事態に――」
「私もみなもと二人で会いたいと願っていたの。ナウムの責任ではないわ」
青ざめた顔のまま、いずみはナウムを見上げた。
「お願い……みなもを殺さないで。こんなことになっても、私の大切な妹なの」
いずみの頬を、大粒の涙が流れていく。
彼女を安心させるように、ナウムは優しく微笑んだ。
「もちろんですよエレーナ様。私にとっても、みなもは大切な人……これから時間をかけてじっくり説得しますから、私を信じてお待ち下さい」
「……ありがとう。貴方を信じて待っているわ、ナウム」
動けず呆然となるみなもの前で、互いの意思を確かめるように二人は見つめ合う。
それからおもむろに、いずみが視線をこちらへ送る。
今にも泣き出しそうな、申し訳なさそうな目。
後ろめたさを感じながらも、こちらを拒んでいるように見えた。
何か言いたそうに口をまごつかせたが、いずみはうつむき、付き添いの侍女に促されて部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まり、いずみの目から完全に見えなくなる。
麻痺の毒に苦しむ男たちへ見向きもせず、ナウムがみなもに近づいてきた。
その顔は憤りではなく、むしろ嬉々とした表情を浮かべていた。
見た瞬間、みなもの全身が凍りついた。
「さて、みなも……オレの屋敷でこんな真似をして、ただで済むとは思っていないよな? これからお前の部屋で、じっくりお仕置きしてやるよ」
ナウムがみなもの顎を持ち上げ、顔を近づけながら囁く。
目を逸らしたいのに、色めき立った暗紅の瞳から目を離すことはできなかった。