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相殺式  作者: 冴白
6/28

命と引き換えに

部屋は、

初対面のときよりもさらに奥にあった。


壁は厚く、

窓はない。

外の音は一切、届かない。


長い机の前に、

想槍剛は一人、座らされていた。



「これから話す内容は、

 君の人生を完全に変える」


「聞いたうえで、

 帰ることもできる」


「ただし――

 聞いた“事実”は、

 墓まで持っていくことになる」


古谷が、

机の上に一枚の紙を置いた。


契約書。

だが、

法律用語は一切なかった。


そこに書かれていたのは、

三つの条文だけだった。



第一条

本機関に所属した者は、

命と引き換えに、

すべての秘密を厳守する。


「違反した場合、

 裁判も、弁明もない」


「事故、病死、行方不明。

 理由は、こちらで用意する」


想槍は、

喉が鳴るのを感じた。



第二条

家族、友人、恋人を含む

すべての第三者に、

所属を明かしてはならない。


「守るため、

 という言い訳も通用しない」


「君が沈黙することで、

 誰かが生きる」


「それが、

 ここでの“善”だ」



第三条

潜入・拘束・拷問を含む

いかなる状況においても、

情報を漏らさない。


古谷は、

少しだけ声を低くする。


「叫びたくなる痛みでもだ」


「信念が折れたとき、

 最後に残るのは――

 覚悟だけだ」



説明は、

それで終わりだった。


想槍は、

思わず尋ねていた。


「……命を、

 そこまで差し出してまで、

 やることなんですか」


古谷は、

即答しなかった。


代わりに、

こう言った。


「君は、

 昨日のニュースを見て、

 何を思った」


想槍の胸に、

あの声が蘇る。


「……無力だと」


「間に合わなかったと」


古谷は、

ゆっくり頷いた。


「ここでは、

 “間に合わなかった”は許されない」


「だから、

 代償が必要なんだ」


ペンを机に置く。


「署名するか」


「ここで帰るか」


「どちらも、

 正解だ」


想槍は、

ペンを見つめた。


震えているのは、

手ではなく、

心の方だった。


もし、

あのとき――

もう少し踏み込めていたら。


もし、

誰かが、

代わりに止めてくれていたら。


「……命を、

 失う覚悟はあります」


声は、

不思議なほど落ち着いていた。


「でも、

 誰かを救おうとして

 失う命なら、

 無駄にはしたくありません」


古谷は、

じっと想槍を見ていた。


そして、

静かに言った。


「歓迎する」


想槍剛は、

署名した。


その瞬間、

彼の人生は、

“声を聞く側”から

“世界の裏側を背負う側”へと

完全に切り替わった。


そしてまだ――

彼は知らない。


この契約が、

自分の死に直結する選択だったこと

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