三章 ヴェリシアへ
海を渡って大陸の北部にたどり着くと、一行は馬車を借り、東に向かって陸地を横断する。
ヴェリシアに上陸してから春の陽気とは無縁になり、冬に逆戻りしたような鉛色の雲と寒さが広がっていた。
平地に雪は見られないものの、吹きつける風は冷たく、ヴェリシアを臨むキリアン山脈は雪化粧に覆われている。
すきま風さえも通さぬ頑丈な馬車の中。
みなもは街で買った茶色の外套で身をくるみ、窓の外を眺めていた。
「俺が住んでいる村も寒さは厳しいと思ったけど、こっちはそれ以上だね」
みなもが呆れとも感嘆とも取れない声を出すと、向かい側に座っていた浪司が頷いた。黒茶の毛皮で体を包んでいるために、熊そのものになっている。
「旅で来る分には、寒いのも悪かないんだがな。住処にするっていうのは、ワシもどうかと思うぞ」
ガハハ、と浪司は大口を開けて笑ってから、「そういえば」と言葉を返す。
「みなも、調子がよさそうだな。ずーっと馬車に揺られて、慣れちまったか?」
「ザガットへ行く時のような山道じゃないから、ずいぶんと楽だよ。それに……馬車より船酔いのほうがひどかった」
何度か船に乗ったことはあるが、酔わなかったことは一度もない。
しかも今回は波が大きく、今まで生きてきた中で酔いの酷さは一番だった。
村へ帰る時に、また乗らなくてはいけない。
そう考えるだけで、みなもの胃はシクシク痛んだ。
遠い目をして外を見ていると、綿毛のような雪がちらほら降ってきた。
みなもは前へ身を乗り出し、御者に連絡をするための小窓を開ける。
凍て付いた風に顔をしかめながら、腹に力を入れて声を出す。
「レオニード、ちょっと中に入って休まないか?」
馬車を引く馬を操っていたのはレオニードだった。
いくら地元の人間といっても、まだ傷も癒えていない負傷人。体に負担をかけ過ぎるのは感心できない。
しかし、レオニードは馬の走りを止めない。
「休むぐらいなら、少しでも先へ進みたい。仲間を早く助けたいんだ」
焦る気持ちは分かるので、強く引き止められない。
できれば交代で馬の手綱を握りたいところだが、土地感のないみなもと浪司では、迷走するのは目に見えていた。
「ヴェリシアの城に着いて、ばったり倒れて死んじゃった……なんて嫌だからね。俺は」
一言釘を刺しておいて、みなもは小窓を閉めて座り直す。
浪司が身を震わせてから、歯を見せて笑った。
「レオニードのヤツ、一日中外にいて、よく凍りつかねぇな。ま、何かあったらワシがアイツを温めてやるからな」
「頼りにしてるよ。獣のほうが体温高そうだし」
うっかり口が滑り、みなもは一つ咳をして誤魔化す。
「んん? 何か言ったか?」
「独り言だよ、気にしないで。あ、そうだ浪司。目的の珍味を食べに行くなら、どの町で俺たちと別れるの? 道中気をつけてよ」
向かう場所が同じだったから、一緒に旅をしてきた。しかし、これから先の目的は全く違う。
それにザガットで襲われたのだ。これから先、何が起きるか分からない。
全く関係のない浪司を、これ以上付き合わせる訳にはいかなかった。
お互い、また無事に会えればいいけれど……。
みなもが内心しんみりしていると、急に浪司が頭を軽く小突いてきた。
「可愛い弟分を、このまま放っておけるか。みなもの用事が済むまで護衛してやる」
「いつの間に弟分にされたんだよ。むしろ俺と歳が離れているから、遠縁のオジサンみたいなもんじゃない?」
「オジサン言うな。まだ三十四だぞ」
実際の年齢というより、外見がオジサンじゃないか。
そう言いそうになるのを抑え、みなもはわずかにはにかんだ。
「……ありがとう。心強いよ」
「そうだろうとも。お前さんはもう少し、人に甘えたほうがいいぞ。人間、一人で生きている訳じゃないんだからな」
くだけたことしか言わない口が、珍しく真面目なことを言っている。
浪司の言葉が耳に痛い。
笑みを浮かべて「分かっているよ」と答えながら、みなもは背もたれに寄りかかり、外を流れる雪を見つめた。