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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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逃走劇1

 いままで一人称でしたが、この話から三人称になります。普通に難しかったため断念しました。どこかで一人称に書き直すことがあるかもしれないです。

 ひょんなことから神域の騎士より馬車を借りたクルス・ハリファは今、最高にピンチに陥っていた。


「なんでなんでなんでええええ!?」


 数トン程度なら容易く牽引し、人間なんかでは追いつけない速度で爆走する駆竜のまえに飛び出してきた幼女と少年。危ない、と思わずブレーキをかけたその隙を狙って避けるどころかまっすぐ突っ込んでき手馬車に乗り移ってきた。


「死にたくなけりゃ早く逃げろ!」

「えっ、え?」

「いけ!」


 訳もわからないうちに駆竜は速度を上げて、アルトのいる宝飾店を猛スピードで通り過ぎていった。つまるところ、風月凪沙によってジャックされた。


「やっぱりきやがった!」

「何がっ、何があ!?」


 振り返れば、背後の昇降部の窓から迫りくる神域の騎士が見えた。それどころか見たこともないほどのい殺すような視線で矢のような速度で疾走する駆竜にぴったりと並走する。


「ああああううぅっ、違います違います! すぐ止まります! 盗んだんじゃなくてこれはっ!?」

「少しでも速度落として見ろ、ここから蹴り落とすからな!」

「ぴいっ!?」


 神域の騎士はこの時代の力の象徴だ。それに食って掛かった挙句、一目でそうと分かる馬車を奪い取り、その挙句持ち主である神域の騎士と逃走劇など、クルスにとってこの状況はもはや理解不能だった。


「ティア、馬車の奥に入って何かに掴まってろ」

「うん!」

「何でこの子たちちょっと楽しそうなの!?」

「積み荷は樽か。中身は何だ?」


 忙しなく視線を動かす風月にクルスはパニックと緊張で乾いた唇を舌で濡らす。


(今の内にナイフを――)


 ナイフ程度自衛のために誰でも持つ。王都であっても何も持たずに出歩けるほど下層付近の治安はよくない。衛兵になってからも酔っ払いに絡まれることもあった。ナイフの扱いは馴れている。だが手が空を切った。


「お前今ナイフに手を伸ばしたな?」

「伸ばしてな――ってそれ私のナイフ! 返して!」

「うるせえな! 借りるだけだ」


 持ち前の手癖の悪さでジャックするどさくさに紛れて抜き取ったナイフ。重く刃渡りもありブレードの長さが30センチ近くもある。ナイフというよりマチェットという方が近い。刃元まで握り込んだそれで手近な樽の蓋を叩き割り、その隙間にブレードを差し込んでてこの原理で破壊してこじ開けた。

 火薬なら万々歳、酒なら足止めにばらまくつもりでいたが、中身は強烈なにおいが鼻につく茶色の粉末。


「香辛料か。大分いろんなものが混じってんな。目潰し用だな」

「香辛料!? 目潰しはだめぇ!」

「ごぶぐっ」


 風月の時代では香辛料は大量生産に成功してありふれていた。だが、一つ時代が違えば金と同等の値段で取引されていた時代すらある。十字軍遠征の目的の一つにも香辛料があったほどだ。樽一杯のそれがどのくらいの価値があるのか風月にはわからなかったが、商人の性か、クルスの身体が金目の物の無駄遣いに反応して手綱から手を放し風月の服を思いっきり引っ張る。

 ガクン、と。

 御者席に半端に身を乗り出していたせいで足から失われる安定感に、風月の体が発汗して危機を知らせる。


「お、お? おおおぉぉぉぁぁぁあああああああ!」


 左腕に手綱が引っかかり、身体が馬車の外へと投げ出される。身体が慣性と手綱に浮かされて身体がこいのぼりのように宙に漂う。目じりに涙が浮かんでいるのは完全に不意打ちで出てきただけである。怖いという感情を抱く間すらなかった。


「あああああっ死ぬ! 死ぬぅ!」

「あああ殺しちゃう殺しちゃう!?」


 それでもマチェットを手放さなかったのは身体が恐怖で硬直していたからに他ならない。地面に身体をすれば砂まみれのすり身の完成だ。それを認識してからはすぐにマチェットを握りなおす。風圧で呼吸すらままならず、それでも馬車の車輪に気をつけながら身体を寄せる風月。そこで馬車の防護魔術の副産物によって空気が確保されて呼吸が戻り、クルスの声が耳に届く。


「なんでまだナイフ握ってるの!? 捨てていいからこっちに!」

「つき落したくせに助ける気満々かよ! 武器はこれだけだ、捨てられねえよ! こういう使い方もあるからな!」


 マチェットを振りかぶり馬車へとたたきつけ――弾かれた。

 魔術で強化された特注品。風月の腕力程度では傷もつかず、その反動で風月の体が馬車から再び離れて魔術の恩恵の外へたたき出された。


「がぶぶっ!?」

「使えてないじゃない!」


 ほっとけと叫びたかったがそれどころではない風月。身体が引きちぎられそうな風圧の中、途端に息ができなくなり、風月の体が壁にバウンドして再び馬車にとりつく。

 馬車に突起に刃先をひっかけてどうにかわずかながらの安定を手に入れる。肩で息をしながら汗をぬぐいながら命からがら声を出した。


「し、しぬ、ほんとうにしぬっ」

「さすがに今ので死んでも私関係ないからね?」

「関係ない訳あるか! 突き落したのお前だろうが!」


 御者席から風月を覗き込んでいたクルスは怒鳴られて、再び御者急きへと引っ込む。そこであることに気づいた。


「あれ? 手綱がない」

「俺を両手で突き落としたからなっ! 今俺が握ってるよ!」

「早く渡して!」

「渡したら死ぬって! というかこれどうやって操るの!?」


 ああああああっ、と阿鼻叫喚の地獄の中、風月の顔が前方から後方へと変わる。


「――ない」

「なにがっ!?」

「アルトがいない! 反対側――馬車の陰か」


 車輪越しに向こう側を覗き込む。地面に髪が掏り、チリチリという音が耳に届くたびに喉の奥が干上がりそうになる。


「こっちにもいないっ、どこいった!?」


 その時、視界の端でチカリと瞬いた何かに視線を送る。


「おい、嘘だろ……」


 信じられないものを見て、呪詛のように吐き出す。壁を走りながら、人一人分程度しかない馬車と壁の隙間に身体をねじ込もうとしていた。太陽の光を細剣の刀身が反射し未だにチカチカと光が目に届く。


「蜘蛛かなんかかお前!」

「――もう看過できん。死んで償え」

「うおおおおおっ!」


 少しでも離れるために手綱を思いっきり引っ張って御者席へと近寄ろうとする。それは神域の騎士ともなれば瞬きよりも短い時間の延命にしかならない。だが、それが功を奏した。駆竜が通れる曲道もなく引っ張られた手綱に合わせて壁によってアルトが入り込む隙間がほとんどなくなった。それでもアルトは躊躇わない。潰されようが構わずにその身をねじ込んだ。


 そして――風月が決死の判断でひっかけていたマチェットを外し、直後アルトが左手に持ったその剣が一閃に振るわれた。

魔術で強化された馬車の装甲をプリンのように滑らかな断面で切り裂き、続いて風月の服を切り裂いた。マチェットをひっかけたままなら心臓の三分の一くらいは切断されていそうな深さだが、いまの風月にそれを理解できるほどの冷静さはない上に、その剣筋すら目で追えていなかった。


 アルトの剣は勢い余ったまま煉瓦の壁までざっくりと斬り裂き、円運動が滑らかな波形を描き出す。だが、切り抜ける前に風圧と煉瓦と馬車を切り裂いたことによる抵抗で減速が始まっていた。

 風月は手綱を引っ張ったままかかとで地面を蹴りあげる。あまりの速度に足ごと持っていいかれそうになりながら、再びマチェットをひっかけて持ち直す。


 そこで、転機がきた。アルトの着地と同時に駆竜が減速する。


「どいてどいて! 曲がりまーす!」


 手綱を引っ張られ続け、ようやく見つけた大きな横道に駆竜が入り込もうとして速度が落ちたのだ。慣性で駆竜の横っ腹にたたきつけられて、必死に五指で馬車ハーネスにしがみつく。

 ギャリギャリギャリ!

 石畳を車輪が横滑りしながら六層広場へと突入した。そこは坂道よりも遥かに大きく、そして人であふれていた。


「これ、どうしよう……」


 さっきほどまでの坂は露店も少なく、、往来する人も比較的まばらですぐに騒ぎが届いた。爆走する馬車の異常性に気づき人々はすぐに避難できた。だが、こうも密集しているとどれだけ気をつけても何人かは死人が出る。

 最悪の想像をしてクルスは血の気が引いて身体が冷えるのを感じた。その一方で風月は、原則に乗じて駆竜に攀じ登る。涙目になりながら反対向きに駆竜に跨り、事態を認識していない。


「安定感ある。本当にありがとうお前」

「駆竜のお尻撫でてないで前見ろ!」

「ん? 俺の国なら全員避ける。忍者の末裔らしいし」

「避けられるわけないだろ、何言ってんだキミは!」


 冗談を飛ばす余裕すらあった。さっきまでの修羅場から生還した反動で興奮物質で少しおおらかになっていた。

 だが、そこから一瞬で切り替わる。

 御者席に移ろうとして、馬車の後部にあるドアの窓越しに悪鬼よりも恐ろしい貌をしたアルトと目があったからだ。

すに御者席に移ろうとして手に持った手綱に気づく。


「お前手綱は?」

「君が持ってるのにあるわけないよね!?」

「だよな。後ろに張り付いている奴何とかしてくる。死にたくなりゃ絶対に速度落とすな」


 そういいながら手綱を渡されるクルスは風月の言葉につられて振り返り、同じく神域の騎士を目の当たりにした。馬車に、それも神域の騎士専用の特注品、駆竜の練度もそこらのとは一線を画すものに追いついている時点でまともにやり合おうなんて思えない。

それを平然と何とかすると言ってのけた風月に視線を移す。


「ちょっと嘘でしょ……」


 速度を落とさないことも、神域の騎士を何とかすることも。そういわずにはいられないクルス。


「どうすればいいの!?」

「轢きたくないなら火でも何でも使って目立て!」

「それだあ!」


 風月が御者席に跳び移り、クルスが空へ向かって右腕を大きく上げる。


「シグナルライト」


 ボボボッ、酸素が吸い込まれる音と共に強烈な赤い閃光がもう一つの太陽のように輝きながら空へと昇る。それを合図に逃走劇の第二幕が始まる。



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