25話 逃走(4)
※ ※ ※
きな臭い。何かがおかしい。
ここ数日間付きまとう嫌な予感が、まさかこんな悲惨な形で的中するとは。
聖騎士団長ゴーチェ・フォーレ・コッホは相変わらず黒鎧に全身を覆ったまま、現場である大聖堂内を歩き回っていた。
昨夜の襲撃で部下の数は相当数減った。その全員が、大司祭殺害事件の捜査に街を駆け回っている。
ここで──。
かつんと踵を鳴らす。大きな柱の側でゴーチェは立ち止まった。この場所で大司祭は倒れたのだ。大司祭自身の姪、オリンピアの登場でその場の全員の目が彼から離れた瞬間だった。
「誰がやった?」
銃声はしなかった。
それとも直前に繰り広げられていた常識離れした銃撃戦の直中にいたため、耳が麻痺していたのか?
自身があの場に居なければ、真っ先にあの集団を疑ったところだ。そう、実に疑わしい。この上なく疑わしい。
銃声が聞こえなかったところが更なる疑惑を沸き立たせる。あいつらなら、そういう卑怯な武器の開発をしていたとしてもおかしくないだろう。
しかし感情と事実を混同させるほど、彼は分別を失ってはいなかった。あいつらが犯人じゃないのは、この俺が証言する。すぐ隣りに居たあいつらに猊下は撃てない。
混乱の中、奴等が逃げ出したのは知っている。そこからはぐれて取り残された自爆犯を捕らえてはいるが、こいつも犯人ではない。
訳が分からなくなってきた。ゴーチェは自分が頭の良い人間ではないと知っていた。これ以上考えても仕方ない。
「いや、待てよ……」
そうだ、猊下のご遺体を調べさせていただいて、弾丸がどこから入ったか角度を調べれば、自ずと犯人の居た場所が浮かんでくるのではないか。不意に浮かんだ名案に、彼は興奮した。
ひとまず遺体を安置している地下に降りていく。
「おい? 誰か居ないのか」
見張りを命じていた筈の部下の姿がないことに、まず違和感を覚える。
次に訝しんだのは、遺体の安置所にしている部屋の扉が開いていたこと。どういうことだと一人毒づいて部屋に入り、ゴーチェは絶句した。
寝台に丁寧に寝かせた筈の大司祭の遺体がないのだ。
「馬鹿な……」
己がここに遺体を置くよう命じたのだ。
有り得ない。一体誰が? 無断で持ち出されたのであれば、これはとんでもない冒涜だ。
足元から力が抜ける感覚に逆らって、ゴーチェは壁につかまりながら階段を登る。
「誰か……誰か、猊下のご遺体をどこかに移したか……?」
聖堂に戻った彼は、その時腕を強く引っ張られた。情けなくその場に尻をついた黒騎士の上に、狩猟時に獲物を捕らえる大きな網が被せられる。
捕まった? そう悟った瞬間、兜の上から衝撃が。瞬時に意識は闇に転じる。
※ ※ ※
マクデブルクを横切る大河エルベ河。商業的性格を持つこの街の繁栄は、中央を分断する河によって支えられている。エルベは即ち人を、物資を、武器を運んでくる。
──でもここ数日、それもないわね。
女は呟く。まだ少女の面影を残した顔に派手な化粧を施し、胸元の開いた大胆な衣服を纏っている。一見して花街の女性と分かるが、一番忙しい筈の夜更けのこの時間に退屈そうに路地をうろうろしているのは、腑に落ちない。
「こんな時期に客なんて来ないわよ」
仕事にあぶれているのは自分だけではないのだと、自らに言い訳するように呟く。
カトリック軍に包囲されてからというもの、船の運航も止まってしまった。
陸が駄目ならと、河を通って街から逃げ出した金持ちが、出鼻を挫かれて戻ってきた様を見た時は愉快だったが、笑ってばかりもいられない。危機がすぐそこまで迫っているのは分かっていたから。
「あの人も来ないわよね。せっかく珍しい砂糖菓子が手に入ったのに……」
いいわよ、あたしが食べちゃうから。言いながらも未練がましく周囲を見回す。
マクデブルクを縦断するエルベを境にして街の様相は異なる。
エルベ左岸はドイツ系住民中心の地域だ。学生や商人、貴族らの屋敷や公共機関が整然と区画されているのに対して、右岸は見るからに貧しい。ごみごみした商店やスラム街、娼館などが立ち並ぶ。
教会はエルベ沿いの左岸に位置していた。右岸からも通いやすい立地ではあるのだが、彼女の属する娼館の住民は誰も寄り付こうとはしない。特別な理由がある訳ではない。貧乏暇なしで、呑気にそんな所に行く時間がないのだ。
しかし、彼女は気付いていた。遠目に見える教会の様子が夕べからおかしいことに。
花火を打ち上げたような音が何度もしていたし、今朝からはお坊さん達が出たり入ったり。
何かあったのは明白だ。どうせ暇だし、見に行ってみようか。暫く考え、彼女は結論を下す。
「やっぱりやめとこ。面倒臭いわ。帰ってお菓子食べよ」
踵を返した彼女は、しかし次の瞬間その場に凍り付いた。
「声を出すな」
こめかみに固い物が当たった。その冷たさと殺気に、彼女の全身に震えが走る。
「あ、あたし、お金なんて持ってな……」
銃口で押され、彼女はよろめいた。その拍子に背後の人物の姿をちらりと見やる。
「あら、カワイイ顔」
銀髪に青い眼。十代前半に見える。目付きの悪い少年だ。
仕事柄、身に染み付いた癖だろうか。こんな状況にも関わらず男を値踏みする視線。
女の自分が嫉妬するくらい整った顔立ちは、しかし今は殺意に歪んでいる。
物騒な子というのが彼女の印象だった。この事態を鑑みれば、それは考えるまでもない当然の結論だったわけだが。
「声を出すなと言ってるだろ」
「ああ、ごめんなさ……きゃあ!」
こめかみを引き攣らせて銃を鳴らした青年に、彼女は身を縮めた。その時だ。




