第九話 それでも、生きたい
虫は、まだそこにいた。
逃げないただ、くねくねと動いているだけ。
まるで、自分がこれからどうなるかなんて、何も知らないかのように。
「……」
俺は、それを見下ろしていた。
膝をついたまま息を浅く吐きながら。
腹が痛いさっきよりも、もっと強く。
キリキリと内側から、削られるように。
体に力が入らなくなってきた指先が冷たい。
視界の端が、暗い。
このままじゃ、本当に死ぬ。
わかっているんだはっきりともう、逃げられないと。
俺は、震える手を伸ばした。
そして指先が、虫の上で止まる。
「……ごめん……」
何に対しての謝罪なのか、自分でもわからなかった。
虫に対してなのか自分に対してか。
それとも――人間だった頃の自分に対してか。
指で、虫を掴む。
柔らかい。
「っ……!」
全身に、嫌悪感が走る。
鳥肌が立つ。
吐き気がこみ上げる。
でも離さなかった。
離したら。俺は、終わる。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
口に近づける。
手が震える歯も震える全身が震える。
そして心臓が暴れる。
「……」
目を閉じる。
見たら、無理になる気がした。
口を開ける。
そしてとうとう入れてしまった。
「――――っ!!」
反射的に、吐き出しそうになる。
ぐにゃりとした感触口の中で動く感覚すべてが気持ち悪かった。
「うっ……!」
吐き気でも必死に、噛んだ。
ぐしゃ。
何かが潰れる感触
味は苦い土みたいな味だった。
腐った葉っぱみたいな味。
「……う……」
涙が出たでも飲み込んだ。
喉を通って体の中に入っていく。
虫が俺の中にと考えるだけで気持ち悪い
「……はぁ……はぁ……」
呼吸が荒い。
食べた俺は虫を食べた。
人間として、絶対にしないと思っていたことを。
でも生きるために仕方なくやった。
胃の中に、何かが入った感覚がある。
ほんの少しだけ。
ほんの、本当に少しだけ。
さっきまでの、空っぽの絶望が和らいだ気がした。
「……」
でも足りない全然足りない。
こんな小さな虫一匹じゃ。
焼け石に水だ。
それでも何もしないよりは、マシな気がした。
俺は、地面を見たまた、虫がいないか。
必死に探す。
でも。見つからない。
さっきの一匹だけだった。
「……はは……」
笑う。
もう、自分が何をしているのか、わからなかった。
俺は、人間なのか。
それともただの、虫を食う生き物なのか。
立ち上がろうとしたでももう足にほとんど力が入らなくなっていた。
ふらつく。
「……っ……」
歩く
一歩
また一歩。
どこへ行くのかもわからないまま。
ただ。ここにいたら、死ぬ気がして。
だから歩いた。
木の間を抜ける。
枝が、腕に当たる。
痛いでも止まれない。
止まったら、終わる気がした。
視界が揺れ空が、回る。
足がもつれるそれでも歩いた。
歩くしかないんだ。
生きたいただ、それだけで。
その時。
――パキッ
音がした。
俺のものじゃない。
今度こそ本当に終わるんだなと思った。
顔を上げるぼやけた視界の中。
何かがいた。
影それは人の形をしていた。
背が高い二本足で立っている。
「……え……?」
幻覚かと思った。
空腹で、頭がおかしくなったのかと。
でもそれは、動いた。
確かに俺の方へ。
ゆっくりと近づいてくる。
そして声がした。
「――おい」
低い声知らない声。
でもはっきりとした、人の声。
「――なんで、こんなところに子供がいる?」
その瞬間体から、力が抜けた。
「よかった....」
これでようやく助かると思った。
安堵感を感じたとたん視界が暗くなり意識が、落ちていく。
最後に見えたのは俺を見下ろす人間の姿だった。




