885周目 ~loopからのleap~
「埒があきませんね。先にそっちの虫けらを始末しましょうか」
ハリーが氷のように冷たく吐き捨て、顎をしゃくる。刹那、ケンの凶刃がライトを貫いた。血飛沫とともにペンを持った右腕が地面に転がる。
「ラ、ライトォォォ!!」
「俺のことはいい! そのまま続けてっ!」
ライトが絶叫する。直後、もう一度激しい血飛沫が上がり、追い討ちをかけるように幾筋の眩い稲妻が彼の身体を飲み込んでいった。
召喚獣が、立ったままドロドロと水飴のように溶けてゆく。さっきまでライトが居た場所には、今や真っ黒な焦げ跡しか残っていない。
俺は唇を噛み、押し寄せる感情を必死で押し殺す。
今、俺がすべきは怒りを顕すことじゃない。命懸けで助けてくれたライトのため、何が何でもこの世界から脱出することだ。
しかし……。
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「さて。邪魔者が消えたところで続きといきますか。どの魔法でトドメを刺すのが一番苦しいですかねぇ」
「まぁ待てって。魔法もいいが、大剣で切り刻んでやるのが一番痛いんじゃないか?」
「痛みと苦しみは違いますよ戦士・ケン。私は彼らにあらゆる激痛の方がまだマシと思えるような究極の苦しみを与え、悶えながら死にゆく様を見たいのです」
「俺はまどろっこしいのは嫌いだな。さっさとぐちゃぐちゃにしてやった方が気持ち良くねぇか?」
「ですが、……」
おぞましいやり取りに全身がゾワゾワと総毛立つ。
詠唱完了まであと少し。だけどヒビが入ったこの結界は、攻撃されればもう三〇秒も保たないだろう。防御アイテムだってきっとすぐ破壊される。
どうしても時間が足りない。あと少し、ほんの二、三分あれば十分なのに。
突如、何かが下半身をモゾモゾと這い回る。下を向くと、姫が俺のズボンのポケットに手を入れ、股間付近をまさぐっていた。
……あっ。姫のこと素で忘れてた。
というか、この期に及んで彼女は一体ナニをしているのか。
「姫。命の危機に生物としての本能が騒ぐのはわかりますけど、後にしてください。すでに一発分の時間も残されてはいないかと……」
「違うからっ! 何かアイテム無いかと思って探してるんだよ!」
「えっ?」
「だって! ライトにあんな姿見せられて、自分だけ逃げられるわけないじゃん! ススムも何か手を考えてよ!」
半べそをかきながらポケットをまさぐり続ける姫。その姿がミライと重なり、ハッとした。
諦めちゃダメだ! もう二度と絶望しないって、俺がミライに言ったんだ!
「姫! 持ってきたアイテムは全部使用中です! 別の方法を……」
「あっ! 何かあったよ!」
「え、嘘!? まだ何か残ってたっけ!?」
姫は猛スピードでポケットから手を抜き取り、握っていた拳を開いた。
こっ、これは!
「で、伝説の黒ゴマ団子! そういえば、お土産用に拾っておいたんだった!」
「ふざけるなぁっ!」
姫が全力で黒ゴマ団子を地面に叩きつけた。
「姫ぇぇぇ!? ちょっ、早く拾って! 俺に食べさせて!」
「ハァァァ!? 今は食事してる場合じゃないでしょ! 馬鹿じゃないの!」
「そうじゃなくて! その黒団子を食べたら魔力が一時的に増大するんだよ! つまりそれを食べれば防御魔法の力も上がるはずなんだ!」
「えぇっ!? ちょ、早く言いなさいよ! もう泥ついて食べられないじゃない!」
「まだ大丈夫だから! 三秒ルールあるから!」
「何それ!? そんなルールこの世界には無いわよ!」
「庶民の間でだけ適用されるルールがあるんだよ!!」
そんなことを言い争っている間にとっくに三秒以上経過しているのだが、背に腹は変えられない。俺は姫の足元の潰れた団子を拾い上げ、迷わず口に放り込んだ。あっ、メチャクチャ美味しい。姫の「庶民、やば」という呟きはこの際聞き流すことにした。
咀嚼もそこそこにゴクリと飲み込む。結界のヒビが、みるみるうちに修復されていく。
「……でしたらここは折衷案で、魔法で存分にいたぶってから大剣で切り刻んではどうでしょう?」
「それは良いアイデアだ! さすがは魔導士・ハリー!」
「決まりですね。では、私から行かせてもらいますよ」
ようやく話し合いを終えたらしいハリーが杖を振るう。再び火球と落雷が襲いくるが、結界に当たった瞬間、泡のように弾けて消滅した。
「何ぃ!? 防御魔法が強化されているですと!? というか、いつのまにか勇者の魔力が増大しているようです!」
「マジかよ! ヤベェぞこのままじゃ逃げられちまう!」
「遊んでる場合じゃありません! 本気で攻め立てなければ!」
今度はケンが大剣を持って突っ込んでくるが、切っ先が触れた瞬間に跳ね返され、身体ごと後方に大きく吹き飛ばされていた。結界には擦り傷一つ付いていない。「クソが!」というケンの罵声が遠くに聞こえる。
俺は詠唱のラストスパートに入った。魔導書の見開きで言えば、残りはあと一行分ぐらいだろう。
長い長い浪人生活の果て。どうやら、今回こそは合格通知が貰えるみたいだ。
「ねぇ」
姫が俺の服の袖をギュッと握った。
「私たちこれでお別れなんだよね?」
「そうですね、たぶん」
「そっか。……元の世界に戻っても元気でね。さっき出会ったばかりだけど、元婚約者としてあなたの幸せを願ってるから。一応ね」
「姫……」
「それとたぶんライトもね。さ、早く済ましちゃってよ」
ありがとうと伝え、空間移動魔法がちゃんとかかるよう、袖を握っていた姫の手を取る。
結界の外ではケンとハリーが真っ青になって慌てふためいている。彼らの顔もこれで見納めだ。
俺は目を閉じ、最後の詠唱をした。
「↑R←LAB↑BA→→CR↑↓C←A→ZL!」
次の瞬間、いつもの数倍激しい視界の歪みとジェットコースターのような揺れが俺の三半規管を掻き乱し、とてもじゃないが立っていられなくなる。
猛烈な吐き気に耐えながらしゃがみ込む最中、「Now Loading」という言葉が、独特なしゃがれ声によって耳奥でリピート再生される。
それは、これまで885回のシナリオの始まりを告げ続けた、あの男の声だった。




