30話 疑惑と約束(3)
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月の光も蔭り、闇は色濃く街を包む。
しかし安らかな眠りの気配を、街は醸してはいなかった。空一面に殺気が充満する。街を取り囲むカトリック軍、それから大聖堂を中心に闊歩する聖騎士軍。
それからここ──街外れの塔。
「カトリック軍に備えなきゃなんねぇのに、何でこんな所の警備なんか……」
見張りの兵士が呟いた。声は目の前の闇に吸い込まれる。逆に何か喋っていなければ不安と恐怖に押し潰されそうになるのだ。
荒れ果てたこの塔。普段は主に政治犯を投獄するのに使っている。いつもは怪談話が囁かれるくらいひっそりした場所だが、今夜は少々様子が違っていた。
「聖騎士団長が捕らえられたらしいぞ」
突然の背後からの声に、兵士は悲鳴をあげる。
「お、おどかすなよ……」
見張りの交代の時間なのだろう。同僚が後ろに立っていた。
「聖騎士って……あの黒騎士か?」
どんなへまをしたんだかな、と小馬鹿にしたように笑う同僚の声が唐突に途切れた。
「ど、どうした?」
嫌な予感がして、兵士は手元の小さなランプを暗がりに向ける。息を飲んだのは同僚がその場に倒れ伏していたからだ。外傷はなさそうだ。呼吸も安定している。
おい、何やってんだよと呟いて、彼は塔の詰所のある方向に向かってランプを振った。
「おい、誰か来てく……」
しかし言葉は不意に途切れる。背後に気配を感じて彼は動きを止めた。危機感を覚えなかったのは、殺意を感じなかったからだ。
「何だ、誰……?」
同僚の一人だと思って振り返りかけた瞬間、耳元で空気の唸る音。続いてみぞおちに軽い衝撃を覚え、兵士はあっさり意識を手放した。
「あ、あの……」
あっという間に二人の兵士をのしたオリンピアを前に、ヴェルツは手持ち無沙汰に立ち尽くしていた。
「わたくし、どちらかと言うと武闘派ですの。一通りの護身術は習いましたわ」
「いや、護身術なんてレベルじゃ……」
そう言えば初めて会った時も、簡単に傭兵を倒していたっけと思い出す。
「自分が守るなんて言ったけど、どっちかって言うと逆ですよね」
誤魔化すように笑うと、オリンピアは首を振る。
「いいえ、ヴェルツさんがいらっしゃるととても心強いですもの。本当よ」
そう言われては「はぁ……」と苦笑するしかない。
「それよりお姉さまは大丈夫かしら。わたくしを逃がしたことが知れたら……」
「ああ、ありゃ大丈夫ですよ。連れて来たら大変なことになる。あの人、声はでかいし、頭は悪いし、人の話は聞かないし。極秘とかいう言葉の意味も分からない人です。金銭感覚はないし、時間の概念もないし、とにかく頭が空っぽで」
「まぁ、そんなこと……」
極秘。
そう、ヴェルツとオリンピアは街外れにある塔の入口に居る。
政治犯や公に出来ない事件の容疑者、或いは身分ある犯罪者はひとまず人目につかないこの塔に監禁されるのだとオリンピアは言った。
つまり、ロックがここに居る可能性は高いという訳だ。
「可哀相な方ですわ。お母様を亡くされて、すっかり自分を失ってしまっている。ここから助けて……早く村に帰して差し上げましょう」
彼女らしくない冷たい物言いに、ヴェルツは戸惑いを隠せない。
──何かあったのか?
村からこの街に来る途中に、二人の間に何か?
ロックは元々優しい男だ。オリンピアが彼に惹かれたとしたら──いや、もしもの話だ──それも納得出来よう。その彼が突然カトリック軍の手先として現れたから? だから彼女は混乱しているのか?
もしもその場に自分が居たら? 或いはロックの代わりに自分が彼女と共に逃げていたどうなっていただろう。そんなことを不意に思ったが、隣りでひたむきな視線を建物に送るオリンピアを見て、後ろめたくなった。
「あそこにも見張りが。ほら」
指差された先には、確かに兵士の影が見える。
今夜は塔は厳戒態勢のようだ。
塔とは言え、元は没落した貴族の館の一部であるらしく、狭苦しい印象はない。各階の面積も広いため、見張りはあちこちに配置されているようだ。
外壁に沿って設置されている階段を上階に向かって登りながらも、上の方に兵士の影を発見した。こんな時こそと、ヴェルツは上着で隠していたロックの銃を取り出す。
「じ、自分が何とかしま……」
両手でグリップを握り締めて引金に指をかける。だがトリガーはぴくりとも動かない。
「あれ? あれ……」
何度か同じ動作を繰り返すと、隣りでオリンピアが声を潜めた。
「安全装置を外してください」
「え、ああ……これ?」
言われた所を引くと、指に引きつるような圧が加わった。そのままの兵士に向けてぶっ放す。
「ちょっと待っ……」
オリンピアの叫びは轟音に近い銃声にかき消された。
発射の反動に、ぎゃあと悲鳴をあげてヴェルツはその場に倒れる。
そのまま尻で階段を数段滑り落ちて、銃も手放してしまった。
当然ながら、弾丸は空の彼方に消え去り、狙った兵士は突然の銃声に騒ぎ始める。
「ああ、もぅ……貸してください」
珍しく苛ついた口調でオリンピアが彼の足元に転がった銃を拾い上げた。




