第6話(番外編:兄になる日)
幼くして両親を失ったルードは、皇宮で孤独に過ごしていた。
誰も慰めてくれない日々の中、二歳の皇女ラミアだけが無邪気に寄ってくる。
ルードの心を揺さぶり、
初めて人前で涙を流した日、彼は誓う――
この小さな命を、自分が守る兄になると。
幼い姫と孤独な少年の絆が生んだ、
静かで、温かな物語。
応接室・夜
応接室には、酒の香りが静かに漂っていた。
深い夜。重い話をするには、ちょうどいい時間だ。
ロエルがグラスを傾けながら、ふと気になったようにルードを見る。
「なぁ」
「お前にとって皇女殿下って、妹みたいなもんなんだろ?」
ルードは否定しない。
「この城に来てくれて、良かったじゃん」
「何がそんなに問題なんだ?」
軽い口調。だが、純粋な疑問だった。
ルードは、少し間を置いて答えた。
「……来てくれたこと自体は、嬉しいよ」
グラスを持つ手が、わずかに止まる。
「ラミアは、俺にとって……恩人みたいなものだ」
キドも、自然と視線を向けていた。
ルードは、ゆっくりと語り始める。
⸻
八歳の時、ルードは先代公爵と公爵夫人――両親を失った。
領地経営は補佐官たちが引き継ぎ、皇帝と皇后も皇宮から人を派遣してくれた。
幼くても、表向きは問題なかった。
だが、身の安全と心の安定を案じられ、ルードは皇宮へ移ることになった。
皇太子と第二王子は剣に夢中だった。
剣の家門の嫡子というだけで、目を輝かせて寄ってきた。
だがルードは、剣を振るう気になれなかった。
「どれだけ強くなっても、死ぬ時は死ぬ」
その言葉に、王子たちは興味を失った。
好きに過ごしていい、と言われても、何もしたくなかった。
そんな時、周囲はたまにルードを皇女の部屋へ呼んだ。
皇女ラミア、当時二歳。
誰からも愛されていた。
——正直、嫌いだった。
「俺を愛してくれる人は、もういないのに」
ある日、使用人が一時的に席を外し、ラミアをルードに預けたことがあった。
ラミアは無邪気に近づいてきた。
だが、ルードは背を向けて無視をした。
何度かそうした時――
「……いたい?」
幼い声。
「いたい、とんでけー」
ルードは、思わず振り返った。
「いたいいたい、めっ」
「とんでけー」
元気がないのを、怪我だと思ったのだろう。
——その瞬間、ルードは、ようやく泣けた。
両親が死んでから、誰も慰めてはくれなかった。
泣いている暇はないと、自分でも分かっていた。
だがラミアの前でだけ、みっともなく声を上げて泣いた。
ラミアは、ただ頭を撫でてくれた。
「よしよし」
「だいじょぶ、だいじょぶよー」
ルードはラミアを抱きしめて泣いた。
⸻
「ラミアはな」
ルードは静かに言う。
「確かに、愛されて育った」
「でも……痛みを知らない娘じゃない」
むしろ、多くの愛を受け取ったからこそ、人の痛みが分かる。
人に優しさを渡せる。
そこから、ルードとラミアはいつも一緒だった。
剣術を始めても、食事は共にし、ラミアが字を学び始めた時は教えもした。
皇太子と第二王子はラミアを可愛がってはいた。
だが、彼らの関心は常に「勝負」だった。
「こんなに可愛い妹がいるのに、なぜだ」
だから、決めた。
「俺が、兄になる」
⸻
話し終え、ルードはグラスを置く。
キドが口を開いた。
「……それなら、この城に殿下が滞在されるのは、喜ばしいことでは?」
ルードは即座に言った。
「だからだ」
声が低くなる。
「皇宮ならいい」
「だが、この城で――」
「不遜で、下劣な男が近づいたら」
「俺は切る」
「切って、切って、切りまくる」
「俺が認めない男などに、ラミアは、やらん」
決意は揺るがない。
沈黙。
最初に破ったのはロエルだった。
「……お前」
「それ一生、結婚できないやつ」
吹き出す。
ルードは即座に返す。
「お前に言われたくない」
「俺の方が早いだろ」
「いや、俺もお前も遅い」
「こういうのは、意外とキドが早い」
「……あー、それはある」
キドが、ぎょっとする。
「俺ですか?!
俺はしばらく……女は……」
言葉を濁す。
脳裏に浮かんだのは、天使のような笑顔。
ルードが身を乗り出す。
「何だ?いつだ?使用人か?女官か?」
「マジか、教えろよ」
「何もありません!」
「その反応で何もない訳ないだろ」
「キドに越されるかー」
深夜。
酒と笑いと、少しだけ重い過去を肴に。
男たちの会話は、夜が白むまで続いた。
ラミア視点
ルードお兄さまは、さいしょ、いつもかなしい顔をしていた。
みんなはラミアをだっこして、笑って、
「かわいいね」「お姫さま」っていうけれど、
ルードお兄さまだけは、いつも向こうを向いていた。
ラミアは、まだ小さくて、
「かなしい」という言葉も、よくわからなかったけど、
お兄さまのまわりは、冷たくて、静かだった。
だから、こわかった。
でも、ほっとけなかった。
ある日、ラミアはよちよちと歩いて、
ルードお兄さまの近くまで行った。
お兄さまは、なにも言わない。
こっちを見ない。
ラミアは考えた。
――どこか、痛いのかな?
だから、言った。
「いたい?
いたい、とんでけー」
小さな手で、えいってやった。
痛いのが、どこかにいくように。
すると、ルードお兄さまが、はじめてこっちを見た。
びっくりした顔。
それから、ぐしゃぐしゃの顔。
涙が、ぽろぽろ落ちてきた。
ラミアはびっくりした。
でも、こわくなかった。
お兄さまは、抱きしめてきた。
つよく、つよく。
ラミアは、なにもわからなかったけど、
ただ、頭をなでた。
「よしよし」
「だいじょぶ」
「だいじょぶよー」
それしか、知らなかったから。
お兄さまの涙が、あったかかった。
その日から、ルードお兄さまは、ラミアのお兄さまになった。
いっしょにご飯を食べて、
いっしょに笑って、
ラミアが文字を覚えると、やさしく教えてくれた。
剣を持つと、こわい顔になるのに、
ラミアの前では、いつもやさしかった。
ラミアは知っている。
ルードお兄さまは、つよい。
でも、つよいだけじゃない。
痛みを知っている。
だから、ラミアを守る。
ラミアは、いまも思っている。
――あの日、涙が出て、よかった。
もし、ルードお兄さまが、ずっと泣かなかったら、
きっと、もっとさびしかった。
だからラミアは、笑顔でいる。
お兄さまが、もう泣かなくていいように。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は少しだけ時間を遡り、
ルードとラミアの「始まり」を描いてみました。
今では堅物で過保護な公爵ですが、
その原点には、孤独な少年と無邪気な幼い皇女の出会いがあります。
この記憶があるからこそ、
彼は誰よりもラミアを守ろうとし、
誰よりも振り回される存在になったのかもしれません。
次回からは、またいつもの賑やかな日常に戻ります。
天然皇女と三人の男たちの騒がしい毎日を、
引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。




