求めていた温もり
「ごめん、嫌な思いをさせるようなことを言って――」
刹那、背後に足音が迫ってくる。
振り向く前に、二つの腕がみなもを捕らえた。
不意打ちの締めつけと、間近になった息遣いに、みなもの全身が一気に熱くなった。
「レ、レオニード!? 一体、何を……」
「離れなくていい。みなもが望むだけ、ずっとここに居てもいいんだ」
どうしてレオニードが、こんな真似を?
頭が混乱して、すぐに彼の言葉が理解できなかった。
考えがまとまらず、鼓動ばかりが勝手に早まっていく。
自分が自分でいられなくなりそうで、みなもは身をよじってレオニードから離れようとする。
しかし、腕の締めつけが強くなり、こちらの動きは抑えられる。
早く離れたいと思う一方で、離れたくないという願いが膨らんでいく。
揺れる心を悟られまいとして、みなもは腕を上げ、レオニードの頭を軽く叩いた。
「男相手にこんな抱擁してどうするんだよ。冗談でも笑えない」
あえてからかいの色を見せてみるが、それでも腕は離れない。
無言が続いた後。
レオニードが耳元で、腹の底から搾り出すような声で囁いた。
「もう無理して演じなくてもいい。俺は……君が女性だということを知っている」
言われた瞬間、みなもの視界が白ばむ。
一体いつ、どうやって気づかれた?
自分の足を引っ張るしかない、一番知られたくなかった弱点なのに。
目まぐるしく記憶を探っていくと、暗紅の瞳をした嫌な顔が浮かんできた。
「まさか……ザガットの宿屋で、俺とナウムの会話を聞いて知ったのか?」
「聞くつもりはなかったんだが、みなもを助けに行こうとした時に聞こえてしまった」
……腕をつかまれた時、さっさと毒の刃で仕留めればよかった。
みなもが頭の中に浮かんだナウムに怒りをぶつけていると、レオニードが「それだけじゃない」と言葉を続けてきた。
「君があの宿屋で悪夢にうなされていた時、常に胸当てをしていることも、寝言の声が女性のようだったことも知ってしまったんだ。それがなければ、あんな男の言葉は信じなかっただろうが」
ふとレオニードの腕から力が少し抜け、優しく包みこむような抱擁へと変わる。
「初めて会った時から、みなもは自分を隠したがっていた。だから、言えば恩人の君を追い詰めてしまうと思って、絶対に言うまいと決めていた。黙って力になろうと思っていた。だが……みなもの本心を聞いた以上、黙っていられない」
浮かれそうな心へ水をかけるように、みなもの理性がつぶやく。
レオニードのことだから、きっと同情してくれているんだ。
もしくは彼なりに恩を返そうとしているのかもしれない。
変な期待は持たないほうがいい。そう割り切って、みなもは静かに息をついた。
「ありがとう、離れなくてもいいって言ってくれて。同情からでも、その言葉が聞けただけでも俺は満足だから――」
「違う、同情なんかじゃない!」
レオニードの声がにわかに鋭くなる。
押し黙った後に出てきた声は、心なしか震えていた。
「俺も……君から離れたくないんだ」
「……え?」
反射的にみなもは首を動かしてレオニードを見る。
息がかかるほど顔が近くにあり、胸が見苦しく騒ぎ出す。
こちらを伺いながら、レオニードがさらに顔を近づけ――。
――わずかに上向いたみなもの唇へ、己の唇を重ねた。
以前に解毒剤を飲ませた時とは違う、苦味のない口づけ。
何もないからこそ、伝わってくる温もりを全身で感じてしまう。
ゆっくりとレオニードの唇が離れた時、みなもは二人の間に割り込んできた寒さで我に返る。
緩められた腕の中で、みなもは体を回してレオニードと向き合うと、彼を見上げた。
言いたいことはたくさんあるのに、言葉が出てこない。
ただ熱く潤み出した瞳で、彼を見つめることしかできなかった。
レオニードが少し照れくさそうに微笑を浮かべた。
「みなも、どうかここで俺と共に生きて欲しい。そのためなら、どれだけ君が重い事情を抱えていたとしても、まだ君に秘密が隠されていたとしても、すべてを受け入れたい。俺は君を……愛している」
一緒に生きてくれるの?
嘘ばかりで身を固めていた、弱くて臆病なこの身を愛してくれるの?
今まで背負ってきたものを持ったまま、貴方の隣にいてもいいの?
我知らず、みなもはレオニードを見上げたまま胸元へしがみつき、頬に一筋の涙を流した。
「どうしよう……レオニードに迷惑をかけ続けるって分かってるのに、すごく嬉しい」
指で涙を拭いながら、みなもは笑顔を取り戻す。
そしてレオニードの首へ両腕を回した。
「俺、かなり欲張りだから覚悟してよ? これで冗談だって言ったとしても、貴方を求め続けるから」
「その言葉、みなもに返そう。俺も自分で思っていた以上に、欲張りな人間らしい」
どちらともなく顔を寄せ、再び口づけを交わす。
ずっと求めていた温もりが惜しみなく注がれ、みなもの奥深くまで広がっていく。
でも、まだ足りない。
もっと、もっと、彼の温もりが欲しい。
心が願うままに、互いに舌を絡め合う。
レオニードから与えられる熱に応えるよう、みなもの体がますます熱を帯びていく。
治まらない動悸で胸は苦しいのに、体は彼から離れたがらない。
次第に熱さに混じって、みなもの背筋や脚を妙に甘さのある痺れが這っていく。
口の中をかき乱されるほどにそれは酷くなって、力を奪われてしまう。
立っていられなくなり、思わずみなもの体がよろける。
咄嗟にレオニードが背中に腕を回して引き寄せてくれた。
「……大丈夫か?」
顔色を伺うレオニードが愛おしくて、みなもはそっと彼の頬を撫でた。
「うん……大丈夫。ただ、このままだと辛いから……」
わずかに残った理性が、続きを言わせまいと引き止めてくる。
自分が言おうとしたことの意味に気づいて、みなもの顔が熱くなった。
レオニードも気づいたらしく、一瞬だけ困ったように目が泳ぐ。
しかしすぐに視線をこちらに定めると、軽々とみなもを抱き上げ、ゆっくりとベッドに運んでくれた。
みなもを丁寧に降ろすと、レオニードが頭を愛撫しながらベッドへ腰かける。
見下ろされる形で彼と目が合う。
と、急に恥ずかしさと言いようのない不安がこみ上げ、みなもは顔を逸らして身を強ばらせた。
自分が望んだことなのに、逃げたくて仕方がない。
もっと彼を感じたいのに、これ以上彼を知ることも、己を見せることも怖い。
レオニードの手がみなもの頬に触れ、優しく顔を上に向けさせる。
そしてもう一度、深々と口づけた後。
みなもの火照った耳元でレオニードが囁いた。
「嫌だと思ったら我慢しないで言ってくれ。君を傷つけたくない」
彼の息に耳を撫でられ、思わず声が出そうになる。
どうにか吐息に変えて声を逃がすと、みなもはレオニードの首にしがみつく。
「こんなこと初めてなのに、何が嫌だとか分からないよ。だから……貴方の望むままにして欲しい」
これが自分にできる精いっぱい。
一緒にいる限り、こちらの都合にレオニードを巻き込み続けてしまう。
重荷になることもあるはず。
それでも一緒にいたいと願う自分のワガママを、彼は受け入れてくれる。
だからこそ、彼の望みに応えたい。
レオニードから声にならない声で「そんなことを言われると、歯止めが効かなくなる」というつぶやきが聞こえてくる。
そして耳から首筋に舌を這わせ、かすかに吸いついた。
体へのしかかってくるレオニードの重みが、与えられ続ける温もりが、大腿を愛撫する手が、思考を奪っていく。
服と胸当ての留め具が外され、みなもの素肌と胸が露になっていく。
今まで作られてきた殻が剥かれていくにつれ、肌へ直接伝わってくる温もりに吐息が漏れた。
彼のことしか考えられない。
彼のことしか感じられない。
誰かに縛られ、繋げられていくことが、こんなに嬉しくて気が狂いそうになるとは思わなかった。