ブラックホール
目が覚めたら、天井がなかった。
そこにはただ、星の海があった。
寝返りを打とうとして、ベッドの感触を探す。――ない。
かわりに、俺の身体はゆっくりと漂っていた。
足元に床はなく、上下の概念すらない。
静かだった。音がないのではない。
音という概念そのものが存在しない空間。
呼吸の感覚も、心臓の鼓動も、薄れていく。
視界の端に、黒い円があった。
いや、円というよりは、そこだけが「欠けて」いた。
光が吸い込まれ、時間がしぼむ。
ブラックホール――と脳が名前を貼るより先に、俺の体はそちらへ傾きはじめた。
抗おうと手を伸ばす。何も掴めない。
思考が妙に鮮明になり、過去の記憶が一気に押し寄せる。
母の笑顔。雨上がりの匂い。小学校の机の傷。
それらが一瞬で、光の筋になって引きちぎられていく。
境界が迫る。
そこを越えれば、外の宇宙からは何も観測できない場所。
時間の流れは無限に引き延ばされ、俺は「今」に閉じ込められる。
だが、不思議と恐怖はなかった。
むしろ、懐かしさがあった。
もしかしたら、ここが本来の居場所だったのかもしれない。
最後に、自分の声を思い出そうとした。
けれど、その形を思い描く前に、
すべては――しずかに、潰れた。
暗闇。
そして、目が覚めた。
天井は白く、機械の音が鳴っている。
ベッドの脇には医者らしき人影。
「おかえりなさい」
俺は何も言えなかった。
だって、あの宇宙の匂いが、まだ肺の奥に残っていたから。