表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/15

第七話 奪われた「初めての」

肉は、まだそこにあった。

岩の上に置いたままの、小さな魔物の死体。

薄い皮膚の下にある、赤黒い肉。

俺が、自分の手で初めて殺した存在。

そして――俺が、初めて食べるはずだった「食べ物」。

 

腹が鳴った。

ぐうう、と、情けない音が森に溶ける。

誰もいないのに、誰かに聞かれた気がして、俺は周囲を見回した。

何もいない。

……本当に?

わからない。

 

「……火……」


俺は呟いた。

火があれば。

焼ける。

安全になる。

ちゃんと「食事」になる。

生じゃなくて済む。

人間として、最後の一線を守れる。

だから俺は、諦めなかった。

 

石を拾う。

固そうな石。

別の石に叩きつける。


カンッ

カンッ

カンッ

 

何も起きない。

 

「……違う……違う……」


もっと強く。

もっと速く。


カンッ!!

カンッ!!

 

手が痛い。

指の皮が擦れる。

それでも、火は出ない。

火花すら出ない。

 

「なんでだよ……」


震える声が漏れる。

知識はある。

テレビで見た。

石と石で火が出る。

木と木を擦れば火が出る。

でも現実は――出ない。

俺は木の枝を拾った。

乾いていそうな枝。

それを地面の上の枯葉に押し付ける。


擦る

擦る

擦る

ひたすら擦っていた。

 

ギリ、ギリ、ギリ……

 

手が痛い。

腕が痛い。

息が荒くなる。

でも煙すら出ない。

 

「……っ……」

 

俺は歯を食いしばった。

なんでできない。

なんで俺は、こんなことすらできない。

勉強もできなかった。

運動もできなかった。

受験も、ギリギリだった。

そして今も火すら作れない。

俺は――何もできない。

枝を投げた。

乾いた音を立てて転がる。

 

「……クソが……」

 

涙が出そうになる。

でも、出ない。

もう、涙すら出ない。

腹が痛い。

空腹で、内臓が自分を食ってるみたいだ。

視線が、肉に向く。

赤い生の肉。

 

「……」

 

喉が鳴った。

嫌だ。

こんなの食べたくない。

でも食べなきゃ。

死んでしまう。

ゆっくりと、手を伸ばす。

指先が震える。

 

「……俺は……」

 

人間だ。

そう思いたかった。

でも今の俺は――

ただの、弱い生き物だ。

肉を持つぬるくて柔らかい感触だった。

とても気持ち悪い。

吐きそうになる。

それでも口に近づける。

 

「……」

 

鼻を塞ぎたかった。

目を閉じたかった。

でも、閉じたら怖かった。

何かに襲われる気がして。

だから、目を開けたまま。

肉を口に入れようとした、その瞬間。

 

 ガサッ!!

 

「っ!?」

 

何かが動いた。

すぐ近くで。

反応するより速く。

 

 バッ!!

 

何かが、俺の手から肉を奪った。

 

「え……?」

 

軽い手の中が、空だ。

視線を向けるとそこにいたのは黒い影。

小さい犬より小さい。

でも、ネズミより大きい。

細い体で長い尾そして光る目。

俺を見ている。

口には――俺の肉。

 

「ま、待て……」

 

声が出ない。

足も動かない。

黒い影は、一瞬だけ俺を見た。

そして闇の中へ消えた。

 

「……」

 

静かになった。

森は、何もなかったかのように、ただそこにある。

俺の手は、空のまま。

何もない。

 

……何も。

 

腹が鳴った。

 

ぐうう……

 

さっきより、虚しい音。

 

「……あ……」

 

声が漏れる。

追えなかった。

取り返せなかった。

俺は奪われた。

初めての食べ物を。

初めての、生きるチャンスを希望と共に。

何もできずに。

ただ、見ているだけで。

膝から力が抜け座り込む。

地面が冷たい。

 

「……なんでだよ……」


小さく呟く。

俺は、こんなに頑張ったのに。

怖かったのに。

殺したのに。

それでも何も、手に入らない。

 

頭の中に、文字が浮かぶ。

 

【ロキの試練】

――奪われても、絶望するな

 

「……」

 

ふざけるな。

絶望するな?

無理に決まってるだろ。

俺は今、何も持っていない。

火も起こせない。

食べ物もない。

力もない。

あるのは――空腹だけ。

腹が痛くて寒くて怖い。

生きていることが、苦しい。

でもそれでも俺は――まだ、死んでいない。

それだけが。

唯一の事実だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ