第17話 決戦は火蓋を切った
初夏の皇宮。華やかな庭園と厳粛な祝賀会の合間、社交界の“戦場”に胃を痛めるキドと、呑気なルード&ロエルのやり取り。束の間の休息で笑いと平和。
初夏に差し掛かる頃。
皇宮は青い花々と、若葉を纏った木々に彩られていた。
風が吹くたび、花弁が静かに揺れ、白い石畳に淡い影を落とす。
この日は、帝国にとって節目となる記念祝賀会。
午前は、厳粛な式典が執り行われる。
玉座の前、皇帝がゆっくりと立ち上がった。
広間は、衣擦れの音ひとつ許されない静寂に包まれる。
「本日、この場に集う者すべてに告げる」
老いを帯びながらも、声には衰えがない。
皇帝は、帝国の歩みと、これから先に託す未来について簡潔に語った。
そして、隣に立つ皇太子へと視線を向ける。
「次は、お前の言葉だ」
一歩前に出た皇太子は、深く一礼した。
その立ち姿に、迷いはなかった。
「帝国の未来は、皇帝一人のものではありません。
民と、歴史と、そして責任の積み重ねです」
静かな声だったが、広間の隅々まで届く。
「私は、次期皇帝として、この国を背負う覚悟をここに誓います」
言葉を終え、再び一礼する。
その後、皇帝は侍従に合図を送った。
銀の盆に載せられて運ばれてきたのは、小さな宝玉だった。
澄んだ青。
光を受けると、深海のような色を湛えている。
「これは、帝国が生まれた時より、直系にのみ受け継がれてきた宝玉だ」
皇帝は自らそれを取り、皇太子の前に立つ。
「即位を意味するものではない。
だが――次に帝国を託す者の証だ」
皇太子は片膝をつき、両手で宝玉を受け取った。
その瞬間、広間に集うすべての者が理解した。
この宝玉が渡された意味を。
皇帝は静かに告げる。
「帝国は、次の時代へ向かっている」
重々しい拍手が、ゆっくりと広間を満たしていった。
午後、皇宮の庭園ではガーデンパーティが始まっていた。
白い天幕の下、整えられた卓に軽食と飲み物が並ぶ。
集まっているのは数としては多くない。
皇室と縁の深い貴族、皇宮で要職に就く者、そして今回の不穏分子の件で功績を挙げた者たち――
選ばれた顔ぶれだった。
「お兄様」
明るい声に、ルードが振り返る。
淡いピンクのドレスを纏ったラミアが、花の間を縫うように歩いてくる。
初夏の光を受け、その姿は庭園に咲く花が一輪増えたかのようだった。
「元気だったか、ラミア。ドレスもよく似合っている」
ルードは柔らかく微笑み、労わるように声をかける。
「もう、お兄様。そんなに久しぶりでもありませんよ」
ふふっと笑い、
「でも、お兄様とキド様の濃い色の正装のおかげで、庭園が引き締まって見えます」
「そ、そうでしょうか」
キドは落ち着きなく周囲を見回しながら答える。
「人もまだ少ないですし……今のところは、まだ落ち着いています」
「もう少し落ち着け」
ルードが低く言うと、キドは小さく肩をすくめた。
「よ」
気の抜けた声とともに、ロエルが現れる。
淡いブルーの正装は、庭園の色と不思議なほど調和していた。
「ロエル様」
ラミアが微笑む。
ロエルは一歩進み、周囲の視線を意識してラミアの手を取り、優雅に唇を落とす。
「皇女殿下に拝謁いたします」
顔を上げ、軽く目を細める。
「……元気そうだな」
「今はねー」
ルードに向けて、ロエルは気楽に笑った。
「この後が本番だろう?」
ロエルが言う。
「え、この後、何かあるんですか?」
キドが思わず口を挟む。
ルードとロエルは顔を見合わせ、
ほぼ同時に言った。
「晩餐会だ」
「戦争が始まるな」
「戦争……」
キドの顔色が一気に青ざめる。
「戦争って。確かに戦争かー」
ロエルは楽しそうに肩を揺らして笑った。
ラミアは笑顔のまま、少し不思議そうに三人を見上げる。
そのときだった。
静かなざわめきとともに、皇帝が庭園に姿を現す。
周囲の空気が、目に見えて引き締まった。
「陛下」
ラミアはすぐに姿勢を正し、深く一礼する。
声音も、先ほどまでとは違う。
「久しいな、ラミア」
皇帝は穏やかに言った。
「変わらず元気そうで何よりだ」
「はい、陛下。
この庭園も、とても美しく整えられています」
「そうだな」
皇帝は頷き、次にルードへと視線を向ける。
「よく支えている」
「恐れ入ります」
ルードは簡潔に頭を下げた。
その少し後ろで、ロエルは自然に一歩距離を取る。
皇族の会話から外れ、場を見渡す位置へ――
このまま静かに下がるつもりだった。
「待て」
皇帝の声に、ロエルは足を止めた。
「ロエル・ザグル」
名を呼ばれ、ロエルは一礼する。
「先の不穏分子の件」
皇帝ははっきりと告げる。
「被害を最小限に抑え、芽を断った。
結果はすでに、宮中でも広く知られている」
一瞬の間。
「帝国にとって、有益な働きだった」
それは賞賛であり、同時に試すような言葉でもあった。
「……身に余るお言葉です」
ロエルは表情を崩さず、そう答える。
それ以上、皇帝は何も言わなかった。
だが、その沈黙こそが、評価の重さを物語っていた。
やがて、会話が途切れるのを待つように、
高位貴族の令息たちが、少しずつラミアの周囲へと集まり始める。
礼儀正しく、距離を保ち、
しかし明確な意図を含んだ視線。
これは「尊敬」ではない。
明確な――アプローチだ。
ラミアは変わらぬ笑顔で応じていた。
その無垢さが、時に危うさを孕むことを知っているのは、政治の場に身を置く者たちだけだった。
それを見守る三人の表情は、それぞれ違う。
ルードは警戒するように視線を走らせ、
キドは早くも胃を押さえ、
ロエルは少し離れた場所から、静かに目を細めていた。
夜には、舞踏会が控えている。
この穏やかな庭園の空気が、
次の局面へ向かうための幕間に過ぎないことを、
理解している者は――まだ少なかった。
皇宮の一角、来賓用休憩室。
重厚な扉が閉まった瞬間――
「……っっっ、無理です!!!」
キドが三歩も歩かないうちに長椅子へ崩れ落ちた。
「無理とは」
ルードが淡々と尋ねる。
「全部です!!」
キドは仰向けになり、片腕で目を覆う。
「視線! 間! 沈黙! 笑顔の裏の値踏み!!
あれ全部、無言の尋問じゃないですか!!」
「今さら気づいたのか」
ロエルが窓辺から言った。
「気づきたくなかったです!!」
キドは勢いよく起き上がる。
「だってガーデンパーティですよ!?
花! お茶! 和やか!
なのに全員、目だけは戦場の兵士でした!!」
「正しい」
ロエルが即答した。
「正しいんですか!?」
「社交界は戦場だ」
ルードも重ねる。
「もうその単語禁止にしてください!!」
キドは胃のあたりを押さえた。
「俺の胃が耐えられません!!」
ロエルは思い出したように口を開く。
「そういえばさっき」
「皇太子殿下と第二王子殿下が――」
「はい、やめましょうその話!!」
キドが即遮る。
「まだ何も言ってない」
「言わなくても分かります!!」
ロエルは愉快そうに続けた。
「『次は俺が勝つ』」
「『前回は俺の勝ちだ』」
「『では夜に決着を』」
「……」
キドはゆっくり横になる。
「この国、大丈夫ですか?」
「問題ない」
ルードが即答する。
「えっ」
「皇帝陛下がいる」
「……ああ……」
キドは納得したように天井を見つめた。
「次期皇帝に指名されたのに、
中身は対決バカ二人……」
「詐欺では?」
「詐欺じゃない」
ロエルが言う。
「仕様だ」
「仕様なんですか!?」
「長年の」
ルードが補足する。
キドは小さく震えた。
「陛下、よく胃が無事ですね……」
「慣れだ」
「楽しんでいる節もある」
ロエルが言う。
「最強じゃないですか皇帝陛下!!」
しばし沈黙。
やがてキドは力なく呟く。
「……庭園よりは、ここ天国です」
「誰も俺を値踏みしない……」
「視線が優しい……」
「椅子だぞ」
ルードが言う。
「椅子ですら優しい……」
ロエルは扉の方をちらりと見て、にやりと笑った。
「まあ」
「今のうちに休め」
「夜は――」
「舞踏会」
ルードが続ける。
「戦争」
ロエルが被せる。
「やめてください!!」
キドが悲鳴を上げた。
「言葉だけで胃にダメージ入るんです!!」
二人は顔を見合わせ、ほんの一瞬だけ笑った。
休憩室に、束の間の平和が戻る。
なお、この平和が終わる時間を、
キドは胃の痛みで正確に把握していた。
お読みいただきありがとうございます。
次回は夜の舞踏会です。




