593周目 ~確実な手を~
ミライがやれやれといった様子で溜息を吐く。
「やっぱり、馬鹿正直に魔導書を借りるのは諦めましょう。魔法の発動までに二〇分以上かかってしまうとなると、その間に作戦に気付かれて阻止される確率が高いわ。
脱出の指南書と言っても過言じゃないようなモノを借りたまま、長時間彼らの目を欺いて二人きりの時間を作るなんて到底不可能よ」
「でも、じゃあどうやって……」
「ススムって暗記は得意よね? 良い大学出てるぐらいだし」
「まぁ、人並みには。……えっ、まさか」
ミライが不敵な笑みを浮かべる。
「これからシナリオ周回ごとに自然な流れでハリーに魔導書を見せてもらいながら、怪しまれないように少しずつ、空間移動魔法の詠唱を覚えて」
「むっ、無茶言うなよ! 見開き一ページにびっしりだぞ!?」
「大丈夫よ。知らないけど」
「無理無理無理! 不可能だよ! だって俺、友達に自慢するために円周率覚えようとして一〇桁もいかず挫折したタイプだもん! π大好きだもん! ぱい大好きだもん!」
「なんで二回言うのよ…………というか、理論的に不可能ではないじゃない。円周率は終わりが無いけど、詠唱には終わりがあるもの」
「いやいや、簡単に言わないでよ……」
「大丈夫。あなたならできるわよ。というか、やるしかないの」
ミライが正面に立ち、俺の両肩に手を置いた。
「ススム、いい? よく聞いて。黒幕の監視と行動制限がある以上、失敗は許されない。もし一度脱出を試みて失敗したら、二度とチャンスは訪れない。即ゲームオーバーよ。本当にやり直しがきかないのは現実世界じゃなくて、このゲームの世界の方なの。
だから私たちは、絶対に、一度で、脱出作戦を成功させなきゃならない。苦しくても遠回りでも、確実な方法を取るべきだわ」
俺は黙って俯く。ミライの言うことはもっともだ。だけど、やれる自信が無かった。
もし、俺があと一〇〇周弱の間に詠唱を覚えきれなかったら? ミライの運命も俺の肩にかかってると思うと、怖くて「わかった」の四字が紡げない。
「あなたに重責を背負わせちゃうことについては悪いと思ってるわ。だけど、ここであなたを信じず、不確実な方法に頼って失敗したら、私はきっと死ぬまで後悔しちゃうと思うの。
逆に、もしこの『詠唱全部覚えて友達に自慢しよう!』作戦で失敗したとしても、後悔はしないって確信してる。だってそれは、あなたを信じた結果だから」
「ミライ……」
なんか嬉しいことを言ってくれていたような気がするが、途中の変な作戦名に全部持っていかれた。
よく分からないが、とりあえず神妙な顔をしておこう。
「わがままでごめん。でも、あなたと二人で最善を尽くした結果なら、私はどんな物語の結末でも受け入れられる。
……信じてるわ、ススム。私たちの愛はここで終わるのか、それとも、円周率のように永遠に続くか。解答はあなた次第よ」
……おお……なんか、めっちゃクサイ台詞だ。ミライも自覚はあるのか、すごい顔を赤くしながら俺の反応を待っている。かわいい。
そんなかわいいミライに対する俺の解答なんて、決まっている。
「もし、作戦が成功して二人で現実世界に戻れたら……ミライのぱいについて教えてくれる? そしたら俺、頑張れるかも」
くだらない下ネタを混ぜつつ俺なりの「分かった」を伝えた。きっとミライからはお決まりの「キモい」が返ってくることだろう。真面目に話すより、こうやって馬鹿なやり取りで思いを伝え合う方が俺たちらしい。
と思っていたのに、今回はそうはならなかった。
「……いいわ。もし現実世界で再会できたら、ね」
「エェーーー!!! マジ!? え、やる気とIQブチ上がるんだけど!? これは勝てる! やったー! 絶対脱出してミライと永遠の愛を誓うぞー!」
なんとまさかの許可。
アホみたいにはしゃぐ俺を見て、ミライはまたハァと呆れたように息を吐いた。
「ぱいもいいけど、あっちも忘れないでよね」
「へ? あっち?」
普通に何のことか分からない俺に、ミライは苦笑いしながら言う。
「カレーよ。いつか私の手料理が食べたいんじゃなかったの? ……私も楽しみにしてるんだから。あなたに食べてもらえるの」
暴力的にかわいい一言に、俺はやっぱりぱいより先にカレーライスが食べたいと思った。




