浪司の問いかけ
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ふと物音がしたような気がして、レオニードは目を覚ます。
まだ辺りは暗く、日は昇っていない。
窓の外をよくよく見てみると、ほんのわずかに山際のほうが明るくなり始めていた。
体を起こして、隣で寝ているはずのみなもへ視線を送ろうとする。
しかし彼女の姿はなく、いつもより冷ややかな空気だけが流れていた。
嫌な予感がする。
レオニードは大きく体を響かせる鼓動を抑えようと深呼吸した。
(……みなもはどこへ行ったんだ?)
ベッドから抜け出し、レオニードは念のためにボリスの部屋を確認する。
シーツは整っており、人が使った形跡はない。
もう目が覚めて下に行ったのかもしれないと思い、今度は一階へと下りていく。
階段を下りる最中、居間からランプの灯りと思しき光が見えた。
(よかった、先に起きていただけなのか)
安堵の息をつき、レオニードは階段を下り切ってからすぐ、灯りがあるほうへと顔を向けた。
だが、そこにいたのは――みなもとは明らかに違う、大きな体躯の見慣れた男が、食卓の椅子に座っていた。
「浪司!? どうしてここに……」
「すまんなレオニード、勝手に上がらせてもらったぞ」
砕けた口調の割に、浪司の表情に緊張感が走っている。
彼がチラリと後ろの台所に目をやったので、レオニードもつられて目を向ける。
そこには顔を布で隠した男たちが、ぐったりと体を横たわらせていた。
「一体ここで何があったんだ?」
「こいつらはバルディグの密偵だ。お前さんを始末するために来るだろうと思っていたら、案の定来やがった。だからワシが一肌脱いで戦ってやったんだ」
話が進むにつれ、レオニードの頭から血の気が引く。
「みなもは……みなもはどこへ行ったんだ?! まさか密偵に攫われたのか?」
「結果としては同じことだが、みなもは攫われた訳じゃねぇ。自分からバルディグへ向かったんだ」
言葉数が多い訳ではないのに、浪司の話がうまく頭に入ってこない。
ここで気が動転してはいけないと、レオニードは必死に思考を働かせた。
と、現状の不自然さにようやく気がつき、浪司を鋭く睨んだ。
「どうしてみなもがバルディグへ向かったと分かるんだ? それにバルディグの密偵が、どうして俺を始末しに来ると思ったんだ?」
浪司は腕を組んでひと唸りすると、大きく息をついた。
「教えてもいいが、その前に一つ聞かせてくれ」
「何だ?」
「お前さんは、みなもの人生を――アイツが抱えているものを共に背負う覚悟はあるか?」
言われた瞬間、レオニードの息が止まる。
浪司はずっと間近で見ていたのだ。自分たちの関係に気づいてもおかしくはない。
しかし、みなもの事情までも察しているのか?
ずっと彼女が人に知られまいとして、隠し続けていたことなのに。
驚きと警戒で顔が痛いほどに強張る。
妙な動きはないかと注意深く見つめるレオニードへ、浪司は少し表情を和らげた。
「安心しろ、ワシはみなもの味方だ。そして、同じものを追い続けている仲間でもある。……みなもはまったく知らないがな」
「……浪司、お前は一体何者なんだ?」
「詳しい話は、ワシにお前さんの覚悟を見せてくれたら話す」
声には出さないが、浪司は目を大きく開いて「どうなんだ?」と問うてくる。
答えはすでに出ている。
みなもが告白してくれたあの夜、行くなと引き止め、体を重ねてでも自分のところへ縛りつけたいと望んだ瞬間に。
レオニードは怯まずに浪司を見据えた。
「俺はみなもの抱えているものを、共に背負いたい。もう彼が自分を偽らなくても生きていけるように――」
「本当にレオニードはクソ真面目だな。まだみなもの嘘に合わせてんのか」
真剣に答えたはずなのに、なぜか浪司の目は面白いものを見つけたとばかりに笑っていた。
「ワシはアイツが女の子だっていうのは、ずっと前から知っている。だからワシの前では『彼』扱いしなくてもいいぞ」
「そ、そうか……」
ホッと安堵すると同時に、少しからかわれているような気分になる。
複雑な心境にレオニードが口を堅く結んでいると、浪司は歯をニッカリと見せた。
「これだからレオニードは、みなもの信用を得られたんだな。……なら、ワシもお前さんを信用しよう」
浪司は軽く目を閉じて深呼吸する。
そして再びまぶたを開いた時、彼の目から人懐っこい明るさが消えた。
「みなもがフェリクス将軍の解毒剤を作った時から、ワシもアイツの仲間がバルディグへいると確信した。だからワシは独自にバルディグの密偵を見つけて、情報を聞き出したんだ。ナウムがみなもを連れて行きたがってるっていう情報をな」
もう二度と聞きたくないと思っていた名に、レオニードは露骨に顔をしかめる。
ザガットでみなもから、ナウムが「オレのものになれ」と言ってきたと聞いた時には、怒りで理性が飛びそうになった。
それと同時に、自分にも同じ願望があることに気づいてしまい、己に腹が立った。
我を忘れてはいけないと、レオニードはどうにか怒りを抑えこむ。
「その情報、本当なのか?」
浪司は「間違いない」と大きく頷いた。
「ナウムはみなもに執着している。だから親密な関係になったお前さんを始末するだろうと思って、注意を払っていたんだ。そうしたら案の定、部下に襲撃させてきやがった」
「そうだったのか……だが、俺のことよりも、みなもを引き止めることが先決じゃないのか? ナウムの元で、嫌な目に合うかもしれないというのに」
「確実に言えることは、ナウムはみなもを殺す気はないが、レオニードを殺したがっていた。……どんな病でも治る薬があっても、死んじまったら効かん。だからワシはお前さんを優先したんだ。それに――」
わずかに浪司の目が細くなり、その目に苦渋の色を浮かべる。
「ワシらがずっと探していたものが見つかりそうなんだ。もしワシが引き止めたとしても、みなもはナウムの元へ行っただろうな」
確かに彼女の性格を考えれば、そうなるだろうとはレオニードにも予想がつく。
きっと力づくで止めようとしても、睡眠薬か、麻痺の毒を使って、ここから離れただろう。
今まで求めていたものが目の前にぶら下がっているのに、待てというのは酷な話だとは思う。
ただ、それでも行って欲しくはなかった。
ここへ残って欲しかったと願うのは、自分勝手なワガママだと分かっていても。
レオニードが思い詰めていると、浪司がおもむろに立ち上がった。
「これからワシはバルディグへ向かって、みなもへ会いに行く。レオニード、お前さんはどうするんだ?」
「俺も行く。マクシム陛下からみなもをバルディグに渡すなとの命も受けたが――」
小さく頷いてから、レオニードは壁に立てかけてあった愛用の剣を手に取る。
そして、剣が手と溶け合いそうなほどに、強く、強く握りしめた。
「――あんな男に、彼女を渡してたまるか」