新たな被害者
電話は、
いつも通りに鳴っていた。
何の前触れもなく。
何の特別感もなく。
ただの、
一本の着信。
詐欺実行役――
あの男は、
ヘッドセットを直し、
マニュアル通りの声を作る。
「こちら、
金融庁委託の
資産確認窓口でございます」
声は、
驚くほど丁寧だった。
電話の向こうは、
七十代の女性。
一人暮らし。
夫は、
数年前に他界。
息子とは、
疎遠。
「あなたの口座が、
不正利用されている
可能性があります」
女の声が、
かすかに震える。
「……私、
何もしてません」
「もちろんです」
男は、
即座に返す。
「だからこそ、
確認が必要なのです」
言葉は、
優しく。
手順は、
完璧だった。
不安を煽り、
安心を与え、
選択肢を奪う。
三十分後。
女性は、
指示通りに、
現金を封筒に入れていた。
「これで、
大丈夫なんですね」
「はい」
男は、
一瞬も迷わない。
「これで、
守られます」
⸻
ニュースにならない被害
その夜。
女性は、
眠れなかった。
通帳を何度も、
開いては閉じる。
残高は、
ほぼゼロ。
不安が、
じわじわと、
胸を侵食する。
朝。
女性は、
近所の交番に行った。
だが――
被害額は、
戻らない。
「最近、
多いんですよ」
警官は、
申し訳なさそうに言う。
「巧妙で……」
女性は、
ただ頷いた。
帰宅後。
電話は、
鳴らなかった。
誰も、
心配しなかった。
ニュースにも、
ならなかった。
だが、
その日の夕方。
女性は、
自宅で倒れた。
急性心不全。
医師は、
そう告げた。
⸻
想槍が“聞いてしまう”
その件を、
最初に知ったのは――
想槍剛だった。
隔離室。
モニター越しに、
事故報告が流れる。
【高齢女性、
自宅で死亡】
【事件性なし】
だが、
添付資料に、
小さな一文があった。
《直前に、
特殊詐欺被害の相談歴あり》
想槍の呼吸が、
止まる。
「……相談歴?」
データを、
開く。
録音。
悩み110番。
想槍が、
かつて勤務していた番号。
再生ボタンを、
押してしまった。
――押さない選択肢は、
なかった。
『あの……
私、
昨日、
お金を……』
震える声。
『息子には、
言えなくて……』
『大丈夫ですよ』
それは――
想槍の声だった。
過去の録音。
異動前、
彼が対応していた相談。
『今は、
誰かと
話せてますか』
『……いいえ』
『では、
また不安になったら
必ず、
かけてください』
女性は、
礼を言って、
電話を切っている。
それが、
最後だった。
想槍は、
音声を止めた。
画面が、
滲む。
止めたはずだった。
詐欺実行役を、
生かしたのは、
自分だ。
結果として、
この女性を、
もう一度、
独りにした。
「……ごめんなさい」
誰に向けた言葉か、
自分でもわからなかった。
だが、
はっきりしていることが、
一つある。
相殺は、
失敗しただけではない。
――
新しい犠牲を生んだ。
そして。
想槍剛の中で、
決定的な何かが、
音もなく壊れた。
もう、
止めるだけでは足りない。
もう、
見ているだけでは、
救えない。
次に動くとき、
彼は――
完全に、
組織の敵になる。




