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その手に、エデンを~ドイツ教会軍特殊作戦部隊~  作者: コダーマ


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34話 サイレンサー(2)

 夢から覚めると、途端に痛みと冷気が襲いかかる。

 石造りの冷たい床。薄暗く狭い個室、窓もなく、不釣合いなほど頑丈な扉には外側から鍵が掛かっている。


 ──そうだ……。


 ロックは身を起こした。動くと体中の打撲と傷が疼く。

 オリンピアと別れてすぐにカトリック軍に捕まり、爆弾を巻かれて大聖堂に放り込まれた。ヴェルツと不本意な再会を果たし、しかし直ぐに騎士団に捕まり……、そして(ここ)へ。

 ヴェルツではないが、つい三日前までは村で平穏な生活に浸っていたというのに、もうそんな日常は思い出せない。


 オリンピアの夢を見ていたような気がする。

 あの女を思い出す度に、母の最期の顔が重なる。村を出てから毎日うなされた。眠るのが怖くて、懸命に睡魔を追い払う。

 しかし疲れ切った身体と精神に、悪魔のように眠りは襲いかかる。寝てもどうせ、こうやって悪夢に目覚めるというのに。夢をみる度、美しかった母は陵辱されて死ぬのだ。


 重い息を吐いて、ロックは上体を起こした。頭の横に置いていた眼鏡を取る。硝子が割れて枠だけになってしまっているが、それでも習慣のようにそれをかけたのだ。当然、視界が開ける筈もない。


 ロックは極度の近視だった。

 勉強のしすぎだよと、ヴェルツによく言われたものだ。


 今、確かに思う。下らないことに随分時間を費やしてしまったものだと。ルターの宗教改革だとか免罪符制度やカトリック教会の腐敗の歴史だとか。そんなものの知識が一体何になる?

 目の前で起こった新旧勢力の激突に自分は呑まれ、もみくちゃにされただけではないか。


 いや、違う。哀れな己を慰める方法なら知っている。自分みたいな使い捨てが、直ぐに命を取られなかったのはこの頭脳のおかげじゃないか。


 マナーワンと言ったか。馬鹿丁寧な敬語で喋る司祭が言ったことをロックは覚えていた。殺してはなりません。首謀者の名を吐かせるのです。


 名など知らぬ。何も教えられず、訳も教えられず爆弾を巻かれ、惨めにも銃で脅され教会に放り込まれた。

 何も知らないことを気取らせなければ口の堅い、強情なテロリストとして暫くの間は生きながらえることが出来よう。しかし──そうやって辛い時間を稼いだところで、最早己に先があるのか? 生きる目的もなく、会いたい人ももう居ない。


 言われた通り大司祭を殺ったというのに、カトリック軍からは助けもない。

 所詮使い捨てか。分かっていたことだ。両手で顔を覆う。掌に火薬の臭いが染み付いているようだ。


 自分が撃ったという確証はない。夢中で引金を引いた。あの時は記憶がないくらい興奮していたのだろう。気が付けば大司祭は倒れていて、彼は銃を取り落としたのだった。

 初めて人を殺した。なのに何の感慨もない。死体を見てもそれが己の行為だとは到底信じられなかった。


 ロックは思う。おれはこの暗闇と悪夢の中に一人取り残されて死んでしまうのだろう、と。勉強がしたい、マクデブルクに行きたいなんて言っていた自分の姿が夢の中の出来事のように思い出される。


 念願の大都市に立つ己の姿は、ひどく卑小で暗くて……。現実を直視したくなくて目を閉じれば瞼の裏に、苦痛に歪んだ母の顔。耳の奥には助けを求める叫び声。

 ああ、絶望が全てを覆うようだ。

 それからいくらか時が流れた。


 カチャカチャと金属の鳴る音にロックは気付いた。続いて扉が静かに開く気配。ロックは俯いたまま。誰が入って来るにしろ、見る気もしない。前向きヴェルツじゃあるまいし、まさか助けが来たなどとは思わない。

 おそらく教会関係者か、或いは街の警察組織。大聖堂で捕まえた怪しい男を拷問しに来たのだ。


 だからそんなものに耐えてまで生き延びる価値があるか? いっそ今すぐ舌を噛んで死んでやろうかと半ば本気で思いながらも、ロックは室内に入ってきた人物がたった一人なのに驚いた。


 ゆったりとした歩調。ロックは俯いたままちらりと視線だけを上げて男を観察する。小男だ。この暗がりの中ですら頭からフードを被っているため、顔は見えない。

 これは正式な用件ではないと直感した。公用で──例えば拷問しにここに来る者が単独であるということはありえないし、それに男にはどこか焦りが感じられた。見張りの兵に見つかることを恐れているのだ。だとしたらおれにもまだ生きる道が残っているのかもしれない。黙ったまま、ロックは相手の言葉を待った。


「見ましたよ。大司祭殺害現場を」


 声を低めて、囁くような口調。少ししわがれているように聞こえる。


 この声──?


 ロックの目が鋭く細まった。この声、どこかで聞いたことがある。彼は視力が弱い分、聴力は優れていた。一度聞いた声は忘れない。


「間近で見たので分かるのですよ。貴方には暗殺の才能がある」


 確かにどこかで聞いた。いつだったか、誰だったか……。


「大司祭付きの特殊部隊の一員としてその腕を生かしませんか」


「し、しかし大司祭は……」


 思わず反論した事に、相手は満足そうに頷いた。


「そうです。大司祭は殺されました。大司祭付きの特殊部隊EDE.も、しがらみが多すぎてもう使い物になりません。新たな組織を、新たな場所で創設するのです」


 何を言ってるんだ、この男は。ロックは答えなかった。こんな下らない話をされるくらいなら素直に拷問された方が、はるかに単純で分かり易い。


「貴方は頭が良い。今の状況を弁えているし、考え方も現実的です」


 こんな所で朽ち果てる人間ではありません──まるで誘惑するような囁き。生温かい息が耳元にかかって、嫌悪感にロックは顔を背けた。


「ろ、籠絡する気か。おれには野望なんてない」


 フードの奥で、男が小さく笑った。


「野望なんていりませんよ」


 耳元で何事か囁いて、男は背を向けて立ち去る。閉められた扉に、しかし鍵の掛かる音はしなかった。

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