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第一話



ヴァルクレイア帝国。

この帝国の第一騎士団に名を連ねるということは、すなわち「殺す側」としての覚悟を背負うことを意味していた。


陽の昇りきらぬ灰色の空。冷たい風が軍本部の石壁に沿って鳴り、まるで何かを警告するように耳元で囁いていた。


キキョウは足を止めた。

白と赤を基調とした騎士団の制服を着た自分の姿が、面会室前の金属扉にぼんやりと映っている。

顔は笑っていた。いつもどおりの、少し気の抜けたような優しい笑みだった。


……けれど胸の奥は、ずっと前から、ひどく冷えていた。


「ストレリチア団長が、お待ちです」


無機質な声とともに、扉が滑るように開いた。


その瞬間、空気が変わった。


まるでそこだけ世界が死んでいるかのような、乾いた緊張。

血ではなく「静寂」が流れている空間だった。人が話す気配がない。息を呑む音さえも、ためらわれる。


そして、その中心に彼女はいた。


ストレリチア――ガルディアン騎士団第一騎士団団長。


部屋の奥、壁を背にした重厚な机に座り、背筋を伸ばしながら、彼女はキキョウを一瞥した。

目が合った。いや、視線が「刺さった」。


赤と紫が混じった、鋭い眼光。

まるで焼けた刃物のようだった。柔らかさも情もなく、ただ冷たく、斬るためだけに存在する色だった。


「副団長としての挨拶か」


彼女はそう言って、顎をわずかに動かした。声は低く、感情の温度が存在しなかった。


キキョウは小さく頭を下げた。


「はい。……本日より、第一騎士団副団長を拝命しました、キキョウと申します。微力ながら、力になれるよう努めます」


いつものように柔らかく、誠実に――そう振る舞ったはずだった。

だが、彼女の瞳は、そんなものに一切の興味を持たなかった。


「戦場で役に立て。言葉はいらない」


それが、歓迎の代わりだった。


キキョウは息を止めた。返す言葉を探す間に、ストレリチアは立ち上がった。

彼女の姿は、どこか異形めいて見えた。


長く束ねられた赤い髪が背中まで流れている。軍服は完璧に整っていたが、袖の奥から覗く肌には、無数の切り傷があった。

手はゴツゴツと硬く、剣を握り続けてきた証だ。筋肉質で引き締まった体躯は、まさに戦場に生きる者のそれだった。


美しさ、というにはあまりに過酷だった。

それでも彼女は、見る者を黙らせるだけの“力”を持っていた。


「他の副団長のように、兵に情をかけるな。生き残るのは強者だけ。私の騎士団に“優しさ”は不要だ」


まっすぐに向けられるその視線には、何の飾りもなかった。

冷酷なまでに合理的で、まるで刃のように徹底された“視座”。


それが、彼女――ストレリチアだった。


キキョウはかすかに笑って、深く頭を下げた。


「……承知しました。団長の方針に従います」


背中に汗が伝った。

けれど、逃げたいとは思わなかった。不思議と。


(……この人の隣に、立ってみたい)


そう思った。


彼女は、何も答えなかった。ただ踵を返し、部屋の奥へと歩いていく。

その背中が、どうしようもなく、遠く見えた。


――ここは戦場だ。

そして、その中心に立つ者は、誰よりも冷たくなければならない。


キキョウは、静かに胸に刻んだ。


彼女の横に立つには、自分もまた「優しさ」を切り捨てねばならないと。


 

 ――――――


 


朝陽が昇るよりも先に、訓練場には剣が交わる音が響いていた。

乾いた空気の中に、規則正しく響く足音と、打ち合う金属の音だけがある。怒号も、掛け声も、笑い声すら存在しない。ただ「こなしている」。完璧な機械のように、それぞれが自分に課せられた訓練メニューを黙々と消化していた。


「……すげぇな、こりゃ」


キキョウは思わず小さく呟いた。

第二騎士団にいた頃の訓練風景とは、あまりにも違いすぎた。

あちらはもっと喧騒があった。時には冗談を言い合い、手加減や模擬戦でも「人間味」があった。


だがここは違う。

誰も目を合わせない。誰も声をかけない。

まるで「存在する」こと自体が無言の罪であるかのように、団員たちは互いに干渉せず、無表情に剣を振るっていた。


(こいつら……本当に人間か?)


キキョウは訓練場の隅で、ストレリチアが一人で剣を振るう姿を目で追った。


彼女は黙っていた。ただ、それでも圧倒的だった。

細身の剣を手に、斬撃の一つ一つが風を裂く。

その動きに無駄はなく、美しかった。だが同時に、恐ろしく冷たい。


(あの人だけじゃない。ここにいる全員が、なにか……どっか壊れてるみたいだ)


「副団長、訓練には参加されないのですか」


無表情の若い男性団員が、いつの間にかキキョウの背後に立っていた。

感情のない声だった。


「いや……ちょっと、見学を……」

「ああ。では、失礼します」


それきり団員は何事もなかったように自分の位置へ戻っていった。

言葉は交わされたが、そこには“会話”がなかった。

その後も誰一人として、彼に話しかける者はいない。


昼食の時間になっても、空気は変わらなかった。

食堂は白と赤を基調とした簡素な空間。清潔だが、どこか“冷たい”。


団員たちは列を作り、無言で配膳を受け、無言で座り、無言で食べる。

笑い声も雑談もなく、聞こえるのはスプーンの音と咀嚼音だけ。


「えーと……この席、空いてる?」


キキョウが尋ねても、顔も上げずに「はい」と一言。

ただそれだけで、再び沈黙が支配する。


(うわ……胃が痛くなってきた)


ふと、食堂の隅に一人座るストレリチアの姿が目に入った。

彼女はいつものように真っ直ぐ背筋を伸ばし、姿勢を崩さずに黙々と食事をとっていた。

誰も隣に座らない。

誰も近づかない。

まるで彼女だけが「別の存在」であるかのようだった。


(あの人は……一体、どうしてここまで……)


キキョウは自分のトレイに視線を落とし、冷えかけたスープにスプーンを入れる。

味なんて、もうよくわからなかった。



 

 夕刻。

戦闘訓練が終わった直後の食堂は、まるで儀式の場のように静まり返っていた。


皿が擦れる音、椅子が引かれる音、靴音──すべてが無機質で規則的で、まるで全員が同じ歯車の一部のようだった。


「いただきます」と誰も言わない。

誰も目を合わせず、誰も会話を交わさない。


それでも、その誰もが端整な姿勢で食器を扱い、整然と食事を進めているのは──美しくすらあった。けれど、美しいからといって、そこに「人間らしさ」があるとは限らない。


キキョウは、銀のスプーンを握ったまま、食欲もない皿を前に呆然としていた。


(……これが、第一騎士団の“日常”)


訓練は厳しいものだったが、それよりもキキョウが心に刺さったのは、この空気だった。

凍ったような沈黙。誰一人、感情を表に出そうとしない。団員たちの顔には「何もない」。


機械のような者たち。

人形のような目。


──だが、それでいて一人ひとりの戦闘力は高く、技術にも無駄がない。

まるで「感情がないこと」が強さの証明であるかのように。


キキョウはそっと、向かいに座る青年に声をかけてみた。


「えっと……今日の訓練、キツかったね。背中、大丈夫?」


その青年──年齢は二十代半ばほどで、銀色の短髪に切れ長の目を持つ騎士は、キキョウの声に反応するでもなく、食事を続けた。


まるで、声が届いていないかのように。


いや──


「……必要ありません、副団長」


ひと呼吸おいて、無表情のまま青年は言った。


「報告も連携も、訓練中に済んでいます。無駄な会話は、意味がないと判断します」


乾いた言葉だった。温度も色もない。

思いやりというより、むしろ「拒絶」に近かった。


キキョウは思わず、背筋にひやりとした感触を覚える。


(……え、マジか。)


あからさまな敵意ではない。だが、明確な「線引き」を感じた。

まるで、ストレリチアに似た“合理性の延長線”にいるような、全体の価値観そのものがこの空気を作っている。


キキョウはそっと立ち上がり、食堂を出た。


その背中を、誰も見ようとしなかった。


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