50話 最後の裏切り(4)
彼女は丸腰だ。銃はヴェルツに弾かれ、聖堂の隅に転がっていってしまった。全てを覚悟したようなその様子に、マナーワンが悲鳴をあげる。騎士に拘束された体勢のまま懸命にもがき始めた。
「放してください! 《死天使》!」
男にしては甲高いその声は大聖堂中に響き渡る。そのせいか、一つの足音が完全にかき消されていた。
足音は聖堂正面扉から入ってきて、足元に落ちていたオリンピアのサイレンサーを拾い上げる。
「もういいんですの、マナーワン……」
「《死天使》……」
「わたくしが元凶ですもの。言われるがままに人を殺す道具を造ってきましたもの。そのせいで何人もの人が死んで……」
──泣き言はもういいでしょう。
慣れない手つきで大司祭がショットガンを構える。
殺すつもりだとヴェルツは悟った。自分達のみならず、この場に居る全員。大司祭の生存を知る者はたとえ聖騎士といえど、ここで消してしまうつもりなのだ。
オリンピアも同じことを考えたのだろう。焦ったように前に進み出る。
「皆さん、ここから逃げ……」
黙れ!
叫んで皺だらけの細い指が引金を引く──しかしそれは途中までしか動かなかった。舌打ちを繰り返しながら。カチカチと何度も押すが、銃は鳴らない。
「安全装置を外してなかったっけ」
レオンが小さく呟いた。その場の全員が何らかの行動に出ようとしたその一瞬前──。
既に耳慣れた音。サイレンサーのボスッという押し殺した発射音が大聖堂の空気を引き裂いた。司祭のショットガンが弾き飛ばされる様を間近に見て、オリンピアが振り返る。
大聖堂正面扉脇に、サイレンサーを構えた青年が立ち尽くしていた。目を細めてこちらを睨むのは、眼鏡がなくて見え辛いからだと彼女は知っている。
「ロック!」
駆け寄ろうとしたその時、キラリ──光るものが宙を舞った。
「なに……?」
──ナイフか? 聖騎士の誰かが投げ付けたのだ。そう悟った瞬間、鋭い光は黒髪の青年の胸に吸い込まれる。軽く咳き込んで、ロックはその場に崩れ落ちた。
「ロック……!」
慌てて抱き起こす。しかし膝に抱えあげた男は、既に目を見開いていた。全身を激しく痙攣させ、しっかり腕に抱えていなければ膝から転がり落ちてしまう。ショック症状が始まったのだ。その場の全員が混乱している中、オリンピアはロックしか見ていなかった。
「オリ……、しっ……」
「何? 何ですの?」
肺から空気が漏れる音。早く手当てをしなければ助からないと一目で分かる。意識があるのが不思議な状態だ。
「おれは……死ぬっ……」
「何言ってるの! しっかりしなさい!」
「おまえ、も……いっしょに……」
ロックの右手がゆっくりと持ち上がる感覚を背中に覚える。硬直したその手にはサイレンサーを握り締めたままだ。
「ロック……?」
背中の左──つまり心臓の位置に銃口を押し付けられ、オリンピアの全身から力が抜けた。
「やめ……」
道連れにするつもりだと悟った。一緒に死のうと? 一人で生き残るくらいなら死んだ方がまし? 確かにわたくしに未来はない。でも──。
「うたな……」
──撃たないで、ロック。
しかし恐怖に声は出ない。背に押し当てられた銃口が微かに震える感触。オリンピアはぎゅっと双眸を閉じた。同時に銃から空気の漏れる小さな音。
──撃たれた。
その瞬間、彼女の全身に衝撃と痛みが走る。一瞬の意識の喪失。
「オリンピア、起きて」
ひょいと背を起こされ、彼女は目を見張った。
「え、わた……?」
傍らにはレオンが居て、背中を支えてくれている。
オリンピアは混乱した。全身を見回す。怪我はない。生きている。ああ、そうだ。ロックが撃つ寸前、誰かが横から自分の体を突き飛ばして……。恐る恐る彼女は背後を振り返った。そして痛ましい事実に愕然とする。
そこには僧形の男が倒れ伏していたのだ。固く目を閉じ、意識がないのは明らかだった。肌は頭から指先まで色を失い、真っ白である。僧衣には溢れ出る血液が赤の模様を広げていく最中であった。
「マナーワン……」
その傍らでは銃を持ったままロックが昏倒していた。取り憑かれたようにゆっくりとオリンピアはその場から立ち上がる。
「オリンピア? 何して……?」
レオンの問いには答えず、男の手からサイレンサーを拾い上げる。何の感情も沸かないのが不思議でならない。全てが麻痺したのだろう。精神も、利き腕も。
でも──。
「でも、まだ撃てるわ」
見回した聖堂内には大司祭の姿はなかった。全員の視線が己から逸れた一瞬に、ここから逃げ出したのだろう。ショットガンも消えていた。彼が持って出たのは間違いない。元大司祭の目的は分かっている。ここに居る者全員の命を奪うこと。さもなければ自身の生存が外部に漏れてしまう。
建物ごと全員を消す方法も、簡単に目の前に積まれていた。祭壇の油脂焼夷弾の山に弾丸をぶち込むことだ。
外から祭壇を狙うには──。オリンピアの視線を移動させる。ステンドグラス越しに教会の鐘楼が見えた。




