594~681周目 ~迫りくる終焉の時~
ハリーから自然な流れで魔導書を見せてもらうのはなかなか難しかった。いきなり「魔導書読ませて!」なんて言ったら怪しまれるかもしれない。
悩んだ末、俺は毎回最果ての隠し洞窟で生き埋めになる方法を取った。
生来痛いのは苦手だが、確実に作戦を成功させるにはこれが一番だ。ミライのためと思えば痛みなんていくらでも耐えられる。
何度も何度も岩の下敷きになり、同じやりとりを繰り返す。繰り返し過ぎて、詠唱よりも先にハリーが語るカマドウマの生態について覚えてしまったほどだ。
オスよりメスの方が大きいなんて、まるで俺とミライの関係のようだ。それに今の俺たちは飼育ケースの中の虫けらのようなものだし、そういう意味でもぴったりだ。
知ってるか? カマドウマって別名『便所コオロギ』とも呼ばれてるんだぜ(ハリーの受け売りだけど)。
だったらそれらしく、俺たちも自分ちの便所に帰らせてもらう。愛し合う二人の跳躍力舐めんなよ。
飼い主の如く振る舞う不遜な黒幕に、俺は内心で高らかに宣戦布告をする。
とはいえ、詠唱の暗記はなかなかに過酷を極めていた。
毎度洞窟を抜けたタイミングで「魔導書? だっけ? ちょっと見せてよ」とすっとぼけつつ借りるのだが、三分もすると「もういいでしょう。先を急ぎますよ」と没収されてしまう。
やはり、ハリーとしてもあまり見せたくはないもののようだ。「もうちょっとだけ」なんて粘っては警戒されかねないので、そうなったら大人しく引き下がるしかない。
三分×一〇〇周=三〇〇分。言い換えれば五時間。十分猶予はあるように思えるが、連続した時間じゃないから意外とやり辛い。
少し覚えては、忘れないように残りの道中ずっと頭の中で繰り返し続ける。シナリオ一周ごとに記憶以外はリセットされるので、メモに残すこともできない。また、間違って覚えていても不味いので、たまには最初から見直すだけの周も必要だ。
ああ。こんなに必死で暗記して、なんだか大学受験シーズンをやり直しているような気分だ。
人生やり直したいと思っていたのがこんな形で叶うとは、なんとも皮肉なものである。
また詠唱を覚えるだけでは心許ない。ミライとはその後何度も打ち合わせをし、様々な状況を想定しつつ作戦の細部を詰めていった。
その結果決まった作戦決行までの流れはこうだ。
まず大前提として、詠唱の暗記は作戦決行の前の周までに済ませておくこと。
「魔導書を見せてもらう」という行動はそれ自体が怪しまれる可能性があるので、作戦当日は最果ての隠し洞窟でのイベントをスキップするためだ(本来なら本番前に詠唱の最終確認をしたいところだが、話し合いの結果しない方が安全だという結論に至った)。
作戦当日。俺は作戦に必要なアイテムを集めつつ速やかにシナリオをクリアする。
あまりにも合理的に必要アイテムだけを拾うのは怪しく思われそうなので、使わないアイテムもあえて拾うことで警戒心を抱かせないよう注意を払う。
クリア後の帰り道でも怪しまれぬよう、いつもどおりに過ごすことを心がける。
と言っても、逆に意識して会話が変になってしまうのは目に見えているので、「天気の話題→趣味の話→休日の過ごし方→結婚観について」というごく自然な雑談のテンプレートを作成し、当日はそれに沿って会話を行うことにした。
そして作戦決行の時。いつものように「トイレに行く」と伝えてパーティーを離脱し、例の岩陰に身を隠す。
この時の注意点として、『大』の方だから時間がかかる旨を事前に伝えておくこと(詠唱に二〇分以上かかるためその方が安心)。
準備ができたらいよいよ空間移動魔法の開始だが、万が一詠唱の途中で作戦に勘づかれてケンたちから攻撃された場合を考慮し、予め防御力の高まる装備品を片っ端から身につけた上、防御魔法(一定時間外界からの全ての接触を遮断できる汎用魔法)も展開しておく。
以上。あとは詠唱さえ問題無くできれば、俺たちは晴れて実家のトイレに帰還、カレーとぱいの大試食会開催だ。
あっ。それと忘れちゃいけないのは、帰還後すぐにゲーム本体を破壊すること。せっかく脱出したのにハリーの時間遡行魔法なんかで連れ戻されたりしたら、たまったもんじゃないからな。
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空間移動魔法での脱出作戦に向けて準備をしつつ、並行してこれまで通り別の方法も探り続けた。
というのも、空間移動作戦は内容自体に穴は無いものの、やはり俺が詠唱を暗記できるかという問題が大きな懸念材料として存在する。
こればかりは気合いや努力、あるいは緻密な計算でなんとかできる類のものではなく、ほとんど俺の脳のポテンシャルに依存してしまう。
ミライも俺を信じるとは言いつつ、やはり俺の精神的負担は心配してくれており、他に良い方法が見つかり次第いつでも作戦変更する心算でいてくれたようだ。
しかし。結論から言えば、代替策は見つからなかった。
作戦立案や準備にかかる時間も考えた結果、六五〇周目からは別の作戦は諦め、空間移動作戦一本に志望を絞って準備を進めていった。
刻一刻と迫るタイムリミット。
毎日のように本番までの日数を計算し、今日はこんなに覚えられたとか、あるいは全然覚えられなかったとかで一々焦ったり安心したりする日々は、やはり大学受験の時とよく似ていた。
違うのは、かかっている人生が二人分であるということ。
落ちたくない。でも、俺に受かれるのか?
この期に及んでも正直あまり自信は無い。現に、大学受験では落ちて浪人しているではないか。
いや、今はもうあの頃の俺とは違う! 明確な将来のビジョンを持ち、主体的にやるべきことをやっているはず。
けど、やっぱり……。
そんなふうに日々神経をすり減らしながら、俺はただ必死に暗記を続けた。
そして。




