51話 最後の裏切り(5)
「あそこね」
どこへ行く、とレオンが言ったような気がしたが、彼女は答えず背を向ける。消音装置を握り締めた右手には微かな痺れが走っていた。
街と教会の規模のわりに鐘楼の造りは簡素だ。三人が立てば窮屈という面積の空間の建物に梯子が設置されている。
三階分の高さのそれを一気に登ると激しく息が切れた。ヒューヒューと肺から搾り出す苦しい呼吸を繰り返して、大司祭ダイ・カーン・シュールディッヒは大きく開いた窓の縁をつかんで身体を支える。
「……クソ餓鬼が」
銃の重さに悪態をつく。それは彼の愛すべき組織の主戦力たる少年の愛用武器、そして彼の姪が手ずから造った物だ。
その技術は実に捨て難いところだが、残念ながら《死天使》を連れて行くことは諦めた。しかし彼女がこれまで造った武器の数々は既に国外に送っている。大量にあるそれを各国政府、あらゆる組織相手に取引すればヨーロッパ全土だって掌握出来るだろう。
「こんな教会など……」
いつまでも荒廃したドイツに居るつもりはなかった。しがらみの多いこの地位に未練もない。彼にとって一連の出来事は打算や野望ではなく、ただの選択であった。
四方に大きく開いた窓枠の一方にショットガンの銃身を乗せる。ここからなら大聖堂のステンドグラス越しに爆薬が狙える。
今度は安全装置をきっちり外した。引金に指を掛ける。これでも聖職者だ。こんな物の撃ち方なんて知るわけがない。しかし破壊力のある銃ということは分かる。狙いが逸れたところで、火薬に引火させるのは容易だろう。
疲労した目に全神経を集中させる。弾くように引金を引きかけた時だ。突然、足首をつかまれた。
「何っ!」
ここは鐘楼の上だ。人が潜めるような空間はない。振り返りかけたその頭を、大きな手がつかむ。足を縺れさせ倒れ込んだその身に伸し掛かってきたのは、ひょろりと丈の長い男であった。
ヴェルツである。こっそりと大聖堂を離れた大司祭を追ってきたのだ。梯子を一気に登り、こちらも息を切らせている。
「は、放しなさい!」
意外と力のある手で大司祭は男の腕を払う。肩をつかまれ、顔面を張られて、ヴェルツはのけぞった。ショットガンを奪おうともがくが、銃身で喉元を殴られる。
「ガハッ!」
彼が血を吐いて床に倒れた隙に、大司祭はショットガンを構えた。そう、狙う必要はない。大聖堂内部──焼夷弾目掛けて引金を引きまくれ。
ショットガンが唸る度に、聖堂内の調度品が弾け飛んだ。積まれた爆弾もいくつか弾け飛ぶ様が見える。
しかし──。
ダイ・カーンは眉を顰めた。
「何……?」
更に数発。しかし爆弾は爆発しない。山と積まれている焼夷弾の中に、確かに何発かは命中している筈なのに。しかしショットガンの弾丸は音もなくそこに吸い込まれるだけ。
──小僧が何か細工を? いや、そんな筈はない。
大司祭が混乱している。何が起こったのだ? しかし考えている余裕はない。大聖堂の中のことは他のみんなが何とかしてくれるだろう。ヴェルツは老人のショットガン目掛けて飛び掛った。銃身を抱え込む。
「は、放せ! クソッ」
大司祭を押さえ込んだこの位置からだと、顔を上げれば街が一望に見渡せる。無論、そんな余裕はない。しかし視界の端に赤がちらちらと瞬いていた。
それが街を覆う炎だということは、見なくとも容易に察せられる。街の随所で攻め込んできたカトリック軍と、住民が小競り合いを繰り広げているのだ。
金を稼ぐために武器をばら撒いて、この状況を作り出したのが目の前のこの男なのだと考えた瞬間、ヴェルツの腹の中の怒りが弾けた。
「オリンピアをこんなことに巻き込むなっ!」
銃身を持ったまま、ショットガンの銃底を男の喉元に押し付ける。ゴフッと咳き込んでからダイ・カーンは、それでも不敵ににやりと笑った。皺だらけの顔が不気味に歪む様を見て、ヴェルツは背に冷たいものが走るのを感じた。
「貴方も来ますか。オリンピアの銃を使って外国で最強の傭兵隊を作るのです。各国の紛争を操ってこのヨーロッパを……」
「な、何を……」
オリンピアは人を、街を守りたくて武器を造ったのだ。今となってはその行為自体が禁断だったわけだが、ヴェルツには彼女を非難することはできない。そもそも、この男が彼女の技術をとことん利用して……だから。
貴方も共にヨーロッパを掌握しましょうとの言葉に、激して叫んでいた。
──断る!
頬がカッと熱くなる。この男、ショットガンで殴りつけてやろうと手に力を込めた瞬間。
大司祭の暗い眼球の奥で何かがキラリと光った。ショットガンの銃身がピクリと震える。突然熱を帯びた銃身から手を放しかけたその時だ。
至近距離でショットガンが火を噴いた。右の鼓膜に強烈な衝撃波。
頭の奥が痺れる。銃口は余所を向いていたとはいえ、その発射をまともに喰らったのだ。ヴェルツの体は吹き飛んだ。ふわりと足元から力が抜け、宙を舞う。三階分の空間を一気に落下し、肩から地面に激突した。
「グッ……ウッ」
全身に突き抜ける衝撃。激痛。自分の呻き声が遠のいていく感覚。目の焦点がぼやけ、遠く──鐘楼の上から老人がこちらを覗き込む姿が歪む。その手にはショットガン。銃口は今度こそ完璧にこちらを向いていた。
「うぅ……」
動かない体をよじってその場から逃れようと全身を動かしかけた時だ。
ザッ──。すぐ横で足音が止まった。
見上げる先には──女。ヴェルツの横に立って、頭上の鐘楼を見上げている。その手には消音装置が握られていた。
「オリ……ピ……」
一瞬だけ、彼女がこちらを向いたように思う。名を呼ばれたような気もしたが、ヴェルツの意識は急速に現実感を失っていく最中であった。
彼女が銃を構え、引金を引く。
音もなく──本当に音もなく、大司祭の頭が弾け飛んだ。
それが、ヴェルツの視界に映った最後の光景であった。




