2話 リーウッドの虐殺(2)
火薬の爆発の力で鉛玉を遠くへ飛ばすというものだ。ずっと大振りな狩猟用の銃であれば村長の家で見たことがある。
しかし目の前のそれは、そんな単純な構造の代物とは思えなかった。噂に聞くよりずっと小ぶりで軽く、扱いやすそうな印象を受ける。そのくせ威力だけはありそうな……。
いや、まさか……そんな最新技術がこんな田舎に。
「そうだ、ありえない。どう前向きに考えたって……」
現実逃避を始めた友人を、しかし今度はロックも見逃してはくれなかった。
「どう思う、ヴェルツ?」
「どうって……そりゃお前、見るからに……」
「そうだよな。銃、だよな。縄が付いてないから火縄銃じゃないし、マスケット銃でもなさそうだ」
確認するように一語一語区切って言う。
「どうしたんだよ、それ」
ヴェルツの声は掠れていた。
己の求める平穏とは対極に位置するその物体は、初夏の陽射しを受けて意外なくらいきらきらと黒光りしていた。
「村の外れで拾ったんだ。さっき」
「拾うなよ、そんなもん!」
ヴェルツの声が裏返る。
「見るからに物騒だろ」
しかしロックは聞いちゃいない。
「なぁ、撃ってみないか」
両手でグリップを握り締め、右手人差し指を引金にかける。銃口の先は空の彼方だ。
大丈夫だ、おれは狩猟用の銃なら撃ったことがあるんだ。結構腕も立つと親父に言われ……。
指先を動かしかけたところへ、ヴェルツがその腕にくらい付く。
「やめろってば! 平穏が……平穏が崩れる!」
かなり混乱をきたしている様子で、ヘイオンヘイオンと叫び出した。
「な、何訳の分からないこと言ってんだよ。放せよ!」
ロックが友人の腕を振り解く。ヴェルツは背は高いが非力だ。ひょろ長い身体を突き飛ばして、彼は青空に向けて引金を引いた──パン!
予想よりずっと軽い銃声がとどろき、ヴェルツが悲鳴を上げる。
発射の反動によろめいて尻を付いてから、ロックは友人と顔を見合わせた。眼鏡のずれを直すと、ヴェルツが今にも泣き出しそうに表情を歪めている様が見えて、ヴェルツは思わず吹き出す。
「お前、何だそれ。すごい顔……」
しかし笑いは凍り付く。
突然のこと──。
銃声を合図にしたかのように、村の外れから火の手が上がったのだ。同時に聞いたことのない地響きと大音響。これは大勢の人の叫び声か。
「ああ、平穏が……崩れてく……」
ヴェルツの呟きは、しかし喧騒に飲まれてしまった。
二十人規模の傭兵隊は、この時代にしては大きな方である。
彼らにすれば神聖ローマ帝国皇帝率いる旧教派カトリックと、新興貴族の組する新教派プロテスタントのどちらに付くかは大した問題ではない。
戦闘ごとに臨時に雇われる身だ。
その場その場で条件の良い方に付くのは当然である。しかし戦闘のプロ集団である彼らを、皇帝も貴族も常時雇いにはしてくれないのがこの時代の一般的な見解であった。戦争の度に僅かな金で駆り出され、終わると放り出される。
戦争のない間は、つまり食うに困るわけだ。
武力を持った彼らは一番安直な稼ぎ方を選ぶ。即ち、略奪だ。武装しない村を襲っては盗み、犯し、殺す。
警察権力も機能していないわけだから要は、やり得。その所業は次第に拡大エスカレートし、被害はドイツ全土の農村に広がっていった。
彼等の手口は常に同じだった。
まずは火。村のあちこちに火をかける。それだけで村人は混乱に陥る。
そんな中、武器を持って抵抗する者をまず殺す。
後は好き放題だ。恐慌をきたした者を捕まえて嬲り殺す者。一番大きな家に入って金目の物を漁る者。彼等が一つの村にかける時間はわずか一時間。地獄の一時間が去った後には、死体が転がる燃え滓の村が残骸として残るだけ。
ヴェルツは混乱していた。
初めは村外れの方角に上がった炎目掛けて走っていたのだが、火は今やあちこちから吹き上がるようになっている。
村中が燃えているという状態だ。大量の火矢を打ち込まれたに違いない。
「な、何があったんだ?」
逃げ惑う村人数人とすれ違ったが、まともな会話は交わせなかった。
四方から悲鳴が聞こえる。今まで聞いたことのない断末魔の叫び。
生まれてこの方、理不尽な暴力を経験したことのない若者──ヴェルツとロックの足は止まる。二人は顔を見合わせた。お互いが震えているのが分かる。
もしも自分が自警団員じゃなかったら、一目散に村の外へ逃げ出したところなのに。ちらりと考えたヴェルツの前で、友人の目が大きく見開かれる。
「ヴェ……後ろ……」
その言葉が終わらないうちに、背後から殺気。
ブン──空気の唸りと共に白銀の刃がヴェルツの身体ぎりぎりを掠めた。咄嗟に身をかわしていなければ生きてはいまい。全身から冷たい汗が吹き出る。
振り返ったヴェルツの前に、簡素な鎧を纏った男が一人立ち尽くしていた。手にした大降りの剣は、既に血を吸って紅く濡れ輝いている。年齢は恐らくヴェルツ等と変わらないだろう。しかし荒んだ目をしている。それは何人をも殺した目だ。
無論、二人にそんな分析を行う余裕はない。