6話 城塞都市マクデブルグ(2)
結局、キルスティンは村外れの修道院の戸棚の中に隠れて事なきを得ていたわけだが。発見した時、案外ケロリとしていたのは悲鳴も届かない所で、村の惨状も目の当たりにしていなかったからだろう。無事な姿に目頭が熱くなる。
「ヴェルツ! その怪我、誰にやられたのッ?」
姉の叫びでようやく気付いた。自分が血塗れの姿をしているということに。怪我と、それから傭兵の返り血。
そこで再び昏倒した自分は、姉にボロクソに言われ……いや、出来れば思い出したくない記憶だ。ヴェルツは首を振る。
それよりも今、脳裏に鮮明に焼きついているのはあの女性であった。
──守ってあげるよ。
二歳しか年の違わないこの姉は幼いころからそう言っては威張り、弟をこき使ってきた。実際守ってもらった記憶は一度もない。幼少の頃から変わらない。振り回されてきたのは常にこちらなのだ。その台詞を……計らずも自分が口にする日がくるとは思わなかった。
──自分が必ず守りますから。
たしかそう言ったっけ。
ヴェルツの目が細くなる。遠くを見つめる視線だ。
何かの武術に秀でているのだろう。素人離れしたあの動き、それでいて優雅な物腰。美しい声、大人びた視線──あんな女性は見たことがなかった。
きっとどこかのお姫様なのだろうと思う。村の近くを通って、たまたま襲撃に巻き込まれたのだろう。
生き残った村人と共にロックの行方を捜したのだが、彼女の姿共々どこにも見付からなかった。村の近くに隠れているものと思っただけに、不安はいや増す。無事逃げ延びることができたなら良いのだが。
名すら知らない。もう会うこともないだろうに、気付けば彼女のことばかり考えているのは未練がましいというより他ないと思う。
それでも……と、遠くに視線をさ迷わせている時だ。突然姉の顔がにゅっと出てきて夢想を遮った。ニヤリと笑う。
「この見栄っ張りめ!」
「な、何だよ」
再び背中を叩かれ、ヴェルツは悶絶する。見知らぬ女性を助けて怪我をしたと姉にばれてしまってから、彼女は退屈しだすとこうやって弟をからかうのだ。
「や、やめろよ。違うってば。姉ちゃ……」
「ほほぅ。違うとな?」
「何だよ、その言い方。だから、止めろって言って……」
街道を行く人の数が急激に増えたことに気付いた二人が会話を途切れさせた時だ。唐突に目の前に巨大な市壁が姿を現す。
ようやく目的地に辿り着いたのだと理解するまでに、彼は暫しの時を要した。
城塞都市マクデブルク。
人口四万の、当時としては大都市である。エルベ川に沿って位置し、海運陸運共に要衝となっているという。
比較的出入りの容易な商業都市であるが、今は戦時中ということで門扉の前に急造の小屋を建設して人の出入りに目を光らせているようだ。石造りの城砦の所々には、見張り台や兵士達の詰所も見える。
「イ、田舎者って思われるから、キョロキョロしちゃ駄目!」
「姉ちゃんこそ。歩き方変だよ」
石畳の歩きやすさに、まずは驚く。
こんな時勢をものともせずに商取引、あるいは買い物をしているのだろうか。考えられない程に広い通りは多くの店と人でにぎわっていた。
交わされる言葉も様々だ。ドイツ語が多いが、フランス語、ネーデルラント語……耳を澄ませばヨーロッパの中の言語が飛び交っているのが分かる。
言われるまでもなく田舎者の二人は圧倒された。
「こんなに沢山の人……どこから来たんだろ。今日は祭りでもあるのかな」
「さっきの勢いどうしたんだよ、姉ちゃん。目の焦点合ってないよ。田舎者丸出しだよ?」
言うとキルスティンは怒り出す。うるさい。と、とにかく大聖堂を探すんだ!
探すまでもなかった。街の中心近く、エルベ川沿いに目を引く大きなゴシック様式の建造物が見える。そこが目指す場所であった。
「ここは神に守られていると言われてるんですよ。たとえ街が滅んでも、この建物は千年残るって」
観光客をカモに、案内役を買って出ようとした地元の少年の言葉など耳に入ってはいない。二人、ぽかんと口を開けたのは二度目だ。
「お、大きすぎる……」
キルスティンが唸った。
「これが教会だって? 一体何人のお金持ちが寄付したら、こんな大きな教会が建てられるって言うの。それともあれか? 貧乏人からとことん搾取して……」
「ね、姉ちゃん、まずいよ。そういう言い方」
往生際悪く、ヴェルツは尚も思う。ああ、自分としてはやはり平穏を求めて村に留まりたかったと。
十七世紀、神聖ローマ帝国北部(現在のドイツ)。
物語の舞台──そこはつまり、泥沼だった。
皇帝フェルディナント二世を頂点とする旧教勢力カトリックと新興貴族諸侯を中心とした新教勢力プロテスタント。後に三十年戦争と呼ばれる、国土を荒廃に追い込んだ長い戦乱の最中である。
事の起こりは一六一八年五月。
ボヘミア(現在のチェコ)王宮において新興貴族が、当時ボヘミア国王だったフェルディナント付きの役人四人を窓から投げ落とした。「国王の反プロテスタント政策に対する抗議」として蜂起したのだ。両者は各地で戦闘を展開しながら、年月は流れる。
カトリック対プロテスタント──宗教戦争という色合いは、やがて塗り替えられることとなる。政治的思惑からスウェーデン、イギリス、フランス、ネーデルラント等の外国勢力が介入し始めたのだ。それらが新旧各派と結び付き、戦局を更に拡大させる。
戦端を開いてから、既に十三年が経過していた。宗教も権力も関係ない戦乱に次ぐ戦乱。悲惨だったのはそこに住み、日常を送る人々である。
当時、常備軍という発想はほとんどない。軍隊の中心を占めるのは傭兵隊である。それらによる略奪が横行したのだ。
取り締まる組織、つまり警察権力もないものだから、武力を持つ者による専横は続く。放火、殺人、強姦、略奪──日常茶飯事すぎて歴史書にも残らない。リーウッドが被った被害は各地で連日のように繰り返され、ドイツは荒廃の一途を辿っていた。
いつまで経っても戦争は終わらない。つまり──泥沼状態、というわけである。