53話 EDE―N(2)
「拙僧も前向きに考えました。EDE.と言っても、猊下により発足されて僅か半年の小さな組織でしたからね。ですから次は拙僧が中心となって新たな自衛組織を造ろうと思います。いかがでしょう」
「いや、いかかでしょうとか言われても」
自分には関係ないことですから。出来れば余所で勝手にやってくださいと言いたい所を、言葉を挟む余裕もない。僧形の男は勝手にメモ用紙を取り出した。
「いいですか。頭の悪いあなたにも分かるように説明して差し上げます」
心なしか失礼なことを言って、彼は紙にペンを走らせた。
几帳面な筆跡で「EDE.」と書く。その最後に「─N」と付け足した。
EDE―N──。
「このNはドイツ語でNue──つまり新しいEDE.という意味を持ち、エデンと読みます。ヘブライ語でエデンの園、楽園という意味を持ちます。結構出来た名でしょう。考えたのは拙僧です。勿論、拙僧がそのリーダーを務めます。ヴェルツさんも……」
「いや、結構です。自分はあの……故郷の村に帰って……」
ごにょごにょと呟く言葉を、多分相手は聞いちゃいないんだろうなと思いながら。
「帰るなら、あの女連れて帰れよ」
不意に背後から声がして、ヴェルツはゆっくりと振り返る。最早そうそうのことではうろたえはしないが、この時の弾丸小僧の引き攣った怒りの形相には恐怖を感じた。
「あの女って……うちの姉のことですかね」
そ・う・だ・よっ!
このところずっとキルスティンに付きまとわれ、かわいいと言ってはいじくられ体重も落ちたレオンは殺気立っている。確かに成長期の少年の頬がこけ、目の周りが窪んで異様に顔色が悪い。
「空気の読めない姉を持って申し訳ありません。全部……全部、自分が悪いんです」
「あんたのその言い方がまた……」
まぁまぁ、とマナーワンが気楽な調子で割り込んだ。こちらも空気の読めない男だ。
「モリガンさんは?」
「はぁ? おっさんなら、あっちで蜂蜜なめてるよ」
見やった先には復興作業を堂々とサボり、石段に腰掛けた男の姿があった。大きな壺を抱え、至福の笑みを浮かべている。何となく目の焦点が合っていない。
「クマさんかよ。あの様何だよ」
レオンが溜め息をついた。
「戦争は全然終わってないのにな」
「え?」
復興に向かっている明るい街を目の前にして、少年の表情は暗い。
「また周囲の村が傭兵隊に襲われたって。カトリック軍も近くの都市を次々と陥落させているし……。あと、極秘だけど対神聖ローマ帝国戦争にスウェーデン軍が動くらしい。フランスやネーデルラントもキナ臭いしな。ドイツはまだまだ荒れるぜ」
「そうですか……」
ヴェルツは顔を俯ける。何となく明るく見え始めていた世界が、急速に色褪せていく。弾丸小僧の話は次第に熱を帯び始めた。変に興奮してきたようだ。
「殺されて、街を焼かれて……。こんな理不尽があるか? でも庶民だって馬鹿じゃないんだ。この時代の為政者か、或いは後世の歴史家が想像するよりずっと世の中を知っている。矛盾に直面して、戦おうと必死になってるんだ。でも圧倒的に力がない。結局、武力がなければ何もできない世の中なんだよ。武力が権力を生み、権力が正しさを、善の物差しを決定するんだ。この時代に一番必要なもの、それは他を凌駕する圧倒的な力なんだ。相手が誰であれ、力さえあれば戦いを挑める。この国は偏っている。三百年経っても同じことをしているだろうよ」
息つく間もなく言い切って、彼はヴェルツを睨んだ。真っ直ぐな視線に、ヴェルツはたまらず身を引いた。
「何を一人で熱くなっているんですか。相棒は幸せそうに蜂蜜をなめていると言うのに」
マナーワンに冷たく返され、弾丸小僧はその場に蹲る。
「難しい問題ですよ。武力イコール力というわけでもないですし」
レオンは「うん」と呻いた。
そもそも、何百年経ってもその問題の答えは出ないのだと思う。
時代が下り技術が発達するごとに、規模の大きな戦いが広がるだけだ。目的のある戦いなのだと、一部の人は言うだろう。だが大部分の人にとっては、それは悲劇を生むだけで……。
考えても仕方がないです、というヴェルツ的結論に至るわけだ。
「あ、そろそろですよね」
ヴェルツの言葉に、話しかけられた僧形の男の肩がぴくりと震える。
「せ、拙僧はここで……」
「何言ってんですか。一緒に行きましょう」
僧衣をつかんで無理矢理立たせる。行ってらっしゃいというようにレオンが手を振った。
ヴェルツは歩き出す。次第に焦りを感じてか、足が速くなっていった。
彼はこの数日のうちに目の前で幾つかの悲劇を見た。前向きに考えたところで救われない思いはあるし、事実、起こってしまった悲惨な出来事は変えられない。その最大の悲劇は何だったろうと考えてみる。
一人の女の顔が浮かんで、ヴェルツの気持ちは沈む。たしか教会の裏口から静かに出発するということだった。見送りは必要ないと言っていたが、会わずに別れるのは辛い。何故ならヴェルツにとっては大切な二人の人物との別れになるのだから。




