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その手に、エデンを~ドイツ教会軍特殊作戦部隊~  作者: コダーマ


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22話【第二章 死天使が崩れる】逃走(1)

 家全体に漂うジャムの香り。至る所に置いてある砂糖菓子の壺。

 街路の騒々しさが扉越しにも伝わってくる。

 所謂、下町という所だ。小さな家々が込み合って建っているが故の周囲の喧騒。


 それから家の中──主に隣りの寝室から聞こえる騒ぎも煩さの要因であった。ひっきりなしにマナーワンが喋る声。砂糖壺の割れる音。モリガンが怒鳴る声。それに対してレオンも口答えする。


「いい加減にしろよ、モリガン! だから虫が湧くって言ってんだろ!」


「コラ、勝手に触るな!」


「うるっさいですよ、あなたたち。拙僧は怪我人なんですよ」


 ──本当に煩い。


 小さな民家に、部屋は二つだけ。他の皆は奥の寝室に居るというのに、ヴェルツのみ一人で玄関に近い食堂の椅子に腰掛けていた。実に空気が重い。


 ──本当に、煩いんだよ。


 もう一度呟く。これにさっきまで、姉の甲高い叫び声が加わっていたものだから堪らない。


「はぁ……」


 大きな溜め息。背を丸めると、ひょろりと長い身体は随分小さく見える。

 何かに怯えるように、彼は隣りの部屋の扉をちらりと見た。

 ヴェルツの手の中には黒光りする銃。両手で覆っても隠せない大きさだ。夕べからずっと上着の中に隠していたのだ。この銃には見覚えがある。村で拾ったものだ。襲撃の際、ロックが手にしていたものに間違いない。


 ──あいつがやったのか?


 大司祭が倒れたのは、全員の注意がロックから逸れた一瞬だった。ロック自身が言うように、あいつがカトリック軍捕虜の自爆要員であったならば、爆弾を巻きつけられながらもこれを持っていたという事は……。

 第一の策(爆弾)が失敗したら、第二の策(この銃)で大司祭を狙えという指示を受けたのか。


 ──この銃でロックが大司祭を?


 銃身はもう冷たい。弾がどれだけ減っているか調べたいが、どこを触れば良いかも分からなかった。

 手にしているのも嫌で、しかしその場に放り出してしまうには物騒すぎるそれを、ヴェルツは仕方なくまたベルトに挟む。混乱の中でロックが落としたそれを咄嗟に拾ってしまったのは、他の者に見付かるより自分が持っていた方が良いと思ったからだった。


「ま、前向きに考え……」


 ……られる訳がない。さすがに口癖も空回りした。


 猊下を守ってくださいとマナーワンに言われたのは丁度昨日の今頃だった。

 真に受けたわけじゃないが、目の前でその死を見てしまったという事実は心に重くのしかかる。それも自分の友人──ほとんど身内のような男が手を下したとなると……。

 しかもロックの縄を解いて爆弾から解放してくれたのは、他ならぬ大司祭本人ということが、ヴェルツの胃をキリリと締めあげた。


 こめかみを撃ち抜かれて大司祭が倒れた刹那、教会中が混乱に陥った。

 生き残りの修道士や聖騎士と共に、カトリック軍らしき侵入者も押し寄せてくる。

 ヴェルツたちは必然、侵入者との交戦に巻き込まれながら外へと追いやられた。

 街路を逃げ、ひとまず安全な所へということで、夜明け近くにここ、隠れ家然としたモリガンの自宅へ辿り着いたのだ。


 ロックとゴーチェ両名とは、混乱の中ではぐれてしまった。

 黒騎士はともかく、ロックは捕まったらどうなるか。命の保障はない。せめて自力で街の外に逃れていれば良いのだが。カトリック軍の元へ戻れば、少なくとも殺される事はあるまい。いや、それにしても……。


 ──どうすればいいのか。


 隠した銃がずしりと重くなった。

 ああ、今ごろ分かった。

 ヴェルツは目を閉じる。昨日の昼間出会った老人が、透明な空気を纏ったあの男こそが大司祭その人だったのだと。


 天使のような人だとマナーワンは言っていた。何となくそれも頷ける。あの時、あの人は何と言っていたっけ。

 求める楽園は何処にあるのだろう──そう呟いていた。どういう意味だろう。今となってはどうでもいいことだ。そんなモノはどこにもないと分かっていたから。


 その時だ。

 カチャリ。遠慮がちに扉が開き、ヴェルツの悲壮な思考は一旦中断される。


「お怪我は大丈夫ですか、ヴェルツさん」


 静かに部屋に入ってきたのが亜麻色の髪の美しい女性と分かり、焦ったヴェルツは銃を確認する。大丈夫、ちゃんと上着で隠れている。彼女──オリンピアの目にそんなものは触れさせたくなかった。


「は、はい、何か?」


「手当てさせてくださいね」


「い、いえ、自分はいいです。掠り傷ですから」


 オリンピアは隣りに座ると黙ってヴェルツの腕を取った。静かな物腰だが、有無を言わせぬ様子だ。

 本人の言うとおり小さな傷だが、腕や足、顔に無数の小さな擦り傷と打ち身の跡が見られた。オリンピアの細い指が傷の一つ一つを丁寧に消毒し、ヴェルツは正直どこを見てよいか分からなくなった。目を逸らせながら、それでもちらちらと彼女に視線を走らせる。


 髪と同色の睫毛に縁どられた目の周りが赤いことに気付く。夕べ寝ていないのだろう。一晩中マナーワンらの手当てに暮れていたからだ。


「あなたこそ、少し休んでください」


「いえ、わたくしは大丈夫ですわ」


 大きな傷に薬を塗って絆創膏を貼りながら、オリンピアはくすっと笑った。


「わたくしのこと、覚えていらっしゃらないの?」


「あ、いえ、その……」


 村で会ったことを、あの事態の中でまさか彼女が覚えていたとは思わなくて、それならばと、わざわざ持ち出すのも憚られてヴェルツは結局昨日の再会以来、彼女に話しかけていない。

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