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重ねの魔女  作者: 焼魚圭
7/8

4 噂

 大きな欠伸をしながらベッドから身体を起こしてあたりを見回す。結局あの森で怪奇現象など見られなかった事を思い出し、追憶の中で肩を落とす本康に対して嘲笑を向けて昨夜纏めた本たちを背負って古紙回収の倉庫に出す。かつての思い出などに意味はなく、役に立つものは現実を見つめる目だけ。これまでファンタジーや大袈裟なドラマといった作品に触れてきた時間を全て勉強に充てるべきだった、近年でも投資や人と関わるためのハウツー本などといった役に立つものだけに触れておくべきだったと後悔するも既に返ってくることのない時間に忌々しさを感じるだけ。今になって必要だと思うものに一切触れてこなかった過去の自分に中指を立てて今の自分に情けなさを感じていた。

 どれだけ歩いたところで全ては無駄に過ぎない。無駄なものを処分するために費やす時間すら無駄でしかないものの必要なことであるがためにやむを得ないと言ってひたすら捨て続ける。何度往復しただろう。全て運び終える頃には出発の時間が近付いていた。ゲームやCDといった趣味の範囲で部屋に残された品を全て分別して袋に入れ、鞄を手に取る。間違いなく家の中はスッキリとしているもののまだ不要な飾り物を捨てなければならない。それらこそ無駄なものでしかないというのだから。

「なるほど、そういう考え方か、人としてどうかな」

「要らないことのために手抜きするような人間こそどうかと思うぞ」

 仕事のこと以外考える必要はない。結婚など出来ないのだから親より早死して遺産を残せることを祈りつつ生きるだけ。妻がいるのであればもっと我慢が必要だろう。一日二食だけ、なおかつ米だけを貪る生活だろうか。そうならなかったのは幸運だと語ってみせたところ本康は苦笑いを浮かべていた。

「確かにね、今の女ならそんなこと言うかも知れないしかなり怖いな」

 友人以外の誰にも期待することなく生きるだけ。そう語る本康だったもののそれもそれで違うと否定してみせた。

「信じるべきは仕事仲間と労働だけだ」

「それ他の人に共用するなよ、パワハラだから」

「そんな価値観取り払えよ、男は穢多非人って言って死ぬまで労働と食事睡眠だけ取らせればいいんだ、会社から一歩も出ない便利な道具として」

 久利の価値観は新たな奴隷制度、実行されることがあれば絶望する人物が大半だと言うことは初めから分かっていた。しかしながら現在という人間らしさに甘え切った男を粛清して労働ロボットとする必要性を説かずにはいられない。

「なるほど、久利の考えが世間の常識になったらそれこそディストピア作品の世界だな」

「現実をディストピアだと認識する方が悪いだけだろそれ」

 そうして本康に日頃の怠惰な生活に慣れきった身体が受け入れられそうにもない程度の量の仕事を与えて彼の顔がみるみるうちに渋みを帯びていくさまを見ては笑わずにはいられなかった。

「結局気に入りのポスターまで捨てたのか」

「あれももう捨てるつもりだ」

「ミニマリストにでもなるつもりか」

「ミニマリストだったら無駄なものを持たない、感情や自由も無駄だからそういうのも要らないはずしそれも悪くはないな」

 人間であることそのものを捨て去ろうとする危険人物、そういった認識を抱いてしまった本康という哀れな男との価値観の距離を見定めてつい激しい言葉を飛ばしてしまう。

「いいか、俺達には個人らしい生き様など要らない。故人となるように働くだけだ」

「ずっと同じような事しか言えなくなるのは話題がないからかな」

 既に過去に蓄積していたはずの話題まで手放してしまっていたものだが会社に必要なものは、持ち込むべきものは労働力ただ一つ。話題など仕事に関して作り上げればそれだけでいいものだと久利は告げるものの本康はゆっくりと首を左右に振る。

「良くないな仕事を円滑にするのはコミュニケーションもだ、仕事だけだと見識が狭まって会社そのものが終わる」

「だったら男は必要なものだけを取り揃えて、社会は男に対しては必要なものだけを供給すればいい、女は子を育てる役割があるからな」

「そんな将来だと女の子みんな生まれてくる子が女であるようにって願うだろうな」

 大きな野望を抱え、会社の中で男に対して今日の仕事だけで六度ほど怒鳴り散らして幾つもの罵倒を並べてみせる。本来こう在るべき、社会の姿が歪になってしまっている事に対する修正を図らなければならない。太古より人間という種族の男とは常に命と隣り合わせの狩りに出ていた方の性別。社会でも命を落とす程度の仕事を与えるのが正しい在り方だと上司へと咆哮を上げる姿はどのように映っていただろうか。上司は目を丸くしながらもすぐさま表情を引き締めて微かな口の動きで告げる。

「久々に男を見た気分だ。この会社にはコンプライアンスなど要らない、それで行こう、ただし上にも通さなきゃいけないから期待しすぎないように」

「ありがとうございます」

 納得したかのような振る舞いであるものの実行できるか、信用するには早すぎると感じてしまう。きっとこれからも彼に対して何度でも詰め寄ることになるだろうと言った覚悟を持って一旦は仕事に熱を注ぐこととした。



 静かな部屋の中で皺の入った顔をした男は脂肪を蓄え始めた程度といった具合の腹を揺らしながら席に着いてハンカチを取り出す。脂に塗れた汗を拭く姿は本康の心の底に膨大な嫌悪感を呼び起こす。

「あいつ、いきなりおかしくなったがどうしたんだ」

「はて、急に変な思想に走ってますがどうしたのでしょうか」

 本康にも理解は出来ない、そんな意見を提出せずにはいられなかった。彼には何かが取り憑いているように性格が変わったように見えるが実際のところ不明でしかない。そもそも取り憑くものといった存在自体が非現実的。

「三十代に入ってますしそろそろ化け物にでもなり始める頃ではないでしょうか」

 男女問わず一定以上の年齢に達して以降、歳を重ねる毎に様子がおかしくなる人物がちらほら現れ始めるもので。本康はそういった類の話だと言って譲らない。彼の本心を覗き込むとそこには面倒だの社会の意識の高い会話等といったものは嫌いといった意見を拝むことが出来るだろう。

「確かに肝試しとか行きましたけどその前の飲み会辺りからおかしかったのでそういうファンタジーではないと思います」

 茶化すように言おうとしたものの流石に控えてしまう。今という場では無難な言葉選びが求められるのだから本康にとっては退屈で仕方がない。表情から気が付いているだろう。気が付いていないなどとは言わせない。そんな姿勢で臨んだ本康の本音を見破ることが出来ないほどに愚かな上司ではなかった。

「そうか、彼のことちゃんとよろしく頼む」

「困ったらすぐにでも精神科に放り込みます」

 雑な対応だったものの上司の顔は満足といった様子を見せており、これ以上面倒な会話を必要としない事を確認して本康は逃げるように走り去った。

 いつもの通り怠惰な時間を溶かして帰りの時間が訪れて。即座に鞄を手に取り会社を出る。歩き出して軽く気分転換をはかっていた本康はある光景に衝撃を受けてしまった。夕日が顔を半分だけ覗かせた空の下、カフェの外に設置された席で数人の男に慰められながら紅茶を啜る人物の顔には見覚えがあった。

「会社であんなこと言っておきながら好き勝手してるのかよアイツ」

 見るからに久利の顔だったものの、力の抜けた顔は同一人物とは思えないほどに気配が異なる。騙された気分で本康は家に帰り、部屋に戻る時の足音でいつも以上に地を蹴るように踏みながら歩いていたのだと気付かされて不機嫌を無理やり取り払った。

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