抑えられぬ渇望
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鉛色の雲の向こうから、一羽の鳩が飛んでくる。
まだ敷地に残雪を残した屋敷をぐるりと旋回し、鳩は二階の窓をくちばしで叩く。
窓が開けられると鳩は怯えずに中へ入り、主である男の腕へ止まった。
白く骨ばった指から褒美の木の実を与えられ、鳩は喜んで頬張る。
その間に足へくくられていた紙が、男の手で外された。
男は腕を動かして鳩を窓際に移し、手紙に目を通す。
遠雷に照らされ、暗紅の瞳が光った。
「ナウム、それは何の手紙だ?」
覇気のある声に呼ばれ、ナウムは振り返る。
いつもはナウムがくつろぐソファーに、黒の軍服を着た青年が居座っていた。
背中まで伸ばした赤金の髪を波打たせ、群青の瞳は何者も恐れない不敵な色が宿っている。眼光は鋭く、大きく力強い鷲鼻……まだ歳は三十に入ったばかりだが、すでにバルディグの王としての貫禄は十分だった。
少し気圧されながらナウムは口を開く。
「密偵からですよ、イヴァン様。守り葉がヴェリシアに滞在してるそうです」
「ほう、こちらの手が届く所まで来たか」
イヴァンは骨張った顎をなで、口端を引き上げる。
「ずっと探していたアイツの仲間だ。どんな手を使ってでも、必ずここへ連れて来い」
受けて立つように、ナウムは微笑を返す。
「もちろんですとも。連れ帰った際には、是非この私めの部下にさせて頂きたく存じます」
「よかろう。他の褒美をつけることも約束してやる」
ソファーを一度大きく沈ませてから、イヴァンは立ち上がる。
たったそれだけで威圧感が増し、思わずナウムは跪いた。
「御意にございます」
「俺の期待を裏切るなよ。お前が部下を持ち、この屋敷に住まうことができるのは、お前が俺の期待に応え続けているからだ。くれぐれも忘れるな」
振り返らず、そのままイヴァンは部屋を出ていく。
王の気配が遠ざかってから、ナウムは立ち上がって舌打ちした。
(アンタには利用価値があるから、オレは従ってやってんだよ。そうでなきゃあ、とうの昔に裏切ってるところだ)
ここが自分の邸宅であっても、どこで誰が聞いているか分からない。
心の中で悪態をつき、ナウムは机に向かう。
「さて、密偵に指示を出しておかないとな」
ナウムは引き出しから紙を出すと、羽根ペンを調子よく走らせる。
イヴァンの言いなりになるのは面白くない。
しかし、これで欲しかった力も、手に入れたかった女の面影も手に入る。
守り葉を――みなもを自分のものにできると思うだけで、気分が高揚した。
どう自分の下に組み敷いていこうか。
優しい言葉を並べて、ゆっくりと心をほだしていきたいところだが、もう感情を抑え続けて気長に待つことなどできない。
彼女を隣に繋ぐことができるなら、どれだけ嫌がろうが泣き叫ぼうが構わない。
好かれなくてもいい。憎まれてもいい。
どんな卑怯な手を使ってでも、みなもという存在が欲しかった。
熱くなり続ける欲まみれの心とは裏腹に、頭の片隅で冷え切った理性が、狂気じみた想いだと己に呆れる。
もしこの心を外に出して見ることができれば、さぞかし醜悪で強烈な吐き気を感じずにはいられない、直視することもできないような代物だろう。
あまりに浅ましい想いだとは自覚している。
だが、胸奥から湧き続けるドス黒く熱い欲が、狂うことのできない理性をあざ笑っていた。