第11話 No More Rules きっと
頭を撫でて、口元を拭って、微笑むだけ。――それだけで、騎士の胃が死ぬ。
中庭
軽く茶会が開けそうな、大きめのテーブルと椅子が並ぶ中庭。
低い花々が咲き、そよ風が甘い香りを運んでくる。
ラミアは図書館から持ち出した歴史書を膝に置き、真剣な面持ちで問いかけた。
「大陸の向こうの国の三代目皇帝は、その残忍な行いにより弟に粛正された、とありますが……具体的には何があったのですか?」
ロエルは微笑み、茶を一口含んでから肩をすくめる。
「んー。弟が兄さんに『ダメだよそれ』って説教したんじゃないかな。
それで兄さんが反省して、弟が新しい皇帝になったんだよ。……きっと」
「まぁ……そうなんですね。
間違えることもありますが、反省することが大事ですね」
女官たちはハラハラと視線を交わす。
だが皇女が納得している以上、口を挟む勇気は誰にもなかった。
「ロエル様は、何でもご存じなのですね」
「ありがとう。でもラミアは偉いよ。
皇女教育が終わってるのに、自分から知識を増やそうとしてるんだもん」
ラミアは少しだけ視線を落とし、頬を染める。
「私には本で知識を深めるしか……でも、まだまだ知らないことばかりです」
ロエルは満面の笑みで、自然に彼女の頭を撫でた。
「偉い偉い。本当に凄いよ」
女官たちが、ざわりと小さく息を呑む。
ロエルは一度目を閉じ、深く息を吸った。
「歴史書ってね、昔のものだから全部正しいとは限らないんだ。
いろんな資料を見て、自分なりに考えたほうが面白いと思うよ」
ラミアの瞳がぱっと輝く。
「素晴らしいお考えですね。私も見習います」
「ハハ、俺なんて見習ったらダメだよ。
でも……ラミアは優しいね、ありがとう」
そう言って、もう一度、軽く頭を撫でた。
穏やかな時間が流れる。
ラミアはケーキに小さくフォークを入れ、そっと口へ運んだ、その瞬間。
「……付いてるよ」
ロエルは何気ない仕草で指を伸ばし、口元のクリームを拭う。
そしてそのまま、自分の口へ。
「甘いね」
正面からの視線と、余裕を含んだ微笑み。
それだけで、空気が揺れた。
女官たちは一斉に目を見開き、頬を赤らめる。
ラミアもまた、視線を彷徨わせ、何も言えずに固まっていた。
ロエルはその反応を見て、ほんの少しだけ口角を上げた。
⸻
――その少し離れた場所。
キドは両の拳を握りしめ、全身を小刻みに震わせていた。
(……見てはいけないものを、見てしまった)
(……これは、報告案件だ。だが、どう報告すればいい)
「皇女殿下に対し、口元の――」
違う。
「不敬行為が――」
それも違う。
(そもそも、何が起きたのかを正確に言語化できない時点で、
俺はもう負けている)
止めに行くことも、声を上げることもできない。
忠誠と常識が正面衝突し、胃の奥を強く締め付ける。
(……俺は何も見ていない。
見ていないはずだ。
頼むから、そう思わせてくれ)
花びらが舞う中、二人の静かな時間は続く。
そしてキドは、必死に存在感を消していた。
⸻
執務室
キドは、死刑宣告を待つ罪人のように、ゆっくりと頷いた。
「……はい……」
ルードは机に手をつき、低く告げる。
「ロエルを呼べ」
扉が軽やかに開く。
「はーい」
入ってきたロエルは、いつも通り飄々としていた。
椅子に腰かけ、足を組み、状況を楽しむように微笑む。
「で?何の話?」
「クリームの件だ」
ロエルは指で顎に触れ、少し考える素振りをする。
「あー……あれ?そんなに問題だった?」
キドは一歩後ずさり、胃を押さえる。
「問題です!!」
ルードは深く息を吐いた。
「歴史の件については……
自分で考えさせる導き方として、評価できなくもない」
ロエルはにっこりする。
「でしょ?」
「だが!」
机が叩かれる。
「クリームは別だ!」
ロエルは肩をすくめる。
「えー?指で拭っただけだよ?」
「そのあと舐めた!」
「……反射?」
キドの胃が、限界を迎えた音が本人にだけ聞こえた。
「もういい?午後もラミアと約束してるんだー」
「帰るな!」
「えー、何もしないよー?期待されても困るし」
「期待していない!!」
ルードは頭を抱え、低く唸る。
「お前は……無自覚が一番恐ろしい……」
ロエルは満足そうに茶を一口飲んだ。
「でもさ、平和じゃない?ラミア、楽しそうだったし」
キドは机にしがみつき、青ざめたまま呟く。
「俺の胃痛は……平和の代償ですか……」
ルードは力なく笑った。
「……胃薬、支給を考えるか」
ロエルはにやりと笑い、軽く手を振る。
「じゃ、またねー」
扉が閉まったあと、執務室には重い沈黙が落ちた。
キドは顔を上げ、かすれた声で言った。
「……可能であれば、常備で……」
ルードは書類に目を落としたまま、淡々と告げる。
「却下だ。
それではお前が“耐える前提”になる」
キドは、静かに絶望した。
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次回はバカバカしい番外編です。
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