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第5話 幸せの白いハンカチ

騎士団に皇女ラミアがキドと共にハンカチを届けに行く。キドは胃を痛めながら耐え、騎士団員たちはその様子に思わずおかしくなってしまう。緊張と笑いが入り混じる、公爵家流のちょっとした騒動。

騎士団の詰所


騎士団の詰所は、いつも通りだった。


鎧の手入れをする者、

剣を壁に立て掛けて談笑する者、

次の訓練の段取りを話す声。


その中に——

キドが、皇女殿下を伴って足を踏み入れた瞬間。


……空気が、止まった。


誰も声を発していないのに、

「気配」だけが、一斉にこちらを向く。


キドは一歩、前に出た。


「——業務の邪魔をする。

 皇女殿下が、騎士団へ御用だ」


一拍。


遅れて理解が追いついた騎士たちが、

慌てて膝をつく音が連鎖する。


「「はっ!」」


床に膝をつく音。

鎧が擦れる音。

急ぎすぎて、誰かが何かを落とした音。


ラミアは驚いて、小さく肩を震わせた。


「あ、あの……その……」


視線が、集まる。


——集まりすぎる。


キドは一歩、半身でラミアの前に立った。

戦場で自然にやっていた、守る位置取りだった。


「……殿下、こちらです」


「はい」


キドの背中に隠れるように、ラミアがついてくる。


——背中に、視線が刺さる。


(やめろ。見るな。

 その天使は、見るだけで十分危険だ)


騎士たちは、敬礼の姿勢のまま固まっていた。


ラミアは、ぎゅっと胸元でハンカチを握りしめ、

意を決したように顔を上げる。


「えっと……」

「皆さま、いつも……この国を、守ってくださって……」


声は小さい。

だが、詰所は静まり返っている。


「……ありがとうございます」


ラミアは、ぺこりと頭を下げた。


——その瞬間。


「……は?」


誰かの、素の声が漏れた。


キドの胃が、きしんだ。


ラミアは、ハンカチを一枚、取り出す。


「それで……感謝の気持ちに、刺繍を……」

「お一人ずつではないのですが……」


騎士の一人は完全に思考停止し、

別の者は顔を赤くし、

また別の者はなぜか直立不動で震えている。


(だめだ……

 これは、だめな光景だ……)


キドは咳払いを一つ。


「……皇女殿下のご厚意だ。

 代表者が、受け取れ」


「だ、代表……?」


視線が、一斉に一人へ向く。


——最年長の騎士。

顔に古傷を持つ、歴戦の男。


彼は一瞬だけ、キドを見た。


(助けてくれ)

そう言いたげな目だった。


ラミアは、両手でハンカチを差し出す。


「どうか……お受け取りください」


沈黙。


騎士は、震える手でそれを受け取った。


「……ありがたき、幸せ」


その瞬間。


「……俺も欲しい」

「俺も……」

「いや待て、順番だ」


——地獄が、始まった。


キドは額を押さえた。


(ルード様……

 これは、俺の責任なのか……?)


ラミアは、そんな騎士たちを見て、

ぱっと顔を輝かせる。


「よかった……」

「喜んで、いただけたんですね」


——やめろ。

その笑顔は、騎士団を滅ぼす。


キドは即座に前へ出た。


「……以上だ。

 皇女殿下は、これで失礼される」


有無を言わせぬ声。


騎士たちは、はっと我に返り、再び敬礼する。


詰所を出る瞬間、

背中に無数の視線と、尊死寸前の気配を感じながら。



廊下


廊下に出た途端。


キドはその場で立ち止まり、

壁に額を軽く預けた。


「…………」


次の瞬間、

ずるり、と力が抜ける。


そのまま柱に抱きついた。


まるで遭難者が、

救命浮き輪にしがみつくように。


「……俺は副団長だ」

「副団長なんだ……」


通りかかった使用人が、足を止める。


「……キド様?」


キドは、顔を上げずに言った。


「見ないでください」


「え?」


「今、騎士の尊厳が——」


一拍。


「床に落ちてます」


使用人は反射的に視線を下げる。


「……拾いますか?」


「やめてください」


即答。


「それ、まだ温かいので」


「えっ」


「そっとしておいてください」

「自然に還るのを、待ちます」


使用人は、何も言えなくなった。


その時。


「殿下ァァァァァ!!」


爆音のような声。


若手騎士が全力疾走してきて、

廊下でスライディング。


ズサァァッ。


「刺繍の件で……!」


「今じゃない!!」


気づけば、

一人、二人、三人。


廊下に、騎士団の半数。


「なぜ増える!!」


そこへ。


低い声。


「……何の集会だ」


全員、硬直。


ルードが立っていた。


空気が、死ぬ。


ルードは一瞬で状況を理解した。


騎士団の群れ。

ラミア。

柱と仲良くしているキド。


「キド」


「はい!!」


「説明しろ」


「胃が死にました!!」


「状況をだ」


「はい!!」


だが、


「殿下が刺繍を……」

「可愛すぎて……」

「俺も欲しくて……」


口々に始まる。


ルードのこめかみが、ぴくりと動く。


「全員、持ち場に戻れ」


低く、冷たい声。


騎士団は一斉に散開した。


嵐が去ったように。


廊下には、

ラミア、ルード、キドだけが残る。


「……私、何かしてしまいましたか?」


「いいえ!!」

「殿下は何も悪くありません!!」

「悪いのは世界です!!」


「黙れ」


「はい」


ルードはため息をついた。


「キド」

「今日はもう下がれ」


「……?」


「胃の回復を優先しろ」


「公爵家の公式判断ですか?」


「俺の命令だ」


キドは深く礼をした。


「……命拾いしました」


その背中は、

戦場から帰還した兵士のようだった。


遠くで、キドの声。


「胃薬ぃぃぃ!!

 誰かぁぁぁ!!」


二人は、何も言わず空を見上げた。

騎士団の団員たちの反応に、ラミアもとても満足そうでした。

ささやかな出来事ですが、公爵家の日常の一コマとして楽しんでいただけたら嬉しいです。


次回は番外編となります。

お読みいただき、ありがとうございました。

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