19話 再会と惨殺(4)
大司祭といえども同じ僧房に寝所をおいている。無論個室だが、基本的に若手の司祭たちの大部屋と造りも家具も変わらない。つまり、庭から見て特別豪華に見える部屋がないため、大司祭の居室は特定しづらい。
マナーワンは思う。これがあの方にとって幸運に働いてくれればいいのですが、と。
猊下の寝室は拙僧たちの大部屋の三つ奥。窓の数でいうと……数えながら建物沿いに進む。這ったまま膝で進むのは室内から姿を見られないようにというより、足が立たない故のことだ。
その時だ。不意に目の前の窓硝子が割れた。
銃弾を受けて弾け飛ぶ割れ方ではなくて、人間が寄りかかった為ひびが入った音だ。窓に背を向け、砕けた硝子で背中と腕を血に染める痩せた人物。
げ、猊下、とマナーワンが叫ぶ。引きずるようにして動かしていた体が、空気のように軽く窓枠を超えて室内に滑りこむ。
「猊下、ご無事で……? 一体これはどうした事でしょうか。とにかくここは危な……」
逃げましょう、と言いかけたマナーワンの言葉は途中で掠れる。
狭い室内。銃撃の跡はない。しかし大司祭の前には一人の人物がゆらり……立ちはだかっていたのだ。まだ若いその男は、しかしひどく不吉な影を纏っていた。
「殺さなきゃならないんだ。さもなきゃ、おれが……」
小さな呟きは、しかし恐慌を来たした僧の耳には届かない。
男の髪と目の色は黒。身に付けた外套も同じ。それは暗殺者の色だとマナーワンは知っている。割れた眼鏡、それから男の異様に丈の長い上着が気になった。
「落ち着きなさい、マナーワン。まもなく僧達と聖騎士達、それからEDE.が来るでしょう」
大司祭の気丈さに、しかしマナーワンは首を振る。
「む、無理ですっ。部屋の皆は殺されました。いきなり銃を撃たれて……あんなの、助かる筈がない。レオンさんとモリガンさんは帰ったし、聖騎士だってとっくに……」
応戦する間もなく殺られたに違いない。でなきゃ、襲撃者がここまで入って来られる訳がないではないか
マナーワンの言葉は途中で悲鳴に変ずる。
男が上着をはだけたのだ。腹の周りに筒を幾つもぶら下げている。爆弾だ。そう悟って、マナーワンは男に飛びかかった。
「じ、自爆する気ですかっ。やめなさ……いっ!」
燐寸をすろうとしていた手を両手で押さえにかかる。
しかし僧の細腕は簡単に払いのけられた。特殊部隊に関わっているとはいえ僧形たる身、武器は持たないことに決めていた。持ったところで非力な己に使いこなせるとは思えない。しかし今、切に思う。この手に銃があれば、と。
暗い目をした男は表情も変えない。腕をつかまれ、腹を蹴られた。
それだけでマナーワンの身体は壁にふっ飛ぶ。固い壁に頭から激突し、意識が朦朧となった。霞む視界の中で、男の手がゆっくりと大司祭に伸ばされるのが見える。
──ああ……!
目を閉じたその瞬間、風を切る音。
「うっ」
呻き声に顔を上げると、暗殺者は腕を押さえてその場に蹲っていた。短刀が掠めたのだ。
そのまま言葉もなく、滑るような動きで室内に入ってきた黒い影。影は漆黒の刃を振り翳した。狙いは過たず暗殺者の首。
「ま、待って下さい。ゴーチェさん」
マナーワンの叫びに、黒騎士の腕が止まった。
「こいつはただの駒です。誰の差し金か吐かせなくては! さもなきゃ、何度でも同じことが起こります」
「しかし……」
「教会に対して、これほどの規模の襲撃を仕掛けてくる相手です。恐らくカトリック軍──いや、でも万一違ったら? ともかく対処を誤れば取り返しのつかないことに……」
だが、剣を振るう者としての勘だろうか。ゴーチェの腕は再び動き出した。
「しかしマナーワンよ、こいつは生かしておけん。こんなに不吉な気を纏う男は……」
黒い刃が唸り次の瞬間、それは男の喉元を切り裂く筈だった。
「待ってくれ!」
今度止めたのは僧ではない。ゴーチェを追って走ってきたヴェルツの声だった。
「ま、待ってくれ。頼む……」
ひょろりと丈の長い男が、息を切らしながら黒騎士と暗殺者の間に割り込む。
無気力に見えた暗殺者が初めて、はっとしたように顔を上げた。割れた眼鏡越しに、目の前の背の高い男を見上げ、唇を震わせる。
「ヴェルツ、何でここに……?」
そりゃこっちの台詞だ。叫んでヴェルツはまじまじと友人を見下ろした。
整った顔は蝋のように青ざめ、あちこちに擦り傷が出来ている。
別れたのは僅か数日前だというのに頬はこけ、絶望に囚われた目は以前にはなかった影が縁取っていた。腹に爆弾を巻かれ見るも痛々しい姿だが、それは間違いなく友人のロックである。
「一体誰がこんな……!」
街で勉強がしたいと静かに夢を語った友人に、こんな絶望の表情を与えたのは何者だ。旧知の顔を見付けた安堵か、ロックはようやく口を開いた。
「た、助けてくれ。村から逃げる途中、将軍ティリのカトリック軍に捕まったんだ。自爆要員として無理矢理爆弾を巻かれて、銃で脅されてここに放り込まれた」
早口で自分の状況を捲し立てる。おれだってこんな事したくないんだ。育ちの良さと自信に満ちた、物静かなこの男が助けてくれと膝に縋り付く。彼の目には恐怖と困惑しかなかった。
「……彼女は? 彼女はどうしたんだ。一緒だった筈だろ」
「彼女? オリンピアか」
名を言われても分からない。ああ、彼女の名はオリンピアというのか……。
「街の手前で、あいつとは別れた……」
「ロック?」
友人の口調に、自分の知らない深い感情のようなものを感じてヴェルツは戸惑いを隠せない。その彼の前に大司祭が一歩、踏み出した。
「この方の爆弾を外して差し上げなさい」
「しかし、猊下」




