命と引き換えに
部屋は、
初対面のときよりもさらに奥にあった。
壁は厚く、
窓はない。
外の音は一切、届かない。
長い机の前に、
想槍剛は一人、座らされていた。
「これから話す内容は、
君の人生を完全に変える」
「聞いたうえで、
帰ることもできる」
「ただし――
聞いた“事実”は、
墓まで持っていくことになる」
古谷が、
机の上に一枚の紙を置いた。
契約書。
だが、
法律用語は一切なかった。
そこに書かれていたのは、
三つの条文だけだった。
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第一条
本機関に所属した者は、
命と引き換えに、
すべての秘密を厳守する。
「違反した場合、
裁判も、弁明もない」
「事故、病死、行方不明。
理由は、こちらで用意する」
想槍は、
喉が鳴るのを感じた。
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第二条
家族、友人、恋人を含む
すべての第三者に、
所属を明かしてはならない。
「守るため、
という言い訳も通用しない」
「君が沈黙することで、
誰かが生きる」
「それが、
ここでの“善”だ」
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第三条
潜入・拘束・拷問を含む
いかなる状況においても、
情報を漏らさない。
古谷は、
少しだけ声を低くする。
「叫びたくなる痛みでもだ」
「信念が折れたとき、
最後に残るのは――
覚悟だけだ」
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説明は、
それで終わりだった。
想槍は、
思わず尋ねていた。
「……命を、
そこまで差し出してまで、
やることなんですか」
古谷は、
即答しなかった。
代わりに、
こう言った。
「君は、
昨日のニュースを見て、
何を思った」
想槍の胸に、
あの声が蘇る。
「……無力だと」
「間に合わなかったと」
古谷は、
ゆっくり頷いた。
「ここでは、
“間に合わなかった”は許されない」
「だから、
代償が必要なんだ」
ペンを机に置く。
「署名するか」
「ここで帰るか」
「どちらも、
正解だ」
想槍は、
ペンを見つめた。
震えているのは、
手ではなく、
心の方だった。
もし、
あのとき――
もう少し踏み込めていたら。
もし、
誰かが、
代わりに止めてくれていたら。
「……命を、
失う覚悟はあります」
声は、
不思議なほど落ち着いていた。
「でも、
誰かを救おうとして
失う命なら、
無駄にはしたくありません」
古谷は、
じっと想槍を見ていた。
そして、
静かに言った。
「歓迎する」
想槍剛は、
署名した。
その瞬間、
彼の人生は、
“声を聞く側”から
“世界の裏側を背負う側”へと
完全に切り替わった。
そしてまだ――
彼は知らない。
この契約が、
自分の死に直結する選択だったこと




