若草色の絆 〜偽りの聖女を暴く、平民姉妹の逆転劇〜
序文
これは、この国がまだ大きな帝国と呼ばれていた、昔々のお話。
帝都の下町に、若草色の髪をした、仲良しの平民姉妹がおりました。
ある日、お姉ちゃんは突然、遠くへ連れ去られてしまいます。
残された小さな妹は、お姉ちゃんから届いた一通の手紙を『宝物』として抱きしめ、泥だらけになりながら、過酷な日々を生き抜いていきました。
――その手紙が、やがてこの国を大きく揺るがすことになります。
この物語は、決して希望を失わなかった健気な姉妹と、慈悲深く聡明な皇妃様が、平民の声に耳を傾け、偽りの聖女を暴いた、一夜の奇跡の物語。
記すのは、わたくし、ラトゥナ・ケートでございます。
一 宝物の手紙
「シーナ。お父さんとお母さんはね、遠い街へ出稼ぎに行っているのよ」
それは、若草色の長い髪を優しく揺らした、大好きなお姉ちゃん――セリアの声だった。
幼いシーナは、その言葉を少しも疑わなかった。
お姉ちゃんが言うのだから、本当に決まっている。
遠いどこかの街で、お父さんとお母さんは自分たちのために働いてくれているのだと、そう信じて寂しさをこらえた。
けれど、13歳になった今なら分かる。
あれは、お姉ちゃんがついた、哀しくて温かい嘘だった。
両親は、シーナがまだ物心つく前に、流行り病で亡くなっていた。
セリアはたった一人でその喪失を抱え込み、妹の前ではいつも、お日様のような笑顔を絶やさずにいてくれたのだ。
◆
「おい、そこのチビ! モタモタすんな! 根こそぎさらえって言ってんだろ!」
「は、はいっ! すみません!」
冷たい川の水に素足を浸しながら、シーナは自分の体よりも大きな木のスコップを必死に動かした。
帝都の物流を支える運河の掃除――それが今、13歳のシーナにできる、数少ない仕事だった。
指先の感覚が、少しずつ消えていく。
それでも、水色の瞳の奥には小さな灯がともっていた。
――今日を生き抜けば、お姉ちゃんに会える明日に、一歩だけ近づける。
数ヶ月前まで、シーナは下町の小さな食堂で皿洗いをしていた。
店の夫婦は、身寄りのないシーナを我が子のように可愛がってくれた。
けれど、先帝時代から続く戦費の負担と、貴族たちの横暴な徴税が、その小さな店を押し潰してしまった。
「ごめんね、シーナ……もう、お給金を払ってあげられないの」
涙ながらに頭を下げた女将さんの顔を、シーナは今も覚えている。
誰も悪くなかった。
それでも、生きていくしかなかった。
どんなに手の荒れる仕事でも、シーナは喜んで引き受けた。
体は泥まみれになっても、心まで泥に染めるわけにはいかない。
だって自分には、世界で一番大好きで、自慢のお姉ちゃんがいるのだから。
◆
一年前。
16歳だった姉のセリアは、ある日突然、下町に現れた身なりの良い貴族の男に目をつけられた。
セリアには、生まれつき不思議な『癒しの力』があった。
すり傷や火傷を負った子供の傷に手をかざすと、淡い光があふれ、痛みがすうっと消えていく。
教会の手伝いをしていたセリアのその稀有な力に、貴族の子息――ザガロという男が目をつけたのだ。
ザガロは、セリアを「貴族家に仕える治癒師見習い」として屋敷へ迎えるのだと言った。
下町の娘にとって、貴族の屋敷に上がれるなど夢のような話だった。
しかも、毎月の給金は妹に届ける。
妹のために、手紙を出すことも許す。
そう優しく告げられれば、セリアに断ることなどできなかった。
「シーナ……お姉ちゃんね、ザガロ様のお屋敷で働くことにしたわ。たくさん働いて、いっぱいお金を送るからね。お留守番、しっかりお願いね」
旅立つ馬車の窓から微笑んだその顔が、シーナの記憶にある、お姉ちゃんの最後の姿になった。
最初の数ヶ月は、月に一度、温かい手紙と仕送りが届いた。
文字の読めないシーナのために、手紙にはセリアの描いた花の絵や、二人で遊んだ下町の風景が、可愛らしい記号のように散りばめられていた。
シーナは毎晩、ランプの下でそれを眺めた。
眺めているだけで、お姉ちゃんがすぐ隣で話しかけてくれているような気がした。
けれど、ある月を境に、手紙はぴたりと途絶えた。
仕送りも、季節の便りも、何もかも。
気づけば、丸一年が過ぎていた。
「お姉ちゃん……どうして、手紙をくれないの? まさか、私のこと、忘れちゃったの……?」
その夜、シーナは棚の奥から『最後の手紙』を取り出した。
何度も何度も眺め、撫ですぎて、折り目はもうぼろぼろだった。
シーナは文字が読めない。
だから手紙の全体を、一枚の絵のように見つめるのが癖になっていた。
ランプの灯りに透かすと、その手紙には不自然なほど大きな余白があり、花の絵が奇妙なバランスで並んでいた。
茎は不揃いに折れ曲がり、花びらの数もまちまちで。
それでもシーナには、それが世界で一番きれいな絵に見えた。
文字の読めない妹を気遣ってくれた、お姉ちゃんの優しさの証。
ただの、愛しい宝物。
「……お姉ちゃん。私、会いに行くよ」
会いたいという想いは、とっくに限界を超えていた。
平民の子供が足を踏み入れることなど許されない、きらびやかな貴族街へ。
お姉ちゃんを連れて行った、ザガロの大きな屋敷へ。
二 雨の路地裏
全財産の小銭をはたいて乗合馬車に乗り、シーナがようやく辿り着いた貴族街は、息を呑むほど冷たく、巨大だった。
見上げるほどに高い石壁。
金の装飾が施された、重厚な鉄の門。シーナは胸元の『宝物の手紙』をぎゅっと抱きしめ、意を決して門番に近づいた。
「あの、お願いします。ここにいる、セリアお姉ちゃんに会わせてください!」
門番は、泥のついたシーナの靴と擦り切れた袖口を、あからさまに蔑む目で見下ろした。
「はあ? セリア? そんな平民の女などおらん。ザガロ様のご婚約者は、由緒正しきマチルダ男爵令嬢ただお一人だ。失せろ、ドブネズミが」
「そんなはずありません! お姉ちゃんは一年前、ザガロ様と一緒に――」
「うるさい、どけ!」
容赦なく突き飛ばされ、シーナは石畳の上に転がった。
手のひらが擦り剥け、鋭い痛みが走る。
それでも手紙だけは、胸に抱いたまま離さなかった。
どれだけ叫んでも、どれだけ門を叩いても、鉄の門は二度と開かなかった。
◆
貴族街と平民街を隔てる、薄暗い境界の路地裏。
夕闇が迫る頃、空から大粒の雨が降り始めた。
雨水がシーナの若草色の髪を濡らし、涙と混ざって頬を伝う。
「お姉ちゃん……どこに、いっちゃったの……」
足がもつれ、とぼとぼと裏道を歩いていたシーナは、ふと、足を止めた。
降りしきる雨の中。
壊れた木箱の陰、ゴミ溜めのそばに――何かが、打ち捨てられている。
近づいたシーナの水色の瞳が、大きく見開かれた。
ずぶ濡れになって倒れ伏した、一人の女性だった。
引き裂かれた衣服。
覗く肌に刻まれた、無数の痛々しい痣。
そして、泥にまみれてなお淡く輝く、その髪の色は――シーナと同じ、若草色だった。
「……お姉、ちゃん……?」
世界から、雨の音が消えた。
「お姉ちゃん!!」
シーナは泥水の中に膝をつき、その体を抱き起こした。
間違いない。
大好きなお姉ちゃん、セリアだった。
けれど、かつて優しくシーナを抱きしめてくれたその体は、骨が浮き出るほどに痩せ細っていた。
まるで体中の命を全部抜き取られてしまったかのように、肌は白く、雨よりも冷たい。
「お姉ちゃん、嫌だよ、目を開けて! シーナだよ! 会いに来たよ! ねえ、約束したでしょ、お留守番してたら、また会えるって……!」
何度も名前を呼び、揺さぶる。セリアの睫毛がかすかに震え、水色の瞳が薄く開いた。
「しー、な……? ……ごめんね。お留守番……よく、がんばった、ね……」
それだけを呟くと、セリアの首ががくりと傾き、再び深い闇へと沈んでいった。
「だめ……だめだよ、お姉ちゃん! 誰か……誰か助けて! お姉ちゃんが死んじゃう! お願い、誰か……っ!」
少女の細い腕では、冷たくなっていく命をどうすることもできない。
雷鳴が轟く中、シーナは泥にまみれ、雨に打たれ、姉の体を掻き抱いて泣き叫んだ。
世界には、自分たち二人きり。
圧倒的な絶望が、小さな姉妹を呑み込もうとした――。
その時だった。
雨を裂くような車輪の音とともに、路地の角から、一台の馬車が滑り込んできたのは。
三 紫の瞳の皇妃
それは、目立たぬよう装飾を抑えた、けれど只者ではない気配をまとった馬車だった。
乗っていたのは、病弱な皇帝に代わり実質的に帝国を統べる女性――コンスタンツ皇妃その人である。
コンスタンツ皇妃はこのところ、ひそかに胸を痛めていた。
『癒しの力を持つ平民が、貴族に騙されて姿を消している』
――下町にくすぶる、そんな噂のためだ。
折しも皇宮では、マチルダ男爵令嬢なる娘が突如として『聖女の力』に目覚めたと喧伝され、もてはやされていた。
しかし、本来ならば、生まれ持つはずの治癒の力が、ある日突然湧いて出てきたと言う……。
長く政務を担ってきたコンスタンツ皇妃の目に、それはあまりに不自然に映った。
だからこの日、コンスタンツ皇妃はわずかな供だけを連れ、お忍びで貴族街の境を回り、下町で聞き取った証言をたどり、ザガロの屋敷近くまで来ていた。
「不審者だ! 馬車から離れろ!」
泥だらけの少女が雨の中から現れ、護衛の騎士たちが一斉に剣を抜いた。
それでもシーナは退かなかった。
倒れた姉を小さな体で庇い、馬車に向かって叫び続けた。
「お願いします! お姉ちゃんを助けて! お願い……っ!」
絹のカーテンが、静かに引かれた。
銀色の髪。
すべてを見透かすような、気高い紫の瞳。
その瞳が、血まみれの姉を抱きしめて泣く小さな少女の姿をとらえた瞬間、コンスタンツ皇妃の胸に、幼くして病で喪った愛娘の面影がよぎった。
――我が子を救えなかった、あの夜の哀しみが。
「控えなさい!」
凛とした、けれど圧倒的な覇気を持つ声が、雨音を貫いた。
「その娘たちに剣を向けることは、この私が許しません。二人を馬車へ。皇宮の治癒師を呼びなさい、今すぐに!」
◆
皇宮で最高の治療を受けたセリアは、数日後、奇跡的に意識を取り戻した。
そして彼女の口から語られたのは、コンスタンツ皇妃が追っていた噂の、そのままの地獄だった。
治癒師見習いとしての雇用を名目にした連れ去り。
屋敷の地下での監禁。
魔道具による、『癒しの魔力』の強制的な搾取。
そして力を搾り尽くされ、用済みとなった末の口封じ。
『屋敷が汚れる。下町と境界のドブにでも捨てておけ。どうせ朝までもつまい』
そう吐き捨てられ、雨の路地裏へ投げ出されたこと。
奪われたセリアの力は、ザガロの婚約者マチルダの『聖女の力』として、皇宮に偽って報告されていた。
すべてを聞き終えたコンスタンツ皇妃の怒りは、静かに、けれど激しく燃え上がった。
◆
数日後。
コンスタンツ皇妃は三男のアレン第三皇子と騎士団を率い、ザガロの屋敷へ直接臨問に赴いた。
シーナと、車椅子のセリアも、その傍らに同行していた。
ザガロは華やかな笑みを浮かべ、外面よく頭を下げた。
「これは皇妃殿下、アレン第三皇子殿下。お二人直々のお越しとは、光栄の至りにございます」
深々と礼をしながらも、その視線は皇妃の背後へと滑る。
粗末な服を着た少女。
そして、その隣の車椅子に座る、若草色の髪の娘。
その姿を認めた瞬間、ザガロの笑みがほんの一瞬だけ強張った。
しかし次の瞬間には、何事もなかったように、慇懃な笑みを取り戻していた。
「して、殿下。そちらの者たちは? 先触れでは、我が屋敷に関する確認と伺っておりましたが……そのような下賤の者どもに、私は一切見覚えがございません」
だが、その視線は決してセリアを長く見ようとはしない。
コンスタンツ皇妃は、静かに口を開いた。
「この娘は、一年前、あなたの屋敷に迎えられたと申しています。治癒師見習いとして雇われた、と」
「何かの間違いでございましょう」
ザガロは即座に答えた。
「そのような者を雇った覚えはございません。下町の娘が、貴族の名を騙って金品でも得ようとしたのでは?」
「そうですわ」
隣でマチルダが、わざとらしく眉をひそめた。
「皇妃殿下ともあろうお方が、そのような平民の妄言をお信じになりますの? ザガロ様は由緒あるお方ですわ。薄汚れた娘の言葉ひとつで疑われるなど、あまりにお気の毒です」
マチルダはそこで、誇らしげに胸元へ手を当てた。
「それに、癒しの力が必要だというのなら、この私がおります。今や多くの貴族の方々が、私の『聖女の力』によって救われておりますもの」
平民の言葉など誰も信じない。
二人は、そう高をくくっていた。
その時、一歩前に踏み出したのは、小さなシーナだった。
胸元から差し出されたのは、あの、ぼろぼろに擦り切れた一通の手紙。
「嘘です。お姉ちゃんは一年前、このお屋敷から、私に手紙をくれました」
ザガロは鼻で笑った。
「ふん。平民の落書きが、何の証拠になる」
しかし――その手紙を受け取ったコンスタンツ皇妃は、不自然な余白と、奇妙な花の配置を一目見るなり、美しい眉をひそめた。
下町を巡り、その古い言い伝えにまで通じていた皇妃には、それが何であるか、はっきりと分かったのだ。
「……お待ちなさい。これは、ただの絵ではありません」
紫の瞳が、冷たく光った。
「帝都の下町に古くから伝わる、文字の読めない者へ危険を知らせるための救難信号。花の茎の折れ方、余白の数――ここには、こう記されています。『地下に閉じ込められている。助けて』と」
シーナは、雷に打たれたように固まった。
「え……? 助けて……?」
水色の瞳から、大粒の涙が、次から次へとあふれ出す。
「お姉ちゃん、これ……私を楽しませる絵じゃ、なくて……助けてって、ずっと、言ってたの……? 私、何も知らなかったから……気づけなくて……ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
自分が無邪気に喜び、宝物として抱きしめてきた手紙。
それが、お姉ちゃんの血の滲むような悲鳴だった。
シーナはその場に崩れ落ちて泣きじゃくった。
「シーナ……!」
セリアは車椅子の肘掛けに手をかけ、ふらつきながらも身を乗り出した。
侍女が慌てて支える。
それでもセリアは、泣きじゃくる妹の小さな肩を、震える手でそっと抱き寄せた。
「いいのよ、シーナ。泣かないで」
痩せた手が、妹の濡れた頬を優しく拭う。
「あなたは、読めなかった……でもね、捨てなかったでしょう? 一年もの間、ぼろぼろになるまで、ずっと宝物にしてくれていたでしょう?」
「お姉、ちゃん……」
「お姉ちゃんを大好きでいてくれた、その気持ちが、この手紙を今日まで守ってくれたの。だから真実は、ちゃんと皇妃様に届いた……私を救ってくれたのは、あなたよ、シーナ」
姉妹が抱き合って泣く姿に、ザガロは焦燥をあらわにした。
「ふ、ふん! そんな紙切れ、どうとでも偽造できる! だいたい、ただの下働きとして雇ってやっただけの平民の女の、ちっぽけな『癒しの力』などを、マチルダの聖なる力にどうやってこじつけるつもりですか!」
その言葉に、コンスタンツ皇妃の紫の瞳がすっと細められた。
「……妙ですね。ただの下働きだというその娘に『癒しの力』があることを、なぜご存じなのです?」
「あ……」
「瀕死の娘をわざわざ路地裏に捨てたのは、自分の屋敷で死なれて騎士団が動くのを恐れたからでしょう? あなたの浅はかな保身が、結果としてこの娘の命を繋いだのです」
致命的な失言に顔面蒼白となるザガロの横で、マチルダが悲鳴のように声を上げた。
「ま、待ってくださいませ! だとしても、私が聖女である事実は揺るぎません! 現に私の手からあふれる癒しの光を、皇妃様もご覧になったはずですわ!」
「ええ、見ましたよ。本物の癒しとは思えない、不自然な光をね」
コンスタンツ皇妃は扇をパチンと閉じ、マチルダを冷徹に見据えた。
「あなたの奇跡は、あらかじめ抽出された魔力をただ放出していただけのこと……屋敷を捜索しなさい。必ず『証拠』が眠っているはずです」
「はっ!」
ザガロが止める間もなく、騎士たちが屋敷の奥へと踏み込んでいく。
やがて、慌ただしい足音とともに、騎士たちが一つの報告と現物をもたらした。
「皇妃殿下。地下の隠し部屋にて、人を監禁するための厳重な檻と……他者の魔力を強制的に吸い上げる、違法な魔道具を発見いたしました!」
禍々しい鈍色の魔道具が、白日の下に引きずり出される。
マチルダが誇っていた『奇跡』が、セリアから搾取されたものだと証明された瞬間だった。
もはや一切の言い逃れは不可能だった。
「平民を騙して力を搾取し、偽りの奇跡をでっち上げた……国家への反逆に他なりません。――連れて行きなさい」
ザガロとマチルダは、悲鳴を上げながら騎士たちに引き立てられていった。
読めたはずの貴族たちが見落とした手紙を、読めなかった妹の愛が守り抜いた。
それが、強欲な者たちを奈落へ叩き落としたのである。
四 若草色のピクニック
この事件は、帝国を大きく変えた。
平民の能力者を貴族が不当に搾取してきた実態が白日の下に晒され、コンスタンツ皇妃の主導のもと、『力を持つ平民の権利を保護する』という、歴史的な法が定められたのだ。
これにより、多くの人々が救われることとなった。
力を取り戻したセリアは、帝国初の『平民出身の真の聖女』として皇宮に迎えられた。
かつて妹のために優しい嘘をつき続けた強い女性は、今や美しい聖衣に身を包み、多くの人々を癒す光として輝いている。
「シーナ。お父さんとお母さんの本当のこと、ずっと隠していて、ごめんなさい」
シーナは晴れやかな笑顔で首を振った。
「ううん。お姉ちゃんが、私を一人ぼっちにしないために頑張ってくれてたこと、ちゃんと分かってるよ。……私を育ててくれて、ありがとう、お姉ちゃん」
姉妹は深く抱き合った。
かつての哀しい嘘は、もう二度と切れない絆へと変わっていた。
◆
セリアが皇宮で立派に務めを果たすようになった後。
シーナは華やかな貴族社会からの誘いをすべて断り、住み慣れた下町へ戻った。
あの食堂の夫婦も店を再開し、シーナを温かく迎え入れてくれた。
泥にまみれて働く平民の暮らし。
けれどそこには、確かな温もりがあった。
そんな食堂の裏口に、夕暮れどき、ときおり顔を見せる少年がいる。
飾り気のない麻のシャツを着ていても、立ち居振る舞いの気品までは隠しきれない。
あの臨問の日、姉のために一歩も退かなかったシーナの健気さに心を打たれた、皇妃の三男――アレン第三皇子だった。
「やあ、シーナ。今日も水汲みを手伝いに来たよ」
「もう、皇子様がそんなことしなくていいのに」
「君の作る賄いのほうが、皇宮の晩餐より美味しいんだ。仕方ないだろう?」
照れたように笑い合う二人を、食堂の夫婦は微笑ましく見守っている。
その先にどんな未来があるのかは――まだ、誰にも分からない。
けれど急ぐことなど、何もなかった。
◆
それからしばらく経った、よく晴れた休日のこと。
帝都郊外の緑豊かな丘の上に、楽しげな笑い声が響いていた。
木陰に広げた大きな敷物の上には、シーナが腕によりをかけて作った、下町風のお弁当がずらりと並んでいる。
「まあ、シーナ! このお料理、本当に美味しいわね」
皇宮からお忍びでやってきたセリアが、飾り気のない白い外出着の裾を気にもとめず、嬉しそうに目を細めた。
「えへへ。市場のおばさんが、いいお野菜を安くしてくれたんだ。『聖女様の妹ちゃんだから』って」
「ふふ。違うわよ、シーナ。あなたが毎日まじめに働いているのを、みんなちゃんと見ているからよ」
サンドイッチを頬張り、顔を見合わせて笑う。
届かなかった一年の分まで、二人はたくさん話した。
他愛のない、けれどかけがえのない話を。
爽やかな風が丘を吹き抜け、よく似た若草色の髪を、ふたつ並べて優しく揺らす。
文字の読めない妹が、それでも捨てずに抱きしめ続けた、一通の手紙。
姉の愛が綴り、妹の愛が守り抜いた、その手紙は、皇宮の宝物庫ではなく――下町の小さな家の、ランプのそばの棚に、今日も大切にしまわれている。
そして今、シーナは毎晩、食堂のランプの下で少しずつ字の勉強を始めている。
お姉ちゃんからもらった手紙を、いつか自分で全部読めるように。
いつか、自分からお姉ちゃんに手紙を書けるように。




