第8話 こちら異常なし
ロエルが笑いながらキドを揶揄う。キドは胃痛の原因をロエル、ラミア、ルードに押し付ける。ルードも会話に加わり、何気ない日常の茶番を繰り広げる。最後はラミアがズレた日記を書いて締める、ゆる〜い後日談回!
演舞場を出た廊下。
石造りの床に、まだざわついた気配が残っている。
遠くから聞こえる訓練用の掛け声が、やけに胃に響いた。
キドはまだ少し肩で息をしていた。
無意識に腹部を押さえたまま、ロエルを睨む。
額にはうっすら汗。顔色も、健康とは言い難い。
それに気づき、ロエルは楽しそうに口角を上げた。
まるで舞台の幕が上がる直前の役者のように、軽い調子で息をつく。
「いやぁ……」
一拍、わざと溜めてから。
「よく俺に刃を向けたな。ハハハ」
キド
「笑い事ではありません」
腹を押さえた手に、じわりと力が入る。
「俺はただ、自分の胃を守っているだけです」
ロエル
「胃?」
眉を上げる。
「さっきの続きか。じゃあ聞くけどさ」
一歩近づき、キドの逃げ場を自然に塞ぐ。
指を折って数え始めた。
「俺が胃痛の半数近くなら――」
「残りは?」
キド
即答だった。
考える余地など、胃が許さない。
「皇女殿下が、ほぼ半数」
ロエル
「ほう」
興味深そうに相槌。
キド
「……残りが、ルード様です」
言い切った瞬間、
自分で言ってしまった事実に、内臓が一斉に悲鳴を上げた。
ロエルは一瞬きょとんとしてから、吹き出した。
「はははは!」
廊下に響く、場違いなほど明るい笑い声。
「おいおい、じゃあ俺、思ったより良心的じゃないか」
「三分の一くらいじゃないか?」
キド
「割合の問題ではありません!」
声が少し裏返る。
「質の問題です!」
ロエル
「ひどい言われようだなぁ」
そこに。
「ほう」
空気の温度が、一段下がった。
低い声が割り込んだ。
振り返ると、ルードが腕を組んで立っている。
いつからそこにいたのか分からない。
ただ、逃げ道は完全に消えていた。
「俺もお前の胃痛に貢献しているようだな」
キド
一瞬で血の気が引く。
「……っ!」
顔色が変わるのが、自分でも分かるほどだった。
ロエル
「本人登場だ」
楽しそうに囁く。
「いやぁ、今のは名言だったぞキド」
「正直者」
ルード
視線をキドからロエルへ、ゆっくり移す。
「そもそも」
一拍。
「お前達は、何をしている」
廊下の空気が、目に見えて重くなる。
ロエル
「あー……いやー……」
後頭部を掻き、視線を泳がせる。
「だってさ」
軽い口調のまま、キドを指す。
「こいつが、俺のせいで胃が痛いって言うから」
キド
即座に割り込む。
「正確には!」
半歩前に出る勢い。
「ロエル様が原因の“一部”であって!」
ルード
「ほう?」
キド
「一部です!」
ロエル
「半分な」
キド
「そこを強調しないでください!」
ルード
眉を寄せる。
「具体的に、何をした」
ロエル
「えーっと……」
少し考えて、あっけらかんと。
「ラミアとばったり会って少し廊下を歩いた」
キド
「距離が近すぎました!」
ロエル
「話した」
キド
「軽率でした!」
ロエル
「笑った」
キド
「無自覚にです!」
ルード
頭を押さえる。
「……なるほど」
深いため息。
「それで、演舞場がああなったわけか」
ロエル
「いやー、筋肉祭りは予想外だった」
キド
「俺の胃は予想通り痛みましたが」
ルード
ため息が、もう一段深くなる。
「お前達な……」
一拍置いて。
「せめて、廊下では静かにしろ」
「使用人が近寄らなくなっている」
ロエル
「そりゃそうだ」
「今のキド、完全に“近づくとヤバい副団長”だった」
キド
「俺はそんなつもりでは……!」
ルード
「結果だ」
キドは反論を飲み込み、静かに胃を押さえる。
「……はい」
ロエルは肩をすくめる。
「大丈夫だって」
「俺は、これ以上お前の胃を壊す気はない」
キド
疑いの目。
「……本当ですか」
ロエル
にやっと笑う。
「たぶん」
キド
「たぶん!?」
ルード
「……俺の分は?」
ロエル
「それは知らん」
キド
「俺の胃が持ちません!」
廊下の端で、
キドは胃を守り、
ルードは頭を抱え、
ロエルだけが楽しそうに笑っていた。
ルードは深く息を吸う。
――説教に入る前の呼吸だ、と
キドの胃が本能的に理解する。
ロエルは理解していない。
ルード
「……まずな」
腕を組み、二人を見下ろす。
「お前達は、立場というものを考えろ」
キド
「はい!」
背筋が反射的に伸びる。
同時に、胃が縮む。
ロエル
「考えてる考えてる」
軽い。
ルード
「考えて“あれ”か?」
ロエル
「結果的に、あれ」
ルード
「結果で済ませるな」
キド
小さく頷きすぎて、首を痛めそうになる。
(胃だけでなく首もか……)
ルード
「まずキド」
キド
「はい!」
ルード
「お前は副団長だ」
「感情に任せて、高位貴族に刃を向けるな」
キド
「……木剣です」
ルード
「種類の話ではない」
キド
「……はい」
胃を押さえる。
ルード
「そしてロエル」
ロエル
「はーい」
ルード
「お前は自覚がなさすぎる」
ロエル
「え、俺?」
指で自分を指す。
「自覚って、何の?」
ルード
「全部だ!」
声が少し大きくなる。
廊下の遠くで、使用人がそっと方向転換した。
キド
(また人が減った……)
ルード
「お前はな、無自覚に周囲を振り回す」
「笑う、近づく、距離を詰める」
ロエル
「全部普通じゃない?」
ルード
「普通ではない!」
キド
「普通ではありません!」
胃を押さえたまま便乗。
ロエル
「えー……」
ルード
「それにだ」
一歩前に出る。
「お前達が騒ぐせいで、演舞場がどうなった」
キド
「筋肉が……」
ルード
「言わなくていい!」
ロエル
「すごかったよな」
「あれ、騎士団の新儀式?」
ルード
「違う!」
キド
「俺の胃には新しい拷問でした!」
ルード
こめかみを押さえる。
「……もういい」
「結論だ」
二人が同時に姿勢を正す。
ルード
「ロエル」
ロエル
「はい」
ルード
「しばらく自重しろ」
ロエル
「どの辺を?」
ルード
「全部だ!」
ロエル
「ざっくり!」
ルード
「キド」
キド
「はい!」
ルード
「胃薬を常備しろ」
キド
「……はい」
ロエル
「それ根本解決じゃなくない?」
ルード
「黙れ」
ロエル
「はい」
珍しく素直。
ルード
「次、同じ事が起きたら」
低い声。
「俺が直接止める」
ロエル
にやっと笑う。
「それはそれで、ちょっと楽し――」
キド
「やめてください!」
「俺の胃が先に死にます!」
ルード
「……解散」
キド
「はい!」
即座に敬礼し、逃げるように去る。
ロエル
その背中を見ながら。
「なぁ」
「副団長って、大変だな」
ルード
「原因の一端が何を言う」
ロエル
肩をすくめる。
「まぁでも」
「説教、ありがとな」
ルード
「反省は?」
ロエル
少し考えて。
「……半分くらい?」
ルード
「十分だ」
その瞬間。
廊下の角から、
キドの声が響いた。
「誰か! 胃薬を!!」
ルード
目を閉じる。
ロエル
笑う。
「ほらな」
「俺、半分だろ?」
ルード
「……次は三割にしろ」
ラミアの日記
今日は、とても良い一日でした。
朝は庭で小鳥を見て、
午後は演舞場で皆さんの訓練を見学して。
騎士の方を褒めたら、少し照れていらして、
とても嬉しそうでした。
廊下では、
キド様とロエル様とルードお兄様が
何やらお話ししているのを見かけました。
ロエル様はよく笑っていて、
ルードお兄様は腕を組んでいらして、
キドさんは少し青白かったけれど、
きっとお腹が空いていただけだと思います。
公爵家は、今日も賑やかです。
特に困ったことも起きませんでしたし、
誰かが怒鳴ることも、剣を抜くこともなく。
――
「今日も平和でした✨」
今回は内容のない、ただの会話回です。
話は進みません。事件も起きません。
でも、公爵家は今日も平和です。
こういう回が挟まるのも、きっと悪くない。
…たぶん。




