4話 リーウッドの虐殺(4)
女が息を飲んでこちらを見るのが分かった。ヴェルツは反動でその場に尻をつく。しかし弾はどこへ飛んだのやら。兵士は無傷で立ったままだ。
変わったモノ、持ってんじゃねぇか。ニヤリと笑ってそう言われた。
兵士のターゲットは完全にこちらに向いてしまったようだ。再び引金を引くが、中でカチリと音はするものの反応がない。兵士の剣が喉下に迫り、ヴェルツは反射的に目を閉じて何度も何度も引金を引く。
「弾切れですわ」
女の声。それから何かが空を裂く気配。
身を縮めたヴェルツの眼前で固い物がぶつかる音。恐る恐る目を開けて、彼は座り込んだまま後方へ後ずさった。
目の前に兵士が突っ伏していた。
ヴェルツの顔面すれすれ。兵士の首目掛けて女の足が叩き込まれたのである。目の前で首が嫌な角度で曲がった男を眼前にして、ヴェルツは慌ててその場から立ち上がった。
蹴りを放った後、勢い余って倒れ込んだ女に躊躇いながらも手を差し出す。結果的に助けられた形になってしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
疑問が渦巻いていた。この場合、他に相応しい台詞もあるような気がするが、咄嗟に思い付かない。
「ええ、大丈夫ですわ。ありがとう」
やや息を乱して立ち上がった女に、ヴェルツは見とれた。
短い亜麻色の髪が汗で頬に張り付いている。上気した肌からは快活さというよりも気品のようなものを感じさせた。薄茶の双眸は射抜くように強い光を放ち、ヴェルツを真っ直ぐに見つめている。
ヴェルツよりも僅かに年上といったところだろうか。村の人間でないことは明らであった。簡素な旅装束ながらも衣服の仕立ては良いし、何より物腰と口調の優雅さと美しさたるや。
「あ、あなたは……?」
どこかのお姫様ですか? 言いかけたヴェルツだが、彼女の視線が一点に注がれていることに焦りを覚える──即ち、銃。
慌ててそれを背に隠し、反射的にロックの方に視線を送った。動きにつられた女もそちらを見て、そして瞬時に状況を悟ったようだ。
「まぁ、何てこと……」
その呟きにロックがゆっくりと顔を上げる。
ゆらり……立ち上がった。その目に常軌を逸した凶暴な光を見て、ヴェルツは女の前に身を滑らせる。
「ロッ……」
正気に返れという思いを込めて、友人の名を呼ぼうと口を開きかけた時だ。女が小さく声をあげた。
──助けて、と言われた気がして振り返ったヴェルツの前に兵士が三人。
いつの間に? 思わず後ずさる。先程の男とは技量が違うと分かるのは、三人の位置の取り方、剣の構え方からして全く隙がないからだった。
「ど、どいてください」
気丈にもヴェルツを押しのけて前に出ようとした女を押し止め、彼は頼みの綱の銃をロックの手に握らせた。弾切れと言われたことなど頭から抜け落ちている。
「い、いいな、ロック。彼女を連れて逃げるんだ」
ぼんやりした表情で銃を受け取った友人。再びその名を叫ぶと、彼は漸く我に返ったように小刻みに頷いた。
「わたくしは大丈夫です。構わないでください。あなた方まで危険に……」
女がヴェルツの前に進み出る。胸の前で左手を折り曲げ、右手を強く前方に差し出す。
何かの武術の構えのようだった。そう言えば先程、兵を倒したその手腕も鮮やかなものであった。心得があるのかもしれない。
とはいえ、か弱い女性である彼女にこんな殺人集団を任せることはできない。
「ここは自分が何とかしますから。だから……」
ヴェルツは叫んでいた。
「ロック、頼むぞ」
その声に押されたように友人は女の腕を取って走り出す。
「ま、待って。放してください」
暴れる彼女に、ヴェルツは叫ぶ。
「あなたは逃げてください。自分が……自分が必ず守りますから」
なぜそんな行動を取ったか分からない。そういうキャラじゃないのは自分が一番よく分かっている。出来れば真っ先に逃げ出したいくらいだ。
前向きに考えれば、目の前で苦境に立たされた女性を助けなくてはならないという純粋な義侠心だろうか。
ロックと女は転びながらもその場を立ち去る。
三人の傭兵は、ヴェルツを無視して二人を追う動きを見せた。ひょろりとした体躯の、丸腰の若者など眼中にすらない。させじとヴェルツは一人の背に体当たりした。
不意の攻撃に、兵士は身をばたつかせる。その腰から短刀を抜き取ると、ヴェルツはそのままの動きで手首を翻す。
短剣の切っ先に、何かが触れる感触。刃が男の喉を切り裂いたのだ。ビュッと嫌な音と共に、肉の裂ける感触。
しまったと思った。だが、時既に遅し。刃先を喉元に突きつけて脅すだけのつもりが、相手の喉はパックリ割れ、血が吹き出ている。
一瞬、頭が真っ白になる。ヴェルツは小さく首を振った。
「こ、こんなつもりじゃ……」
大変なことになった。人を殺した? でも、仕方がないだろう。こちらが殺されるところだったのだ。
今だって、後の二人の剣がヴェルツを狙っているのは瞭然だ。こちらに対処しなくては。
とにかく血を被ってはいけないと思い直す。特に目には。
頭では分かっていた。喧嘩の常識だ。死体になりかけている男の身体を盾に短刀を隠して、そしてもう一人に突っ込んで行くんだ。それから──。
そう、頭では分かっていたのだ。如何せん、体が全く付いていかない。
「め、目が……」
顔面にまともに血を被り、目が痛くて開かない。
ふらついた隙に、後頭部に凄まじい衝撃。剣の柄で殴られたのだと悟った時には、目の前が暗転していた。ドサリと音立てて、地面に昏倒する。
意識を失う直前、眼前にあったのはパックリ喉の割れた兵士の死体。
それから平和だった朝と変わらぬ青い空。
求めた平穏が、握った拳の指の間から砂のようにハラハラと零れ落ちる感覚。情けない呻き声を漏らしてから、ヴェルツは完全に意識を手放した。