43話 大聖堂へ(1)
いつもの悪夢で目が覚めた。
眠りは深かったらしい。一瞬、何が起きたか分からず、ここ数日間の悲劇も記憶の表層に上らなかったから。
「気が付きましたか、ロック」
不意に現実に戻され、彼はがばと飛び起きた。体を起こすなり咳き込む。そうだ、オリンピアを抱えて塔を出ようとする途中、煙に巻かれて……。
「こ、ここは……?」
体中が痛む。見回した周囲は薄暗い部屋だった。無論、見覚えはない。石造りの壁に寝台ベッドと小机という家具を並べただけの狭い空間だ。
「おそらく教会の個室僧房の一室ですわ。扉には外から鍵が掛かっているみたい」
ロックは振り向いた。暗がりの向こう──カーテンを閉められた窓の隙間から漏れ込む明かりに、その亜麻色の髪が照らされぎょっとする。
目を細めた。眼鏡がないからよく見えない。しかし声、雰囲気から直ぐにそれが武闘派のお嬢様だと分かり、彼は息をついた。
様子がおかしいと気付いたのはしばらく経ってからだった。オリンピアが動かない。喋ろうともしない。壁にもたれて座ったままだ。
「オリンピア……?」
薄闇の中で目を凝らす。彼女の額には大粒の汗が滲んでいた。視線を伏せて、押し殺した呼吸は荒い。
「だ、大丈夫か?」
そうだ、おれが銃で彼女の腕を……。
撃った時の衝撃を両手に思い出して、ロックは指先が震えるのを自覚した。
肩から肘にかけて、右腕には布が巻き付けられている。自ら手当てしたのだろう。所々乾いた血で汚れていた。
「あなたがわたくしをここに連れて来たのだと思ってましたけど、どうやら違うようですわね。何があったか説明してくれませんこと?」
珍しく口調に棘がある。いや、それも無理からぬことだとロックは思った。
「お、おれは……」
気を失ったお前を抱いて塔を出ようと……。でも途中で煙に巻かれて意識を失ってしまって……。
「では何者かがわたくし達を助けて、ここまで運んでくれたと? ご丁寧に部屋に鍵までかけて。わたくし達を閉じ込めてどうするつもり……いえ、ここに居たら安全だとでも?」
オリンピアは爪を噛む。事態が分からず混乱しているのはロックとて同じだ。
「それよりオリンピア、腕を……」
「腕? 掠っただけですわ。血は止まりましたもの。このくらいの怪我……」
「でも……」
しかし、伸ばした手は冷たく弾かれた。
「わたくしに触らないで」
完璧な拒絶を受けて、ロックの動きが止まる。どう言えば良い? すまなかったと謝れば良いのか? お前を撃つなんてどうかしていたんだと。
うっすらと涙を湛えた薄茶色の双眸がじっと己に注がれる感覚を、ロックは痛い思いで感じていた。
「それだけじゃないわ。わたくしの叔父様を……」
叔父様を殺して、しかもそのご遺体をどこへやったのよ。そう言う彼女に、ロックは情けなく首を振るばかり。
ち、違う。おれじゃない……。
では誰だと言うの? そう言われても言葉に詰まるだけだ。これ以上の議論は無用だとばかりに彼女は立ち上がった。ふらつく足取りで窓辺に進む。
不意に開け放たれた窓の外を見て、ロックは小さく声を上げた。
街が炎に包まれていたのだ。遠くに聳える塔の形が炎の中で黒く浮かんでいる。手前に広がる街の全景も蛇のような炎に舐められていた。風に乗って熱気と火の粉、街の住民の叫びが届く。
この街で今はここが一番静かな場所であるようだった。
「お、おい、やめろ」
躊躇うことなくオリンピアが窓の縁に足をかけたのだ。ここは三階だ。飛び降りられる高さではない。しかもその傷で。ロックは後ろから彼女を抱き寄せた。
「は、放して!」
「無茶だ。やめろ!」
強引に引き寄せたものだから、二人はそのまま倒れ込んだ。彼女を庇ってロックはしたたかに床に背中を打ち付ける。
「放してって言ってるでしょ!」
腕を振り払い、オリンピアは尚も窓に駆け寄る。痛む背を擦り、ロックも彼女を追った。飛び降りないよう、怪我をしていない方の腕をつかむ。
彼女の身体は震えていた。自分の街が炎に包まれる様を見るのは衝撃的なものだろう。それをロックはよく知っている。
「ヴェルツさんは無事に塔から逃げられたかしら……」
突然友人の名を出されてロックは焦った。あの塔にヴェルツが居たことすら彼は知らない。
「きっとわたくしを探しているわ。ご無事なら良いのだけれど」
「ヴェルツか……」
確かに今頃街中をうろうろしているかもしれない。あの人の良い友人が、自分の行動の一つ一つに振り回されている様を想像するのは気分が良かった。我ながら歪んだものだと自嘲の笑みを浮かべる。
「ヴェルツもお前の仲間も、この騒ぎで生きているかも分からないだろ。何せ大司祭殺しで追われてるんだから」
キッとオリンピアがロックを睨む。構わず彼は続けた。
「それにお前が居なくても誰も気に留めやしない。おれと二人でどこかへ逃げたと思うだけさ」
「あなたと二人で? まさか! わたくしが?」
吐き捨てるように呟いた。神秘的なまでに高貴に話すオリンピアが、まるで毒を吐くような口調で。反射的にロックの手に力がこもった。オリンピアが自分を嫌っているのは分かっている。母の死を理由に、彼女には当り散らしてばかりだ。
それでも、と思う。それでも──。




