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5話【第一章 EDE.】城塞都市マクデブルグ(1)

「リーウッドの虐殺! ヒドイ! 痛マシイよ! そうは思わない?」


 ヴェルツは思わず顔を背けた。全身傷だらけなのだ。耳を、そして傷口を、その甲高い声がつんざくように抉る。


「私、絶対抗議する! ゼッタイニダヨ!」


「抗議ってどこに対してだよ、姉ちゃん……。それに何でそんなに元気なんだよ」


 息巻く姉に、それこそ抗議しようと口を開きかけたヴェルツだが、背中をぴしゃりと叩かれた。


「背筋を伸ばせよ!」


「ウグッ……」


 負傷箇所に激痛が走り、最早文句を言う気力も失せた。


「耐えろ、自分。前向きに考えろ、前向きに……」


 いや、駄目だ。さすがにこの事態を前向きに捉えることは出来まい。

 何と言っても人を殺してしまったのだから。

 ヴェルツの頭が無気力で渦巻く。何でこんなことになったんだか。ああ、自分は平穏に暮らしたかっただけなのに。


「まぁまぁ」と横で姉が笑った。


「気にしない。気にしない。残りの二人に殺されなかっただけでも拾いものだよ」


「そういう問題じゃ……」


 気にしないわけにはいかないだろう。目撃者もいる。殺人は重犯罪だ。やはり追われたりするのだろうか。

 いや、前向きに考えろ。弾みだったし、正当防衛だったと言えなくもない。尤も襲ってきたのが向こうからだったかと言われれば、少々疑問が残るが。


「もういいでしょ。あんたはホントウに面倒臭いよね。大丈夫だって!」


「弟に向かって面倒臭いとか言うなよ」


 彼女がこのやり取りに飽きてきたのが分かった。抗議すると息巻く割に、弟のことには随分投げ遣りな態度だな。そうは思うが口には出さない。

 とりあえず思考の矛先を変えようと試みる。あくまで前向きに──それが彼の生きる信条だった。だがそれにも限界がある。


 エルベ川沿いの街道に出て、商人達に混じって北上する。

 ほとぼりが冷めるまでしばらく村から離れるというのは賛成だ。しかし、何故この進路を? 後先を考えない姉に振り回されているとしか思えない。


 死んだ村人の埋葬を済ませ──その中にはロックの家族も含まれていた──その足で村を出てから丸二日。ドイツの街道を、姉弟は歩き続けている。

 弟は姉に尋ねる。姉ちゃん、一体どこへ行くつもりなんだ?


「マブッ、マグッ!」


 普段から早口の彼女だが、興奮のあまり舌が回っていない。呆れて歩を止めた弟の前で、姉は大声で叫んだ。


「マクデブルクだよ!」


「はぁ……」


 返事だか溜め息だか分からない呟きが、ヴェルツの喉から漏れた。

 マクデブルク──村から一歩も出たことのない彼でも、聞いたことのある大きな商業都市だ。


「私、考えがあるの。マクデブルクの大司教様に抗議しようと思って」


「だから、何て……」


「リーウッドの虐殺のこと。この間、村の修道士様が言ってるの聞いたんだ。大司祭様、人格者らしいから税金の免除とか頼みやすいんだって。私、お願いしてみるよ。村を何とかしてくださいって。お金とかいっぱい貸してくださいって」


「いきなり行って、そんなの出来るもんかなぁ」


 決して頭が良いとは言えない姉が、大司祭相手にどのように訴えようとしているのやら──いや、そもそも何の伝手もない自分たちが、大都市の大司祭に目通りできる筈もない。

 諦め顔でヴェルツは考える。まぁいい。行くだけ行ってみようか。そうすればこの人の気も済むだろう、と。

 姉の思いつきに振り回されるのは日常だった。この場は姉ちゃんに流されよう。


 いや、前向きに考えて、もし上手くいけば儲けものではないか。姉ちゃんが持ち前の強引さから、大司祭をも押し切ってくれたら……。そう考えると何となく希望が湧いてきた。ヴェルツは細い目を更に細めて姉を見つめる。


 キンキン声から耳を塞ぐと、姉は美しく見える。

 キルスティン、それが彼女の名だ。ふわりと巻く金色の長い髪、まるで人形のような造作の愛らしい顔立ち。素直な性格そのままに明るい緑の瞳は真っ直ぐ輝いている。街道を行く旅人、商人たちも必ず姉を振り返ることに、ヴェルツは気付いていた。


「目ぇ、開いてるの? 起きているのか?」


 大きな目を瞬いてこちらを見るキルスティンに、彼は焦った。

 失礼なことを言われたという自覚はない。迂闊にも一瞬でも姉に見とれたなどと、死んでも悟らせてはならない。


「まだ心配してるの? 大丈夫だよ、ヴェルツ。私がいるからね。必ず守ってあげるよ」


「よく言うよ……」


 意識は襲撃の悪夢の時へと戻る。


 昏倒したヴェルツは数十分後に意識を取り戻した。

 盗る物を盗った傭兵たちが死体を放って村を後にした頃である。目覚めれば、隣りには喉の割れた兵士の死体がそのままに。

 それは生涯最悪の目覚めに違いない。確実に寿命が縮んだと、汗を掻きながら起き上がったその時だ。ロックの母の姿が脳裏に蘇ったのは。足元から力が抜ける。


「姉ちゃん……」


 三年前に両親を流行病で亡くして以来、姉弟二人で暮らしてきた。姉に万一の事でもあれば……。

 生きた心地もせず村中を探し回った。あの時の恐怖はきっと一生忘れない。

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