682周目 ~不合格~
「潮時ね」
六八二周目の定例会議。ミライが唐突に呟いた。
「ん? 何が?」
正直、彼女がこれから言うことはなんとなく想像できた。だからこそ俺は咄嗟にわからないフリをした。
「概算が狂ってなければ私はもうそろそろ、いつ記憶を失ってもおかしくないわ。だから、先にお別れを言っておこうかと思って」
「お、お別れって、何言って……」
「いいのよ、もう無理しないで。……私が無謀なお願いしちゃったせいで、あなたをとても苦しめてしまった。本当にごめんなさい」
「だから何言ってるの!? 突然そんな……意味がわからないよ!」
「間に合わないんでしょう?」
彼女の言葉に俺は何も返せなかった。
「間に合わない」が何を指す言葉かなんて、今更言うまでもない。
その通りだ。俺はまだ暗記を全然終えられていない。これから数周の間に覚え切ることも間違いなく不可能。
ミライのタイムリミットに、俺は間に合わせることが出来なかった……。
「ど、どうして」
わかったのか、と聞きたいのに言葉が紡げない。考えることを避けてきたミライとの別れを唐突に実感し、喉が渇いて上手く話せないのだ。
「わかるわよ。だってあなた、脱出予定日が近づくにつれてどんどん元気が無くなっていくんだもの。とても脱出できる希望を持った人間のそれには見えなかったわ。
そうね……以前の、私を『巻き込んだ』と思い込んでた時と似た感じの塞ぎ込み方かしら」
ミライは俺の考えを読んだように疑問に答えてくれた。
またそんなに態度に出ていたのかと、俺は自分が情けなくて押し黙るしかない。
「前にも言った通り私は、あなたを信じて立てたこの作戦が失敗したとしても後悔は無い。本当よ? だけど、いくら私がそう言ったところで、優しいあなたは私の人生まで一緒に背負い込み、こうしてまた自分を責めてしまうに決まっていた。
……知ってたはずなのにね。あなたはそういう人だって」
ミライの表情が見たこともないほど曇る。
あぁ。君にそんな顔をさせたくなかったから、俺はずっと頑張ってきたのに。結局今までやってきたことは全て無駄だったのか。
「今までありがとう、ススム。あなたに会えて本当に幸せだった。それだけで、この世界に来た価値があったと思えるほどに」
「馬鹿、こんな世界に価値があるわけないだろ! 今からでも他の方法を探そう! 俺が絶対見つけてみせるから、な?」
「無理よ。もう間に合わない」
「じ、じゃあやっぱりハリーから魔導書を借りてこよう! 駄目なら無理やり奪ってでも……」
「それも無理よ。前に言った通り、その方法はリスクが高すぎる。大体私たちの攻撃は彼らには通らないけど、彼らからの攻撃は一方的に通るのよ? 勝てるわけがないじゃない」
「リスクとか言ってる場合じゃないだろ! 記憶を失ったらどうせ全て無駄になるんだ、だったらダメ元でチャレンジしてもいいじゃないか!」
「嫌よ」
「なんで!」
「だってそんなことしたら、私のせいであなたまで脱出できなくなっちゃう」
「えっ」
「空間移動作戦を使えば、私は無理でも、あなただけは確実に脱出できる。あと二〇〇周もあればさすがに暗記できるでしょ?」
こともなげに言うミライに俺は言葉を失った。まさか、最初からそのつもりで?
「今だから言うけど、あなたから空間移動魔法のことを聞いた時、こう思ったの。『私はもう間に合わないかもしれない。だけど、ススムならこの方法で必ず脱出できる』って。あなたを信じてたのは本当よ? でも、そうなる覚悟はしてた」
「そんな」
つまりミライは、自分の脱出が難しいのを承知でこの空間移動作戦を進めていた。不確実な二人での脱出を捨て、確実な俺一人の脱出を選んだのだ。
二人での脱出しか考えていない俺を無視して。
「だから私のことはもういいの。あなたは絶対に、この世界から脱出してね」
ミライが微笑む。少し寂しそうで、それでいて本当に満足そうな顔だ。「ふざけるなよ」俺は静かに呟く。
「そんなので俺が喜ぶと思うか!? 俺の心を勝手に決めるなよ! 君を置いて自分だけ脱出するぐらいなら、ここで君と一緒に記憶を失う方がずっとマシだ!」
俺は怒りのままにミライに吠える。「あの時の意趣返しね」とミライはなおも微笑む。
「あなたの気持ちはわかってる。私だってあなたと同じ立場なら、きっと同じことを思うだろうから。……だからこれは、全部私のワガママなの。辛くても苦しくても、ススムには生きていて欲しいから」
その言葉にミライを責める気持ちは消え失せた。だって、俺が彼女の立場だったとしたら、きっと同じことを思うだろうから。
何もできない自分の無力さにただただ涙が溢れる。
「あなたと元の世界に戻れたらどうしようって、ずっと考えてた。オープンするカフェの名前を考えたり。その時は目玉商品をカレーライスにしたいから、新しいレシピも考えたり。あとは、あなたとの将来を想像したり。本当に本当に、私はずっと幸せだった」
いつのまにかミライも泣いていた。足元に二人分の涙の跡が広がっていく。
俺はもう観念するしかなかった。
「騙すような真似してごめんなさい。私一人だけ満足して、あなたに辛い思いさせてごめんなさい。この先一緒に生きていけなくて、本当ごめんなさい。そして、私と出会ってくれてありがとう、ススム……」
笑顔のまま涙するミライを、力の限り抱き締める。
生身の人間としてではないのが悲しいけれど、それでも、今のミライの温もりを忘れないように。
この先辛いことがあった時、いつでもこの温もりを思い出せるように。
俺は力の限り、ミライを抱き締め続けた。
/
六八五周目。
ミライが記憶を失った。




