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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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出会い

 明らかに知らない世界。少し歩けば変わる景色が面白くて、僅かな変化に敏感になる。

 街の中に路地が増え、道幅広がった。人の数が増え、轍の外側へ大股で一歩ほど移動した位置には簡易的な屋台が出現した。蹴れば壊せるような簡易的な作りだが、それが祭りのような雰囲気を演出し、この町の活気と合わさって、歩いているだけで楽しくなってくる。

 額に浮かべた汗が引くのも待たず、坂を登り続けられたのはひとえにこの楽しさを肌で感じられたからかもしれない。


 暴動のような浮かされた熱気はなく不思議な秩序と規律があった。それは衛兵や所々で見かける騎士たちによって演出されたものだろう。

 おそらくは人目につく位置の治安は非常にいいはずだ。それこそ、子供や女性、異国の風体をした俺が一人で歩き回っていて声をかけられることすらないほどだ。

 そしてこれが日常でないことは町中の会話を拾っていくと何となくわかった。


「迎撃祭が始まるな。今年は何をするんだ?」

「北領の騎士団が来るからそっち相手に商売だ。今年は楽しむ余裕がないほど忙しそうだぜ」

「北は血の気が多いからな。だがこの賑わうタイミングで大規模な派兵ってことは、それだけ金集めに必死かぁ」

「征伐の噂は本当かもな」


――迎撃祭? ホクリョウの騎士団?


 歩いていてすでに四度は耳にした単語は非常にそそられるものだ。少しこのあたりにとどまって見てみるか、そう決めた時だった。

 視界の端で何かが動いた。それが仄暗い路地で、立ち入れないように柵があった。こうした柵はすでにいくつか見ていたが、ただ立ち入らせないようにする程度のものでそれ以上の意味があるとは思っていなかった。人一人が通れるような道の柵は前の世界で私有地を立ち入らせないためにあったりもしたからかもしれない。今の今まで注意を向けなかった。

 再び、何かが動く。柵の向こう側を注視すると、ゆらりと柳の葉のように影が揺れた。


「水だ」


 水場が近くにあるような湿気は感じなかった。だが、路地の壁に移っているのは確かに光で、それは反射した水面とそこを泳ぐ『魚』の影。

 路地にあった柵は欄干だった。そばまで行くと、路地の向こう側が予想通り水路になっていた。両手を広げれば両サイドの壁に触れられる程度の幅しかない中、深さが五〇センチほどの深さの溝を水が満たしている。


「水路? この高さに?」


 わかるのはこの高所まで水を持ってくる尋常ならざる治水技術だ。煉瓦の隙間から水が染みだすわけでも、蒸発しきってしまう訳でもない。何よりも欄干に手をかけていると、通り抜けてくる風から確かに涼しげな気配を感じる。それが上り坂で汗ばんだ肌には気持ちよかった。


「すごいな……」


 思わず感嘆の言葉を漏らす。

 知りうる限りの知識、今までの旅路、そこで見た光景。どれにも当てはまらない。竜を見たときの光景もそうだが、こうした技術にも少なくないショックを受けた。

 心臓が高鳴る。この未知を体験する興奮が堪らなかった。


――魚はどこだ?


 壁に視た魚は透明度の高い水の中にはどこにもいない。見間違いを疑ったのだが、壁に写り込んだ魚は今もそこにいた。


「この透明度で魚が見えないのはどうなっているんだ? 透明度が高いと餌もになる藻やバクテリアなんかもいないんだっけ。となるとなんかで処理された上水用なのか? 不思議だ……」


 だが、こんなところでどうやって水質を守るのか。

 しばらく興味に任せてその水面を観察していた。時間にも縛られず、ただ気のすむまで。

 すると、ある程度の法則性に気づいた。

 風が吹くたびに、波立つ水面と目には見えない細かな砂が水面に落ちる。水に浮いた石はそのまま開渠の底に影となってその存在を主張すると同時に、水面が反射した壁面にもしっかりと影として見えていた。次の瞬間、ぴちゃりと音を立てて水に飲まれていった。開渠の底にも壁にも砂は消え、代わりに魚が写り込んでいた。

 魚が砂などの落ちた異物を食べていた。


「あっ」


 そして陰になった開渠の壁面の奥へとその姿を消した。

 もう少しだけ観察してみたくなったけれど、さすがに飲み水(と思われる水源)に意図的に砂を落とすのは気が引けた。


――疲れた。


 興味深くてかなり集中して見ていたようで瞬きも減っていたらしい。目が乾く。何よりももっと見たかったのにどこかに行ってしまって残念な気持ちになる。それが予想以上にメンタルに来た。今まで疲労をなかったように歩き続けたことも合わさって、想像以上に疲れがたまってる。


「まあ、また見つければいいか」

「おいアンタ、さっきからなに見てんだ」


 ほぼ真後ろ。声をかけられるまで一切気づかなかった。それほど集中していたのか、あるいはよほど静かに移動するのか。けれども気づけば足音なんて気にならないほど周囲は雑多な音に包まれていた。


「いや、そこに魚が―――あ?」


 ぬっと競りだしたトカゲ面。オークらしき口の端から牙の突き出た男も、猫耳生やした女もまだ人らしさはあったように思う。けれどもこれにはこの世界へきたときどころか、前の世界にいたときでさえ経験したことのない類の衝撃があった。

 牙があり、鱗がある。鋭い肉食獣の目が俺と向き合っていた。目深にローブをかぶり、身体は見えないが、突き出た手には爪なんて可愛い表現が似合わないほどえげつないナイフのようなものが飛び出ていた。

 ディノニクスだったか、小型の恐竜を目の前にしたらきっとこんな感じだ。正直、動物園で虎と降り越しに向き合うのとは異なる、それこそ馬に初めて乗った時のような圧倒的な大きさと力による根源的な恐怖を覚える。


「……どうかしたか?」

「びっくり、して」


 それ以外の感想が出てこなかった。


「ああ、リザードマンは数が少ないし、引きこもりが多いからな。俺みたいに外で働く奴は少ないさ」


 ハスキーな声なのに聴きやすい。


「そうなのか」

「気にすることはないさ。ところで、随分と身軽だが旅人か?」


 その言葉は嬉しかった。

 そうだ、俺は旅をしに来た。この異世界で。俺だけにしかできない旅をしに来たんだ。だから「ああ」と肯定した。

 首の下の陰にある鱗、おそらくは逆鱗を鋭い爪の滑らかな曲線でこすりながら目の前のトカゲは俺を値踏みした。


「アンタ、内の店みにくるか? この先にあるんだ」

「あ、おお。いく、いくいく」


 トカゲ顔の衝撃に浮かされた熱も冷めやらぬまま歩いて悠々と坂を登っていく後姿を追いかける。


――あれ? これカモだとおもわれた?


 無一文だからこそ完全無欠。無い袖は振れないから騙されることはないが、そうなると声をかけたこのトカゲ顔の方が少し不憫だった。

この町の中でわかったことは俺の格好は浮いているということだ。襤褸やくたびれた服を身に着けていることが珍しくない中、機械によって緻密に縫い込まれた生地と固く立って利の学ランは小金持ちに見えて目立ち過ぎた。


 トカゲ顔の後を追って僅か十数秒。大きな坂道を挟んだ反対側。何あら急ぎの馬車がハンドベルを鳴らしながら急ぎ足で坂を登っていくのを待ってから、動き出す人々の隙間を縫って移動する。信号のない通りを車が通っている風景を彷彿とさせるような、少しだけ懐かしい感じがした。

 坂を少しだけ登りきると大きな通りに出る。その角でトカゲ顔の男は足を止めた。


「さあ、ここだ」


 坂から一本横に伸びる道に入っただけで、掘っ立て小屋から石の壁に木製のドアをこしらえた立派なものへと変わった。。それも木目が樫のように詰まっていて見るからに重そうだ。鍵穴はあってもドアノブがない。代わりにドアノッカーと指をひっかけるくぼみがあった。木を丹念に鑢で仕上げたのか、滑らかで高級な机を思わせる。しかし、ニスや油の類で手入れしている感じではない。

 ローブの下から出てきた爪には鍵が引っ掛けられている。丸い輪から棒状のものが飛び出している。見る限ずいぶん原始的なカギだ。


――これなら俺でも解錠できそうだな。


 100均に並ぶ南京錠や安いスーツケースの引きちぎれそうなカギと同程度。奥まで押して回すだけの簡単なものだ。

 それを爪先で器用に摘みなおして鍵穴に刺す。けれども、そこからが興味深かった。輪に爪を通すとそのまま回した。その方がつまんで回すよりも、太い爪のトカゲ顔には手軽なのだろう。

 そして 日本に慣れ切った俺にはもう一つ意外に思ったのは鍵だ。ほんの少しの間も扉に鍵を掛けていた。その辺の自販機くらいまでなら鍵なんてかけずに買いに行ってしまう程度には日本という国の治安に染まっている。旅をしていた時は、ありとあらゆるものは目を話したら無くなる物だったはずだ。


――意識が甘ったれてるのかな。


「いらっしゃい、ロークの宝飾店へ」


 振り返りながら黄色い瞳がローブの奥から覗いていた。

 立てかけてあった閂のような太い棒を地面と扉につっかえさせて看板を出す。文字は読めないが指輪や玉、加工した石の絵が描かれていた。


「随分狭いな」


 手を広げれば俺が二人も入らない。その中に台座がぎっしりと並び、目の細かいビロードのような黒い布が厚く折りたたまれその上に宝飾品が規則正しい感覚で並んでいる。


「店員は俺と妻の二人だけでな。これ以上の広さは目が行き届かないんだ」

「はぁ……、なるほどなぁ」


 買う気もなければ現在進行形で金に困ってはいるが逼迫しているわけじゃない。ついでに日本の治安に毒されて『盗む』なんて発想は一切出てこなかった。何よりも、向こうの世界では鍵付きの強化ガラスで作られたショーケースに収まっているようなものだ。


「旅のあんたから見てうちの商品はどんなもんだ?」

「そうだな……」


 正直言って宝飾品の良し悪しなんて見てもわからない。輝きや透明度は実物と並べて見比べればわかるかもしれないが、いきなりどうかと言われても正直困る。旅をしていた時のあの男は宝石バイヤーを名乗って査定して金を貰ったり人をだまして高値で売り付けていた。あれくらいの事をできるようになったらこの価値も分かるようになるのだろうか? そもそもあの男が理解しながらやっていたのかすら怪しい。


「詳しくないからあんまりわからないな。でも、随分と細かいな」


 精細に編まれた金属。その一つ一つが切れてしまいそうなほど細く、一見乱雑にワイヤーが張り巡らせているようにもみえるが、線の交差、或いはその全体が描く流れのようなものに法則があり、見ているだけでもさっきの『魚』とは違う面白さがあった。


「職人が一つ一つ手仕事で仕上げたんだ」

「あれ、ゴールドがない」


 宝飾品、飾る宝石を彩る代表格は俺が知る限りプラチナとゴールドだ。磨かれた銀とプラチナを見比べても分かるかも怪しい俺には目の前のそれが何製なのかも分からない。けれども、色合い的に金がないことは分かる。


「何言ってんだ、犯罪じゃねぇか……」

「そうなのか?」

「アンタ、外から来たんだろ。どっから来たんだ?」

「ずっと遠くかな。そこだと普通に金のネックレスだとかあったぞ」


 飽きれたようなため息がこぼれる。


「この国じゃ金は通貨に使われている。金の純度はそのまま交易の黒字に直結するわけだ。よその金を増やせば資産も安定するからな」

「外貨のこと言ってんのか?」


 トカゲ顔、店の名前からしておそらくはロークという名前の男。奴の言っていることは何となく理解できる。金という共通認識として高い価値を持つ物質は、当然ほかの土地でも価値を持つ。為替などの精度がない以上、金の含有量がそのまま交易で購入できるものを増やしてくれるという事だ。

 けれども、社会の授業で聞きかじったことと話が合わない。


「普通通貨の価値は使っている土地での信用に直結するんじゃないのか?」

「……お前、旅人だと思ったんだが、どっかの貴族か、金持ってる商人の子供か?」

「いや、ただの旅人」

「普通はそこまで考え至らない。ガイカというのは分からないが、通貨の信用にまで行きつく奴が理解できないとも思えない。お前本当にどっから来たんだ?」

「……」


 日本から来た。

 そう答えるのは簡単だったけれども、気軽じゃなかった。世界を旅してきた。全部を見たとはとてもじゃないが言えない。ほんの一部、僅かな面だけを見てきた。楽しいことも辛いこともたくさんあった。けれども、楽しかった。そんな世界にいたのに、やろうと思えばあの世界でも旅ができたのに、それをしなかったのは俺自身だ。


 旅の準備期間を待ちきれずに、日常に押しつぶされてその息苦しさに耐えきれず、前の世界から逃げ出した。つながりを一方的に断った。世話になった人への礼も、優しくしてくれた人への別れも告げずに、前の世界を捨てた。


 だから、その息苦しさの象徴である日本という国の名前を出す資格がないと思った。気安く口にできなかった。


「本当に、遠くから来たんだ。たった一人で」

「ま、隠したいこともあるわな。金持ち貴族が下層まで身分を隠して降りてくることもあるくらいだ。これ以上は聞かねえよ。それで、信用だったか」


 ロークはカウンターの奥の椅子に腰を落ち着ける。


「この国の金は全て土地に紐づいている。それも最下層の」

「どういうこと?」


 それがどういう意味を持つのか純粋に理解できなかった。


「実はな造幣局は王族じゃなくて貴族が持ってんだ」


 王族! ああなんだろうこの中世ファンタジー世界観だとそれだけで心が躍る。


「手っ取り早く稼ぐためには金の含有率を下げればいいわけだ。そうすれば手っ取り早く国内で大量の価値を創出できるからな」

「一貴族が大金を手に入れるってことか? そうなるとどうなるんだ? ああ、国家の財政を握れるのか」

「そういうことだ。にもかかわらず国外で通貨の価値は減少を続ける。そうなれば国としては終わりだ。だから土地に紐づけしたんだ。最下層の土地は一区画何エル、という具合にな」


 それがどういう意味を持つのかいまいち理解できない。眉をしかめて考え込んでいるとロークは少しだけ口角をあげた。


「まあ、貴族でも商人でもない奴にはさすがに分からんか」


 その言い分にはカチンときたけれど、わからなかったことについて、ロークの方はどうやら少し気をよくしたらしい。説明できるのが嬉しそうだった。


「最初から七層は最下層の何倍といったふうに決まっているんだ。そして何よりも土地は外貨で買える」

「ああ、何となくわかったかも。金の含有率下げると外貨を持った奴らに造幣局事買いあげられるのか」

「……。ああ、そうだ」


 もっと自慢げに解説したかったであろうロークはわかりやすく落ち込んだ。その様子に俺の中に沸いた怒りが収まるのと同時に多少の優越感を覚える。


「で、その外貨を多く持っているのが王族?」

「いいや、東の地の商業貴族たちだ」

「商業貴族?」


 一番奥の白い牙が見えるくらい笑顔になるローク。


「そうだ。あそこはもう別の国だ。東の地を除いたすべての土地を合わせても、あそこが持つ資産に届かないとまで言われているほどだ。全てが動かせるっていう訳でもないようだがな」


 日本に置き換えると地方が国家予算を越えるほどのお金を持っているということなのだろうか? 金額が大きくなるといまいちピンとこない。


「つまり、だ。通貨の金の含有量を減らすと造幣局を握っている貴族が損をするんだ。それで、金の宝飾品のことだが……」

「いや、それはもういいや。大体予想着いた」

「んんっ!?」

「むしろここまでくれば誰でも気づくよ。宝飾品などから金をちょろまかす馬鹿がいて、金の含有量の低い貨幣を造った奴がいたってことだ」


 むしろ禁じられているというのが一番のヒントだった。偽札ならぬ偽貨幣が多く出回れば王都そのものを買い上げられるなどという事態を招きかねない。わかりやすい国家崩壊の火種だ。


「お前はあれだ。話甲斐のないだな」


 知ったこっちゃねえよ。

 そんな気持ちが顔に出ていたようでロークが冗談めかして声を荒げる。


「ええい、せめてなんか買っていけ!」


――ああ、ご愁傷様。さすがに(決して騙しているわけではないが)黙り続けるのもちょっと心が痛くなってきたところだ。


「実は……、無一文なんだ」

「そのなりでか!? 掏られたのか? もしかして身ぐるみはがされてその一張羅しかなかったとかか?」

「うぐっ」


 こっちは相手の商売っ気満点の下心に載ってただ見をしに来たのだから、無一文とわかって追い払われれば後腐れなく奇麗にかたずいたのにロークが想像以上にいいやつで心が痛い。


「いや、手ぶらで旅をしてきたから……」

「そ、そうか……」


 もう恥ずかしかった。穴があったら入りたかったし、ここから出ていきたかったけどチープなプライドがそれを許してくれない。そんな葛藤の中あることを思いついた。


「な、なら買取はやってないか?」

「ああ、構わないぞ。おーいアキル!」

「はーい、あなた」


 階段の奥を覗き込み声をあげるロークにたいして柔らかい女性の声が聞こえてきた。家族がいても不思議じゃない。むしろ店を構えているくらいだ、生活としては安定しているのかもしれない。

 ただ、偏見でトカゲ顔はトカゲ顔と結婚するものだと思っていた。しかし階段から降りてきたのはブロンドをショートにまとめた、どこか要請のような雰囲気のある人だった。いや、尖った耳が知識の中ではエルフである事を示している。線がほどくて色が薄い。


「俺の嫁だ、美人だろ?」


 ロークがデレッデレに舌を伸ばして自慢してくる。


「……、……め、面食いなんだな」

「あらやだ、お客さん。遠回しに褒めても靡いてなんか上げないわよ」


 どこか妖精のような幻想的な美しさと夢のような儚さ、そんな言葉が似合うアキルと呼ばれたエルフの女性。ただその幻想的、儚さなんてものはハッキリ言って何処からきているのかはさっぱりわからなかった。あくまでも第一印象で、何やらうっすらと光っていることに起因するような気もする。


――え? 発光してる?


 思わず目をこする。

 微かに、けれども確実に蛍よりも淡い光を放っていた。


「私の顔に何かついているかしら?」

「……光ってる?」

「ああ、ごめんなさい。今、魔術を込めているの」


 再び、胸が高鳴った。魔術という向こうの世界になかった響きに笑みがあふれそうになる。


「二階が魔道具店なんだ。買ったものには安く魔術を込めてやるぞ」

「あなた、それで何かあったのかしら?」

「買取だ。鑑定を頼む」

「鑑定してほしいのは魔術具? なんかじゃないぞ?」


 ロークがカウンターを鋭い爪でコツコツと叩く。


「この爪じゃ傷がつくこともある」

「ああ~。攻撃力高そうだもんな」


 鑑定してほしい品は持っていた。それは日本の硬貨だ。財布を尻ポケットから取り出す。その小銭入れから数枚の硬貨を抓んでカウンターの上に並べる。


「なんだこれ?」


 ロークが顔を近づけて効果を眺めようとして、横からアキルの手が伸びてきて、その薄さに少し苦戦しながら摘まみ上げる。


「……、……?」


 カウンターの前までくるとアキルの目がよく見える。緑色でその奥には深い黒がある。その綺麗な瞳が怪訝そうに歪んだ眉におされて半分ほど瞼に隠れる。


「うっわ、なにこれ」


 先ほどの柔らかい声の印象が一発で変わったドン引きした声だった。

 俺がカウンターに並べたのは2種類の五百円硬貨と百円硬貨だ。そのうち机に残っているのは百円と黄色の五百円だった。つまりアキルが手に持っているのは五百円白銅貨だ。


「ねえちょっとこれみてよ」

「はぁ……、ごちゃごちゃしてるな」

「でも」


 ああでもないこうでもないといくつか相談した末にとうとう納得がいかない様子で二人とも困り顔を向けてきた。


「これなんだ?」

「俺の国の通貨」

「通貨!?」


 博物館で並ぶ銅銭や中世ヨーロッパのコインを見たことがある。一枚一枚が微妙に歪み、二つとして同じものはない。おおよそのディテールさえあっていれば通貨として認識されていた。ものによっては砕いて重さで取引なんてことも珍しくない。


「やっぱり珍しいのか?」

「珍しいも何も……ハッキリ言ってすごいとしか分からない」

「何よりも全く同じというのがすごいな」

「そうなのか? 一応厳密には年号とかの違いがあるらしいんだけど……。そんなこと言ったらほら、ここにも同じのはおいてあるじゃん」


 そういってカウンター近くに展示されたペンダントを指さす。赤い小指の爪ほどの宝石を飾るように銀細工が美しい模様を形作っていた。


「よく見てみろ、左の方が丁寧だろ。そういうのはねじれ具合や巻き数をみるんだ」

「確かに、言われてみれば……。左のほうが三回きっちりと宝石の周りを包んでるな。左はちょっと多いのか?」

「職人の手仕事でそれだ」

「これを作ったのはどんな彫金師?」

「さあ? たぶん鋳造してから適当に型を打ち付けてんじゃない?」

「お前っ、溝の深さが均一なのがどれだけすごいことか分からないのか!? この精度で魔方陣組めたら最強だぞ!」

「知らねえよ。全員がお金の作り方を熟知してるとでも思ってんのか?」


 均一であることのありがたさはさっぱりわからない。しかも専門でも何でもない分野の熱意を疑問と共にぶつけてくるのは正直止めてほしい。


「……これの材質は何かしら?」

「銅だったかな。白銅と黄銅だよ。今持っているほうは白銅。そっちの黄色いのは黄銅。そっちの百円もたぶん銅」

「金でも銀でもない。原価的にはずいぶん安いのね」

「ここみたいに担保しなくても信用があったからな。で、いくらくらいになりそう?」


 ロークとアキルが顔を見合わせる。


「ハッキリ言って微妙だな」

「微妙? 安くても構わないよ。多少あれば最悪ギャンブルでいくらでも……」

「おまえ博徒だったのか」


 気まずくて思わず目を逸らした。思わず口を滑らした。気持ちが高ぶって想像以上に口が軽くなっている。最悪の場合はイカサマも辞さない心算だったんて口が裂けても言えない。


「実はな、最下層から出た指輪に三エルズっていう値が付いたんだ」

「エルズ? 通貨はエルって言ってなかったか?」

「まあ旅のお前が知らないのも無理はないか。国の予算とかで使用する単位だ」

「ああ、英語のミリオンみたいなものか……」

「みり? いや、まあだいたい数百万倍程度のだと思えばいい。まず街中で見かけることはないからな」

「数百万倍?」


 思わず反復した。


「最下層で造られた作者不明の彫金が技術料としてそれだけの値段で買われたわけだ。だからこれが技術としてどのくらい価値があるのかと言われると分からない。欲しい奴次第、言い値だな」

「はあ……」


 数百万倍の価値が大きすぎて頭が追いつかない。


――あれ? でもいまいちだな。一生遊べる金額でもないし最小単位が一エルになるなら五百万円くらい。物価がわからんから何とも言えないな。一人で旅を続けるなら十分か?


 とはいえ、厳密に金額が決まっていない、買取額が不明な以上捕らぬ狸の皮算用だ。


「まあ、安くても文句は言わないけど……」

「うちだと買い取れないな」

「ええっ、やってるって言ったじゃん!」

「エルズなんて単位の金を常備してるわけないだろうが、無茶言うな!」


 高すぎて買い取れないはさすがに予想外だった。


「くっそ、金はどうするかな……」

「お前、金を手に入れて何するんだ?」

「旅」


 ロークは俺の答えを知っていたらしい。驚かずに頷いた。

 何も持たずに無一文でこの町にいたという時点で大体察することもあるはずだし、旅人かと聞かれて頷いた気もする。


「そりゃ大変だな。事前準備が大半だ」

「分かってる。そのための金だ」

「なら上層へ行け。おそらくこのクラスが扱えて正しい価値の判断をできるのはもっと上、三層あたりの宝石商とかだ。此処じゃむりだ」

「そりゃいい。もともと上まで行ってみるつもりだったんだ」

「高値が付いたらなにか買いに来いよ」

「魔術具もよろしくね」

「ああ、そうさせてもらう。いろいろとありがとう。ローク、アキルさん」


 机の上に並べられた硬貨を全部手に取った。


「……」

「どうした?」


 猛烈な違和感に手が止まった。けれどもその違和感に理由をつけられなかった。手の中で硬貨を転がしてその感触を確かめる。

 経験則だとこういう直感は当たる。けれども証拠がなくて糾弾できない。だから適当な理由を重ねることにした。


「いや、優しいなって。普通、騙そうとするだろ。ここのだって値切らせずに買いそうだから声かけたんだろ?」

「……気づいていたのか」

「さすがにね」


 アキルが目を一瞬だけ逸らしたのを見逃さない。


――すり替えやがったな。


 すり替えたところを見たわけでもないし、証拠がない。現に手にはしっかりと冷たい硬貨の感触がある。それでもすり替えたと確信した。


「この国じゃ窃盗はまあそこそこの罪だが、取った金額なんかによって刑罰が変わる。そんなものに手を出すやつはいないだろ」

「へぇ……。それじゃエルズなんて単位を窃盗したら大変だ」

「首がとぶだけじゃすまないな」


 軽口をたたきながら首を切り離すジェスチャーをするロークの瞳がぶれない。この時点でアキルの単独犯だと完全に割り切った。もしもこの話を平然と顔色変えずにできるのならそれはもう壊れている。対してアキルはそうと決めつけていなければわからない、けれども知っていればわかりやすいくらいに取り繕っていた。唾液を嚥下し、冷や汗を拭って下唇を舐めて濡らしている姿を見て敵と認定した。


――見ていろよクソエルフ。敵には容赦しないからな。


 内心毒づいて、硬貨を財布に戻す。


「じゃあ、俺はもう行くよ」

「おう、また来いよ」


 今後の予定を頭の中で素早く立てながら入り口をくぐる。

 一度は引く。今は糾弾しても証拠がない。それを証明できるだけの何かを手に入れるまであがき続けるつもりだった。


「そういえばお前、水路で何してたんだ」

「あん?」


 ロークの声に足が止まる。振り返るとアキルは階段を上り始めていた。


「水路で止まっていただろ。何してたんだ?」

「魚を見てた。壁に映ってたんだ」

「なるほど。そいつはめったに見れない、幸運の証だ。良い旅を」


――この後罪がばれて嫁さんが処刑されるのか。不憫すぎる上にいいやつでちょっとやりづらいな。


 心の内に沸いた怒りに返す言葉もなくただ手を振って別れを告げる。そしてもう一歩店から踏み出た直後だった。

 どんっ、腰のあたりに衝撃が走り、体勢を崩した。


「なん……っ!?」


 反射的に出た言葉は意味をなさず、気づけば俺は地面に尻もちをついていた。何があったのかと慌ててぶつかったあたりを見ると、青い何かが引っ付いていた。


「えっ、何これ」


 少し遅れてそれが汚れた青い長髪であることに気づく。少しすすけて、油でべたついているが、もとは綺麗な髪だったはずだ。服は少し下層には似合わない上質な生地で、先ほどまで向き合っていたロークと比べればすぐにわかる。

人だ。

 そう気づいた時、深紅の瞳が涙をたっぷりためて、それでも決壊せずに俺を見上げてきた。ずっと耐えてきたのか、今安心したのか、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。


「たす、けて……」


 小学生に上がるかどうかくらいの幼女が学生服をつかんで必死に助けを求めてきた。

 事態が呑み込めずに思わずロークを見る。


 幸運?

 そこまで責任持てない。


 そんな目配せの後、ロークは気まずそうに肩をすくめた。

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