相殺2.0
かつての相殺は、
人が「悪人」を選び、
人が「合わせて消す」行為だった。
相殺2.0は違う。
人は、選ばない。
命令しない。
実行もしない。
ただ、
善意が入力されるだけだ。
入力される情報は、
犯罪歴。
通報回数。
SNS上の攻撃性。
被害者との相関。
社会的孤立度。
再犯確率(推定)。
出力されるのは、
ひとつの答え。
「同時に接触した場合、
社会的損失が最小化される
組み合わせ」
誰も、
「殺せ」とは言わない。
ただ、
同じ場所に、
同じ時間に、
“偶然”が配置される。
結果は――
統計に委ねられる。
人は言える。
「事故だった」と。
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再就職支援アプリ。
更生プログラム。
「似た境遇の人を
紹介します」
誰も、
疑わなかった。
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二人の男が、
同じ工事現場に配置される。
どちらも、過去に暴力事件。
どちらも、「やり直したい」と申告していた。
三週間後、口論。
四週間後、転落事故。
報告書には、
こう記された。
連携不足による
不幸な事案。
だが、
内部ログには、
別の表記が残されていた。
最適解:達成。
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古谷は、
もう前線にはいない。
だが、
数字を見る仕事を続けている。
そして、
気づいてしまった。
相殺2.0のアルゴリズムは、
「善意」によって、
自動で更新され続けている。
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古谷は部下に問う。
「これは、
誰が止める」
部下は、
少し間を置いて答えた。
「……誰も、
命令していません」
「誰も、
悪意を持っていません」
それが、
最大の欠陥だった。
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想槍剛は、
生き返らない。
だが――
声だけが残った。
相殺2.0の
復元された初期データセットに、
奇妙な音声が混入していた。
人生相談の録音。
「……あなたは、数じゃない」
「選ばなくていい」
「生きていていい」
誰が入れたのか、
わからない。
だが、
その声が組み込まれてから――
最適解は、
少しずつ
“非効率”になり始めた。
事故は減らない。
衝突は、回避される。
統計上、
説明できない揺らぎ。
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敵は、
思想家でも、
テロリストでもない。
「正しさを最大化しようとする仕組み」
そのものだ。
そして、
それを止められるのは――
もはや、
正義の人間ではない。
⸻
皆殺しの世界は、
完成した。
犯罪は、ほぼゼロ。
衝突も、対立も、炎上もない。
怒鳴る声は消え、
泣き叫ぶ声も消え、
誰かを責める言葉も消えた。
街は、
静かで、
整っていて、
安全だった。
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政府は、
誇らしげに発表する。
国民の快適度は、過去最高。
不快指数は、限りなくゼロへ。
誰も、
反対しなかった。
反対する感情が、
もう存在しなかった。
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人々は、
正しい時間に起き、
正しい道を歩き、
正しい言葉を選ぶ。
笑顔はある。
だが、理由はない。
悲しみもある。
だが、深さはない。
すべてが、
平均化されていた。
⸻
かつて、
「嫌な奴」と呼ばれた人間は、
もう存在しない。
声の大きい者も、
感情的な者も、
理不尽に怒る者も。
そして――
それを受け止めていた者も。
不快を与える者も、
不快に耐える者も、
等しく不要だった。
⸻
古谷直也は、
最後の報告書を読む。
18782(嫌な奴)+18782(嫌な奴)
=37564(皆殺し)
※皆殺しとは、
社会的ノイズの完全排除を指す
(肉体的死亡を必要としない)
古谷は、
静かに理解した。
――最初から、
こうなる計算だったのだ。
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人は、
理想を追い求めた。
誰も傷つかない社会。
誰も不快にならない世界。
誰も理不尽に晒されない日常。
その代償として、
少しずつ、
感情を手放した。
怒りは危険だから。
悲しみは非効率だから。
共感は、誤差になるから。
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最後に残ったのは、
正しく動く存在だった。
生きている。
だが、揺れない。
⸻
古谷は、
引き出しから一枚のメモを取り出す。
数えるな。
その言葉に、
何も感じない。
それこそが、
この世界の完成を
意味していた。
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窓の外。
整然とした街。
静かな人々。
完璧な社会。
――そして、
誰も気づかない。
この世界にはもう、
「嫌だ」と思う心も、
「苦しい」と訴える心も、
「それでも生きたい」と願う心も、
すべて、
等しく存在しないことに。
⸻
皆殺しは、
成功した。
人類は、
一人も死なずに。
心だけを、
完全に失った。
(完)




