17話 再会と惨殺(2)
夜になり周囲が静けさに充たされるにつれて、ヴェルツの意識もマナーワンよりずっと近しい者の元へ飛んでいった。
彼女──こんなに気になるなら、せめて名前を聞いておけば良かった──それからロックの安否が、ずっと気に掛かっていた。いや、女はともかく友人が村に戻らないのはおかしい。傭兵隊に捕まったか、考えたくないが殺されたか、或いは他に何か理由が──?
ロックが助けを求める声が聞こえるようで、ヴェルツは激しく首を振る。
想像でそんな声が聞こえるのは、自分が苦労性というだけだ。
「あっ、あっ、姉ちゃん! 何やってんだよ」
ヴェルツがぼんやりしている間に、その性分の原因ともなっている姉がまた勝手な行動を取っていた。
朝、拙僧が来るまで決して開けてはなりませんと言われていた扉を何の躊躇もなく開け放ったのだ。
「鍵が掛かってたんじゃ……」
「壊れた」
姉はケロリとしている。木製の古い扉は半分腐っていて、意外と力のある彼女が少し揺すっただけで蝶番ごと外れてしまったようだ。
──それは、壊れたんじゃなくて壊したって言うんだ。
言いたい事は多々あったが、ヴェルツは姉の後を付いて薄暗い廊下へ出た。
「大司祭様のお部屋ってどこだと思う?」
「さぁ……」
快盗気取りでキルスティンは物陰に身を潜める。しかし、そのわりに煩い。
「私、最初マナーワンが大司祭様だと思ったの。器が小さいくせに偉そうにしてるんだもん。腰は低いんだけど、何か態度がね!」
酷評である。好き放題言っている。
「姉ちゃん、静かにしてよ」
気が気ではない。僧房の廊下はひどく静かで、石造りの壁に姉の甲高い声は凄まじいばかりによく響く。
「しっ! しーっ!」
「なぁに、ヴェルツ」
「今、足音が……」
二人は足を止め、辺りを窺った。
と言っても建物の中の廊下は所々付いている小さな窓から差し込む月光のみが頼りで、窓際以外の場所は闇に沈んでいる。今更息を殺したところで遅いのも分かっているのだが。
「やっぱり音なんて何も……」
キルスティンが口を開きかけた時だ。ヴェルツの耳が確かに異変を捉えた。カサカサと茂みを揺らす小さな音──外か?
「外なら大丈夫か。見つかりゃしないよな」
気にしすぎかな。ほっとしたように、少し自嘲気味に呟くと、姉は「ほらね」と呆れたようにこちらを見た。
少し神経質になりすぎているのかもと思う。しかし──夜の空気は張り詰めていて、僧房の独特の冷たさと無機質さに沈み込みそうだ。その中でまるで小さな火が暴れているような……。
「どうもきな臭いのだ」
そうそう、正にその表現。言い得てる。呑気に頷きかけて、ヴェルツは小さく悲鳴をあげた。
すぐ脇の暗闇が動いたのだ。大きな黒いものが立ちはだかる。とっさに弟の口を塞いで、キルスティンが闇に向かって拳を振り上げた。
「だ、誰なの!」
黒の鎧、黒の兜、黒の外套。今は黒の刃は鞘の中に収められているが、それでも完全武装の姿でそこに居たのは《黒き刃の聖騎士》ゴーチェ・フォーレ・コッホであった。
いつからそこに居たのか、全く気付かなかった。その黒い姿は完全に闇に同化している。
こうやって人知れず闇に忍び寄り、そして暗殺を行うのか?
ふと浮かんだ考えに、ヴェルツはぞっとした。
鎧が汚れ、無数の小さなへこみに覆われている様が、昼間の彼より一層凄みを感じさせる。目の前で見たこの男の剣戯を思い出した。
今襲われたら? 無理だ。とても太刀打ち出来ない。助けてくれたレオンも、ここには居ない。姉弟は身を寄せ合った。
「だ、大丈夫。私が守ってあげるからね、ヴェルツ」
震えながらも、キルスティンが両手を広げて弟の前に立ちはだかった時だ。
「貴女方はEDE.奴らの仲間ではないのですね」
兜越しのくぐもった声が、意外と気さくに話しかけてきた。咄嗟に頷いたキルスティンに向かって、ゴーチェは騎士らしくその場に膝をつく。
「貴婦人の前で、昼間は大変ご無礼を」
「い、いえ、あの……」
ヴェルツはぽかんと口を黒騎士を見た。
侵入者としてつまみ出されるか、或いは問答無用で斬られると思っていたのだが、何だこの態度は。正直、騎士という人種は分からない。
「砦をカトリック軍の侵入者に破壊された責任を問われ、しばらくは教会の警備の任に当たることになりそうです」
聞いてもないのにそう説明した。成程、表向きはそういうことになっているのかとヴェルツは思う。内輪もめで壊れたと言うより、敵の不意打ちをくらったと発表した方がまだ体裁が整うというものだ。
黒騎士は昼間とは別人のようだった。
ぎこちない口調で姉に名前を聞いている。まさか鎧の中身が違うとか? 尤もらしい事を考えたが、声も、発する気も、昼間の男と全く同一人物であることを告げている。
「まさか……」
ヴェルツはピンときた。
「こいつ、まさか姉ちゃんを……?」
兜を引っぺがして顔を見てやりたい。黒騎士の声は震えている。もしかしたら顔は真っ赤なのかも。
ところが察しの悪い姉は、彼から少しずつ身を引いていた。
「キルスティン殿、こんなみすぼらしい僧房にお泊りにならずとも、一言言ってくだされば俺が宿を手配して……」
「何であんたを探して、私の泊まる所を教えなきゃならないの?」
「いや、それは……」
姉に一目惚れしたから、だから開口一番、キルスティンにEDE.と関わりがないことを確かめようとしたのか? だとしたらこの男は……。
「な、何なの。ヴェルツ、この人ちょっとおかしいよ」
姉にしては尤もなことを言って、彼女がこちらを振り向いた時だ。
ドン──。耳慣れた爆音が響いた。
しかし昼間のそれよりずっと大きい。同時に廊下の奥に火の手が上がる。続いてパラパラと銃弾が撒き散らされる炸裂音。一瞬、壮絶な悲鳴があがったが、やがて直ぐに人の声は消える。
「まさか……」
廊下を抜ける爆風からキルスティンを守っていた黒騎士が剣を抜く。
「げ、猊下はご無事かっ!」
駆け出した彼の後を、ヴェルツも追った。
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