第9話 天空の城ラミア
公爵家の敷地内を案内されるラミア。だが彼女には、誰も知らない“変わった高所恐怖症”があった。やむを得ず、キドとロエルはそれぞれ違う形でラミアに触れることに。そしてルードに報告した結果――怒られたのはどちらか軽めの一話完結エピソード。
ラミアは、キドに案内されながら公爵家の敷地を歩いていた。
城、騎士団詰所、演舞場、庭園――主要な場所はすでに案内されている。
だが、敷地の端にある場所までは、まだだった。
皇室の立場もあり、ラミアが自由に外出することは難しい。
今回は気分転換も兼ねて、ルードの命による案内である。
公爵家の敷地は、とにかく広い。
門はいくつもあり、普段使われない門を抜けても、なお敷地が続く。
「まぁ……こんな場所があるのですね」
少し移動しただけで、ラミアは感動してくれる。
その様子に、キドも女官たちも自然と頬が緩んだ。
敷地内には常に騎士がいるため、護衛を伴う必要もない。今日は珍しく、穏やかな一日になりそうだった。
鳥の声を聞きながら、キドは空を見上げる。
やがて、一段高くなった場所に建つ建物へと辿り着いた。
「こちらは景色がよく、見張り台としても使われます」
「まぁ、綺麗ですね」
ラミアは足取り軽く進み、手摺りに手を置いて外を眺めた。風が髪を揺らし、陽光が視界いっぱいに広がる。
キドも、その笑顔を微笑ましく思った。
――そのはずだった。
「キャーーーッ!!」
突然、ラミアが悲鳴を上げ、その場に座り込んだ。
「?!」
キドは反射的に片膝をつき、顔を覗き込む。
「殿下?! どうされました?!」
あまりに唐突で、女官たちも戸惑っている。
「わ、私……高いところが……」
「……?」
キドは一瞬、思考が停止した。
思わず声が裏返る。
「え、ですが……今まで平気でしたよね?」
「あ、えっと……下に建物があれば大丈夫なんです。
そこまで高くなければ……なくても……」
「?」
キドは完全に混乱していた。
視線を下へ――崖。
「あ……」
ようやく理解した。
(なるほど、建物付き高所はOK。
建物なし断崖はNG……)
――意味がわからない。
ラミアは手摺りを強く握り、震えていた。
「殿下、こちらへ。室内に入りましょう」
差し出された手に、ラミアは首を振る。
「……嫌です」
「……殿下?」
手摺りを掴む力が、さらに強まる。
(まずい、完全に固まっている)
キドは一瞬迷い、それでも判断した。
「殿下、失礼します」
手首を掴み、腰に手を回す。
「離してください!」
ラミアは抵抗し、手摺りに戻ろうとする。
「殿下、落ち着いて――」
その時。
「どーしたー?」
場の空気を粉砕する、気の抜けた声。
振り返ると、ロエルが立っていた。
「……ロエル様」
「何故ここに……」
「いやー、二人ともいないからさ。ルードに聞いたら、ここだって」
状況を一瞥し、ロエルは軽く眉を上げる。
「キド。アウト」
「……?」
「いくらなんでも、それは乱暴だぞ?」
キドははっとして、ゆっくり手を離した。
ラミアはその場に座り込み、両手を重ねて震えている。
ロエルはしゃがみ込み、そっとその手を包んだ。
「ラミア、落ち着いて。
ほら、深呼吸。ゆっくりな」
穏やかな声に、不思議なほど、震えが治まっていく。
「……すみません……」
「いいよいいよ。怖かったんだろ?」
ロエルは外套を脱ぎ、ラミアの肩にかけると、軽く言った。
「さ、行こう」
ひょい。
「?!」
ロエルはラミアを軽々と抱き上げた。
「ちょっ……それは……!」
キドが慌てる。
「え? 何か問題?」
「問題です!」
キドが食い下がるが、
ラミアは羞恥心に頬を染め、ロエルの胸元に顔を埋めた。
――が。
「説明しろ」
低い声だった。
感情を抑えた、逆に怖いやつ。
ルードは腕を組み、じっと二人を見下ろしている。
眉間には、深く刻まれた皺。
「ですよねー……」
キドは乾いた笑顔のまま、心の中で号泣していた。
(あ、これ詰んだ)
「ロエル」
名を呼ばれ、ロエルはひらりと手を上げる。
「はーい?」
「今回はお前は責めない」
一瞬の静寂。
「あ、そう?」
ロエルはあっさり言った。
「じゃあ、キドだけだね」
「えっ」
キドの喉から、情けない声が漏れた。
「え、でもロエル様も殿下を抱き上げ――」
「キド」
鋭い視線が突き刺さる。
「……はい」
「ラミアの腕が、痣になっている」
ルードは淡々と告げた。
淡々としている分、余計に怖い。
「どれだけ強く掴めば、痣になる」
「……」
キドは視線を逸らした。
(力加減を誤りました、とは言えない……)
「クドクドガミガミ」
いつもの説教モードに入ったルードを前に、
キドは胃のあたりを押さえた。
(胃が……胃が死ぬ……)
「……あのさー」
その空気を、軽々と踏み潰す声。
ロエルだった。
「次から、俺が案内するよ」
「ダメだ」
即答。
「ダメです」
キドも反射で続いた。
「え? なんで?」
ロエルは本気で不思議そうだ。
「俺、敷地のこと把握してるけど?」
「何故だ!」
ルードが声を荒げる。
「お前に、公爵家の敷地を案内した覚えはない!」
「えー? 細かいこと気にするねぇ」
「気にする!」
「まぁまぁ。だから次からは――」
「だからダメだと言っている!」
「えー? 何かあったらちゃんと報告するよ?」
「そんな報告、聞きたくない!」
「そ?」
ロエルは一拍置いて、にこっと笑った。
「じゃあ、報告しない」
「おい!!」
ルードが一歩前に出る。
「報告しなきゃならないことを、するな!!」
「えー……難しいこと言うなぁ」
ロエルは少し考える素振りをしてから、笑った。
「んー……とりあえず、俺が案内するね」
「だから!!」
部屋に、ルードの声が響く。
キドは二人の間に立たされたまま、天井を仰いだ。
(……これ、俺の立ち位置、おかしくない?)
誰も助け舟は出さない。
むしろ、火に油を注ぐ者が一人いる。
キドは二人を交互に見て、静かに思った。
(……あ、これ、俺もう関係ないやつでは?)
キドは存在感を消すように、二人の間でそっと腰を落とした。
そのまま、音を立てないように後ずさりし、部屋を離れようとする。
「キド」
低い声。
「まだ、終わってないぞ」
ドアノブに指が触れた、その瞬間だった。
ルードは振り向きもせず、背中越しに言い放つ。
「……はい」
返事は、ほとんど息だった。
キドは諦めたように立ち止まり、再び二人の方へ向き直る。
再開された二人の言い合いを、
彼はただ黙って見守るしかなかった。
(次は……俺の番だな)
そう思いながら、
キドは今か今かと、処刑の順番を待つのだった。
公爵家の日常は今日も小さな騒動でいっぱい。
ラミアの高所恐怖症ひとつで、キドとロエルは右往左往。
でも結局、怒られるのは――やっぱり予想通りのあの人でした。




