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重ねの魔女  作者: 焼魚圭
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3 肝試し

 酒が人々の態度を大きく作ってしまうという状況は何度見てきただろう。久利は友人と名付けられているはずのそれらを見つめては鼻で笑い、次いで自信のことまでもが馬鹿馬鹿しく思えてしまう。本を読み慣らすことは確かに会社の中でも書類に目を通すことに役に立つ。難解な語彙を使うものであれば尚更。しかし、読むことに既に手慣れてしまっている今の己には不要なもの。帰ったら全て捨て去る事を検討していた。そのような考えを巡らせる時間をくれた飲み会という場に感謝を抱いていた。

「ところで久利はまだ本読んでるのか」

「まさか、今の俺には不要の長物だ。今の仕事の役に立つことなんか書いてないからな。それより本康は、いや、別に大丈夫か」

「なんだよ。本を読めだの別に大丈夫だの忙しいやつだな」

 その点については反省を言葉にして終わりとする。これからは必要ないそれを手放して。この世に必要なものは労働と生きるために行なう諸々最低限のことだけ。この世界の真実といえば男は義務だけを果たしていればいいということ。

「そんな生き方苦しくないか」

「知るか、じゃあ一生苦しみ続けてろ」

 人間としての手本とは、模範とは無感情の境地。それが久利が辿り着いた結論に他ならない。彼らの酒は進む。しかしながらそれについても久利は一人につき三杯までという制限を課して全員今手にしいるジョッキに注がれた酎ハイを最後の一杯とする。そうすることで本康が慌てたように話題を切り開いてみせる。

「そうだ、食べ終えたらさ、近くの森で肝試ししよう」

「魔女の住むとか言われてるあのコテージだか元管理者用の家だろ」

 久利はその真実をしっかりと見ていた。結局のところ心霊スポットなどと呼ばれるところは事件や事故と言った曰くや雰囲気といったもので飾り付けられた幻想に過ぎないのだ。相手にするまでもなかった。

「馬鹿馬鹿しい、仕事の役に立たないものなんか要らない」

 久利の冷たい目を見つめては本康の目は影を帯びる。続いて嘲笑の笑みを浮かべ、周囲もまた同じように久利の顔を見つめては笑い声を零しながら枝豆をつまんで。飲みすぎてすっかり泥酔している二人の隣に座る男が語り始める。

「仕事だけを軸に生きるような姿、いつか折れてしまう」

「別にいい、折れても仕事だけやってろ。人権なんて言葉は甘えだし言い訳。そんないかれた価値観が蔓延したのはつい何十年前とかの話だし」

 言葉を切り、周囲の喧騒に耳を立てながら本康を睨み付ける。彼は仕事というものを完全に見下している。男として生まれた以上は最低限だけをこなすことが正解。本来であれば妻や子を持ち、自由や楽しみといった明るい事は全て彼女らに丸投げして男は永遠に死にながら生きているべき。不変の意見を普遍させたくて仕方がない。久利の中では男は全員奴隷程度の存在価値しかないのだから。

「昭和と令和の悪いところ取りだなそれ。ネットか何かに毒されて自暴自棄になった男の末路か」

 中世なら仕方ないとして、などと口にしながら先程までテーブルに無かったはずの冷奴を口にする男を目にしておつまみの注文も禁止する。久利は父の姿を思い出し、笑い声を零す。彼は常に仕事のことを第一に考えて年金を収めることを放棄して働いて。定年退職を経て最終的には二つのアルバイトを掛け持ちして昼夜問わず働き過労で世を去った。今の彼にとってはまさに手本のような存在。結婚の可能性が潰えた以上は母よりも先に雀の涙程度の遺産を残して地獄に落ちるのが適切だろうかと考え抜く。つまるところ無駄を嫌うがために親不孝者と成り果てるのだ。

「なるほど、自分含めた人間を使い捨ての道具としか見てないのは父譲りか」

「それより肝試し行こうぜ。そいつを改心させるのは無理だ。会心の出来を持つ言葉でも鼻で笑うだけだぜ」

 本康は仕事すら放棄して給与を得るような人物であるものの、そのような怠惰を背負っていても久利の価値観を理解しているようだった。しかし久利が欲しているのは諦めでなく同調。全ての男が仕事のために死すること。殉職は誉れだという価値観が当たり前となることだった。倫理観など金にならない、つまりゴミ程度の価値すらないのだから。

 飲み会を終えて久利は帰ろうとしていたものの無理に引っ張られ森へと連れて行かれる。微かな風によって葉の擦れる音が肝試しへと誘っているようにすら感じられてしまう。昼間であれば深い緑に覆われた木々だろう。今は空の色と同化して黒く色付いていた。

「怖いんだろ、久利。度胸は仕事の役に立つぜ」

「知るか」

 暗いだけ、感情は特に色を持つこともなく。景色が揺らすものは時間と周囲だけで久利は流されることもないままそのままそこに在るだけ。穴埋め要因に近しいと勝手に思っては帰ってから処分するものを今のうちに考えていた。

「そこだな」

「相変わらず怖いな、昼でさえ不気味なのに夜なんて尚更だろ」

 男たちが情けない感想を挟んでは見つめているそれは屋根が所々剥がれて土埃や草木が積もったり壁に飾りのように刺さっている建物。年季を感じさせるそれは子ども連れの家族がバーベキューを楽しむために訪れるその場所に放置しておいていいものだろうか、危険があるのではないだろうかと考えずにはいられなかった。

「で、入るには鍵が必要だが」

 建物の中と外を隔てるべくドアに掛けられた南京錠が軽く揺れている。このまま計画は終わりだろうか、それとも管理人から鍵でも預かっているのだろうか。企画を立てているからにはその辺りは考えていなければならないことだろう。

「これもう飾りでしかないんだよな」

 言葉にしながら口笛を吹きながら南京錠を軽々と外す姿を見て鍵の役目などとうに果たせない状態なのだと思い知らされた。南京錠の跡が錆となって重苦しい色合いを残している。風情と取るべきか惰性の痕跡と取るべきか。

「役立たずは人以外にもいたんだな」

「先人のやんちゃのおかげだから感謝しな」

「法律に反している」

 このような事をして喜ぶのは中学生までだろうと思いつつ本康の後に続いて入ってしまう己の情けなさを恨んで。開いたドアの向こうに佇む景色は元々は無機質な壁だったであろうそれが突き破られて木々や落ち葉で飾られたもの。テーブルには埃だけでなく土まで乗っていて汚れが酷い。この狭い建物に恐怖を覚えろというのは無理のある話だった。

「肝試しって法を破って入ることを言うのか」

 逮捕されては恐ろしい、社会を普通に生きる術を手放し永遠に不要な罪と向き合わなければならなくなってしまうリスク、確かに肝試しと言うにはちょうどいいかも知れない。

「ここには昔年老いた管理人が住んでいて、みんな魔女と呼んでたみたいなんだ」

「よくある話だ」

 この事自体は特段珍しさも感じられない。裏で魔女と呼ばれる女性などどこの会社に一人くらいいても不思議ではないという事実を、実際二人の勤める会社にもいるという噂を突き付けたくて仕方がなかった。

「それがさ、変な薬とかをよく作っては不思議な現象を起こしていたって噂なんだ」

 ハーブティーを薬とでも呼んでいたのだろう。噂を流した人物は恐らく男でハーブティーのことなど知らずに確認すら取らずに薬と呼んでいたのだと容易に想像がついてしまう。やがて噂に尾ひれや背びれがついて立派な嘘つき魚の言の葉が作り上げられた、というものだろう。

「しかも死後十数年も経つことで新たな噂が現れた。魔女の声が聞こえるとか影がちらりと見えたり」

 それについても風や侵入者と柱やドアと言ったものの影が重なり合って生まれた勘違いに過ぎない。冷静さを欠いた男の考えなど取るに足らないものだと久利は大きなため息をつくばかり。

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