第十三話 名前を呼ぶということ
奴隷になって、何日経ったのか。
わからなかった。
朝パンを投げられる。
昼何もない。
夜藁の上で寝る。
それだけだった。
時間の感覚が、消えていく。
檻の中は、変わらない。
同じ木の柵。
同じ鉄の首輪。
同じ臭い。
汗と汚れと絶望の臭い。
最初は、怖かった。
でも慣れてきた。
慣れてしまった。
それが、一番怖かった。
「……」
隣の檻を見る。
あの痩せた少年。
最初に話しかけた時は、何も答えなかった。
でも最近は少しだけ、違った。
目が合う時間が、長くなった。
逸らさなくなった。
それだけそれだけなのに。
少しだけ安心した。
ある日の朝。
いつものように、パンが投げられた。
ガサッ
俺は、それを拾う。
そして隣を見る。
少年も、パンを見ている。
少し迷ってから。
俺は、口を開いた。
「……名前……あるのか?」
少年が、動きを止めた。
パンを持ったまま固まる。
聞こえなかったのかと思った。
でも違った少年の喉が、動いた。
「……」
声を出そうとしている。
でも出ない。
長い間、話していなかったのかもしれない。
そして。
「……カイ」
それは小さくカスれた声だった。
でも確かに名前を言った。
「……カイ……」
繰り返す。
少年カイは、少しだけ驚いた顔をした。
たぶん。名前を呼ばれるのが、久しぶりだったのだと思う。
「俺は……真人」
自分の名前を言う。
カイは、何も言わなかった。
でも少しだけ。
目が変わった気がした。
完全に死んでいた目がほんの少しだけ戻った気がした。
それから。
少しずつ。
話すようになった。
「……どこから来た?」
俺が聞く。
「……わからない……」
カイが答える。
「……気づいたら……捕まってた……」
それだけそれ以上は、言わなかった。
言えなかったのかもしれない。
俺も、自分のことは言わなかった言っても、意味がないから。
異世界から来たなんて。
信じるわけがない。
ある日カイが、聞いてきた。
「……怖いか?」
何が、とは言わなかった。
でもわかった。
「……怖い」
正直に答えた。
カイは、少しだけ頷いた。
「……俺も……」
それだけ。
それだけなのに。
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
一人じゃない。
同じ恐怖を持つ人がいる。
それだけで少しだけ。
救われた気がした。
夜檻の中で、横になる。
「……真人」
カイが、小さく呼んだ。
「……なんだ?」
「……お前は……」
少し間があった。
「……死にたくないか?」
その言葉胸に刺さる。
死にたくない当たり前だ。
でもこの世界は簡単に、死ぬ。
森で、死にかけた。
そして今は奴隷として、売られる。
その先でどうなるか、わからない。
「……死にたくない」
答えた。
はっきりと。
カイは、何も言わなかった。
でも少しだけ笑った気がした。
ほんの少しだけ。
その日から檻の中は。
少しだけ、違う場所になった。
絶望だけの場所じゃなくなった。
カイがいる。
話せて名前を呼べる。
それだけで少しだけ人間でいられるような気がした。
頭の中に、文字が浮かぶ。
【ロキの試練】
【試練:奴隷から脱却せよ】
【進行状況:0%】
まだ、ゼロ。
でも完全なゼロじゃない気がした。
俺は、一人じゃない。
カイがいる。
それだけで少しだけ心が、死なずに済んでいた。




