第五話 初めて奪った命
灰色の獣は、小さかった。
本当に、小さかった。
ゴブリンよりも細く、腕も短く、牙も小さい。
それでも。
真人には十分すぎるほど“怖かった”。
相手も動かない。
じっと真人を見ている。
逃げるか。
襲ってくるか。
わからない。
真人の手は震えていた。
石を握る指に力が入らない。
(無理だ)
そう思う。
(やめろ)
そう思う。
(逃げろ)
心の中の声が、何度も叫ぶ。
だが、別の声がする。
(逃げたら、次はない)
水もない。
食べ物もない。
このままでは、いずれ動けなくなる。
動けなくなれば、終わりだ。
食われる。
それだけだ。
視界に文字が浮かぶ。
【恐怖から逃げるな:進行中】
「……っ」
真人は、息を吸う。
冷たい空気が肺に入る。
怖い。
それでも。
一歩、前に出た。
灰色の獣が、反応する。
低く唸る。
グルル……
逃げない。
真人も逃げない。
時間が止まったようだった。
次の瞬間。
灰色の獣が飛びかかってきた。
「っ!!」
真人は反射的に腕を振る。
石が空を切る。
当たらない。
牙が腕をかすめる。
痛み。
浅い。
だが、怖い。
距離が近すぎる。
臭い。
獣の臭い。
真人は後ずさる。
転ぶ。
空が見える。
終わり。
そう思った瞬間、灰色の獣が再び飛びかかる。
真人は、叫びながら石を振り上げた。
「うあああああ!!」
振り下ろす。
偶然。
本当に、偶然。
石が、獣の頭に当たる。
鈍い音。
獣が崩れる。
動かない。
真人も動けない。
時間が止まる。
呼吸だけが荒い。
「……え」
震える手で、もう一度石を握る。
獣は動かない。
目は開いている。
だが、動かない。
「……」
真人は、理解する。
死んだ。
自分が。
殺した。
石が手から落ちる。
カラン
乾いた音がした。
吐き気が込み上げる。
「……ぁ」
胃の中には何もない。
それでも吐く。
何度も。
何も出ないのに。
手が震える。
止まらない。
怖い。
達成感なんて、ない。
ただ、気持ち悪い。
ただ、怖い。
ただ、理解してしまった。
自分は殺してしまったんだと。
ここでは、こうやって生きるしかない。
奪わなければ、生きられない。
視界に文字が浮かぶ。
【ロキの試練】
・恐怖から逃げるな ✔
・嘘をつくな
変化は、それだけだった。
強くなった感覚はない。
力も増えていない。
何も変わっていない。
ただ。
一つだけ、変わった。
真人は、もう“殺したことのない人間”ではなくなった。
ロキの声が響く。
『どうだ?』
真人は答えない。
答えられない。
『生きるとは、奪うことだ』
「……黙れ」
かすれた声。
涙が止まらない。
それでも。
真人は、倒れた獣を見る。
このままでは、腐るだけだ。
無駄になる。
震える手を伸ばす。
怖い。
触りたくない。
それでも。
生きるために。
真人は、初めて、自分の意思で“次の行動”を選んだ。




