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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
35/37

つながり

 ボロボロになった領主の館が窓から見える。

 領主の館からほど近くにある館は茜のものだ。一時的に貸し出しているのだが、どういう訳か側仕えがいない。


 案内もアルトではなく、風月に肩を貸す茜が行っていた。

 木の床に、煉瓦造りの壁。そして、技術に不釣り合いと表現してもいいのっぺりとした素材すらわからない白壁。そこにはシャープな彫りで描かれた獅子のレリーフがあった。外からの陰影だけで獅子と変わるほど細やかで、少し力を籠めれば割れてしまいそうないんしょうすらあった。


「上層まで行ってないなら王都じゃ見なかったじゃろ? 物質化した魔力じゃ。使い勝手が良くての。古い建物には使っておらんからのう」

「……初めて見た」

「特定の魔力に反応してカタチを変えたりするから建材として優秀ではある。防犯面から褒められたものではないから石や木と併用することが多いのう。触ってみるか?」


 頷いて、まっさらな白い壁に手を伸ばす。石なら室内の温度そのままの冷たさが、木材なら自分の掌の熱に当てられた空気の温度が、手を近づけただけで解るはずだが、目の前の材質は何もない空間のように室温以外のものを感じない。


 魔力が具体的に何かわかっていない風月、毛の一本まで再現されたそれが折れたりしないか、おっかなびっくり爪で獅子の鼻をコツコツとつついてみる。

 刹那、白い壁からにゅっと獅子が伸びてきた風月の腕に優しくかみついた。ビクゥッ、身体が浮きそうなくらい肩を跳ねさせて声すら出せずに毛を逆立てる風月。


「ナァッハハハハハハハ! そこのつまらん仏頂面と違っていい反応するのうお前さん」


 目じりに涙を浮かべるほど盛大に笑いながら背中をバシバシと叩く茜。


「……」

「そんなお気に入りの場所を取られた猫みたいな顔をするな。お前さん、最高にかわいいぞ」


 声が笑っていて居たたまれない風月。

 助けを求めるようにアルトを見るが無表情で助けを求められる状況ではなかった。


「早く行け」

「なんじゃなんじゃ。アルトだって、きっちり悪戯が終わるまで待っとったくせに」

「お前もか……」

「赦せよ」


 ぼそりとつぶやいた風月の言葉に茜は背中をさする。


「お前さんが緊張しっぱなしじゃから気を利かせただけじゃよ」

「それは、その……」


 自覚はあった。おせっかいに対する態度からくる罪悪感に謝罪が脳を過る。


「まあ、儂はからかいたかっただけじゃ」

「んんん――っ」


 胸に蟠っていた罪悪感がニガテへと変わった瞬間である。どういう感情を表に出せばいいのか迷った顔を見て、悪戯好きらしい笑みを浮かべながら背中をバシバシと叩く。

 それから楽しくてたまらず、アルトと共有するために後ろを見やった。


「コイツかわいいのう」

「いいから早く行け」

「可愛げのないやつじゃのう」


 獅子のレリーフ手をかざすと、扉が浮きだす。


「隠し扉……」

「開けていいかの?」

「うん、頼む」


 扉は押す必要もなく、ひとりでに開いていく。そこは風月が寝ていた部屋を三つ並べたほどの広さを誇る部屋。調度品も風月がいた部屋の物とは比べ物にならないと一目で理解できるほどだ。

 そこで、姉妹は対峙していた。ティアの側には火災の時に襲撃に来たゴロツキ二人とクルスが。ミクハの側には以外にもミラタリオが佇んでいた。


 風月は思わずアルトに視線をやるが、アルトは風月の視線に気づきつつも、何も言わなかった。警戒した様子もない。密室で誰一人殺されていない時点で敵ではないと判断してもいいのかもしれない。

 扉を一枚隔てた向こう側の空気は重苦しく、肩まで氷水に使ったような錯覚さえ起こすほど冷え切っていた。


 それでも風月は笑みを浮かべる。

 ここが最後の関門。どう動くかによって風月の今後が決まる。それはティアを連れていくか否か。その行方を決める権利を風月はもっていない。

 だから、腹を決めるために笑っていた。


 ティアと目が合い、少しだけその表情が晴れたような気がした。対してミクハは気まずそうに視線を伏せる。


「さて」


 アルトがそう切り出した。


「立会人は神域の騎士第三席と第九席。それから、風月凪沙が務める。立会人のために再度説明する。この話し合いは非公式だ。経緯も残さない。各々、口外ないことを心掛けてもらう。強制ではないが、口外した後のことも保証はしない」


 躊躇のない脅迫。

 ミラタリオにそんな言葉通用するのか疑問に思いつつそちらに目をやると、あの老人は目を逸らしていた。風月の知る限り、ミラタリオとの戦闘でアルトは一切の傷を負っていない。それどころか格上だと明確になっている森神との対決でも負傷した記憶がない。

 そんなことに思いを馳せているが、これは紛れもなく立会人ではなく風月凪沙への言葉である。

 当の本人は出会った神域の騎士との距離感や直近で命の危機に瀕しすぎて麻痺しているが、本来神域の騎士との敵対は死亡待ったなしである。アルトはわざわざ気を使って釘を刺したのだが、当の風月はどこ吹く風である。

 隣で肩を貸している茜はアルトとの応酬に実はひやひやしていた。


「この話し合いの目的は?」


 風月はただ疑問だった。約束を果たすため。一度は邂逅した姉妹の、その結末を変えたかったから。しかし、それにしてはあまりにも人が多い。


「領地の運営形態。それと、罪の糾弾だ」

「……」


 茜は知っていたようで、息遣いからその様子が感じ取れてしまう。

 一拍遅れて部屋の中の温度が下がった。


 この場の人間で最も狼狽えたのは裁かれる覚悟が決まっていたミクハではなく、裁く覚悟がなかったティアの方だった。

 不安げな瞳でミクハと風月を交互に見比べていた。ミクハもティアの視線に気づいているが、視線を合わせようとしない。

 そのまま黙っているつもりかと思っていたら、意外なことに最初に口を開いたのはそのミクハだった。


「私がこのまま処刑される。第九席とミラタリオには依頼済みだけど、後の領地のことはお願い。以上よ」

「承った」

「了解しておる」

「おいまてまてまて。そいつ敵だっただろ! というか森神に潰されてなかったか?」


 風月が反応したのはミラタリオに対してだ。

 風月が知っているのは若返って以降だが、今では元の劣化したゴムに入るような亀裂にも似た皺と禿げ上がった額にシミの残る老人だった。


「あの程度では死ねんのう」


 乾いた笑いと共に、黄ばんだ歯が覗く。


「ミラタリオは契約で縛ってある。裏切りはない」

「……その前に契約があったらどうなる? 先にあったほうが優先されるのか、上書きされるのか、あるいは共存するのか? どうなんだ?」


 話の腰を折られることにうんざりしたように短く息を吐くアルト。それから冷たく言い放つ。


「質問に答えるなら基本的には共存だ。契約の内容が両端だったとしても残り続ける。達成できなかった側のペナルティは受けることになるがな。契約が契約を食いつぶすなんてことは格が違いすぎるときだけだ。疑問の方に答えるのなら、ミラタリオとヴェイシャズの間に契約はない」

「……」


 納得がいかない顔をする風月。

 森神に潰されてもなお戦い続けたミラタリオを見ている。戦力的に勝てない状況でも戦い続けるその様は異常以外の言葉を見つけられない。契約もなしにそんなことをする人間がいるのかと、そういう思いを隠せなかった。

 アルトから言わせれば、風月も充分ミラタリオ側だ。


「ああもう、話が進まんのう。とりあえず今回は契約のことは気にせんでいい。こっちでも調べて契約が存在していないことは確認しておる。それ以上の疑問は一先ず呑み込んでおけ」


 口を噤んだまま視線を下げる風月。

 その様子を見てアルトが進行する。


「もう質問がないなら、次だ。ミクハ嬢の提案に異議のある者は?」

「私から」


クルスが手を上げる。


「本件の最も大きな被害を被ったのはティア・ドラクル様と風月凪沙です。この二人の意見がそもそも汲まれていないように思います」


 部外者の意見が汲まれてもいいのか?

 そんな疑問を風月は呑み込む。今はやるべきことは余計な疑問を口にすることではなく、話し合いを『落し処』まで持っていくこと。そして、その『落し処』をクルスが把握していない可能性が高い。

 どういう状況に置かれていたのかわからないが、話し合う時間がなかったようで、素人目にも探りながら言葉を選んでいることが分かってしまう。


「ティアは、どうしたいんだ?」


 風月凪沙は知っている。ティアが望んでいるのはミクハと一緒に暮らすこと。

 次善がミクハに領主を継がせて、風月と一緒に旅をすること。

 吸血鬼のティアに言われたことだ。連れていくつもりなどさらさらなかったはずが、いい加減腹を決め始めていた。


「ひとりは、やだ……」


 クルスの陰に隠れるように身を隠していたティアの口からか細い声が微かに絞り出され、風月の耳に届く。

 最初から目的は何一つとして変わっていない、そのことを認識した風月の顔から笑みが消え、目つきが変わる。


「止めるなよ」

「……」


 アルトに釘をさすと、好きにしろ、そう言いたげに顎を引いた。肯定したアルトに対して、近くで支えていた茜はいい顔をしていない。


「ティアが領主を引き継げるようになるまでは、お前が引き継げよミクハ」

「そりゃ、無理ってものじゃな」

「無理?」


 真っ先に声を上げたのは、風月の言葉を先読みしていた茜だった。


「信賞必罰は世の常じゃ。その責任は誰にもわかる形で果たさなくてはならぬ。ミクハがやったことは決して軽くはないぞ。償い必須じゃ」

「――それは誰のための償いだよ」


 この話し合いの中で明確に敵足りえるのは、茜とミクハだけだ。ミラタリオ負い目からなのか、明らかに会話の中で前に出ようとはしてこない。アルトはむしろティアに寄っていて口出しをしない。

 そうなれば、今から戦う相手の肩を借り続けているわけにはいかない。風月は茜から離れ、ふらつく足で自立する。


「領民の為じゃ」


 茜は断言する。


「領民は領主に尽くし、領主は民草を守る。四大貴族は東に属する貴族をまとめる立場にある。さらには国の行く末すら決められる地位じゃ。上が舐められれば、その割を食うのは下の者たちじゃ。示しがつかなければ、国が割れるぞ。それこそヴェイシャズの思い通りじゃ」

「国とやらが何の関係がある。割っちまえよそんなもん」

「……っ」


 風月が契約遂行のために森神を王都で暴れさせるなどと宣った事を茜は知らない。風月にとって国なんてものに価値はなく、貴族という地位に興味もない。


「もとよりそいつは〝まだ〟領主じゃないはずだ」

「じゃが、ヴェイシャズの悪行と、それを招いたミクハの存在が知れ渡っておる」

「誰と誰にだ? 神域の騎士がそろいもそろって出し抜かれるほど情報統制が敷かれた状況で、どれだけの人間が真実を知っている? ここにいる奴らとあと何人だ?」

「兵士が三〇程度だ」

「アルト!」


 風月の質問にさらりと真実を口にしたアルト。それを茜が咎める。

 今の風月にはその人間たちを消すことすら容易くできてしまう実力がある。森神との契約はそれほどに強力すぎた。あまつさえその重さを風月は理解できていない。力を振り回すには、風月は危うすぎる。


「逃げ出した者は昨日のうちに契約を破ったことにより死亡が確認されている。ほかの兵士はこの館に詰めている。事情を知っている者は三〇。全てを理解している者は一〇人に満たない」


 業腹だがヴェイシャズの情報統制の手腕のおかげだった。


「黙らせることは不可能ではないかもしれんの。それで兵士たちは泣き寝入りか?」

「泣き寝入り? 覚悟が足りなかっただけだろ」

「誹るのはよせ。一線を退いたとはいえ、神域の騎士と遜色のない者を相手にできることなど――」

「領主が死んでそれを守護すべき奴らがなんで生きてんだよ? 戦場で見かけもしなかった奴らの覚悟ってどんな程度のもんだ?」


 容赦のない言葉に茜が黙った。茜もまた、商人を守る立場でありながら、今回の件に干渉することすらできなかったのだ。閉口以外の選択肢を封じられたに等しい。


「カカカっ、耳の痛い話だ」


 アルトからの話で風月が神域の騎士を出し抜いたことを知っているミラタリオが自嘲気味に笑う。かくいうミラタリオも忠誠という一点においては自分の死をも厭わない行動に出ている。そういう意味で最も耳が痛いと思っているのは茜だった。


――どういう訳かミラタリオは風月についていく心算らしいの?


 心情的には茜も風月よりではあるが、神域の騎士という立場がそれを許さない。風月の側に転ぶためには相応のものが必要だった。茜としてはその言葉を引き出したいのだ。


「風月凪沙、何事にも表向きの理由が必要だ言っているんだ。ヴェイシャズを殺さなかったのも、余波を少なくするために必要な処置だったからだ。一時的に意見を通しても、その揺り戻しで結局最初の案が通るだけになる」

「……表向きの理由。森神との契約の利権じゃダメか?」

「ああ、それで構わん」


 商業の円滑化を目的とした茜だからこそというべきか、一切の躊躇いなく真っ先に賛同する。ノリがあまりにも軽いもので、張りつめていた空気が嘘のように消えて、肩が軽くなる。

 結局金と利権ですべて丸め込むのが速いことに思うところがないわけでもない。こういう柵が好きではない。その理由はかつての旅で銀行に寄る度にその手の話に足止めを食らい四苦八苦していた男の面影が脳裏に焼き付いているからだろう。


――しかたないか。


 割り切ることで煮え切らない内心を抑え込む。ティアも空気を察してか表情がやわらかくなっている。とはいえ、この事態をよく思っていない者が一人。

 最後の相手、ミクハだけが焦燥感に駆られた表情で立ち竦んでいる。


「なんで……」


 ミクハ声色に怯えが混じる。

 いつも風月が動いた時に戦況も状況も動いてきた。今回もほぼ決まりかけていた話に首を突っ込んできては、全てをひっくり返していった。

 下唇を噛み、俯くミクハ。

 抗議の声を上げたくても、風月が提案し、ティアが納得しているのなら、その資格がミクハにはない。

 非難の声もないのに、ありもしない視線と罵声を思い描いて針のむしろに座る思いだった。


(いやだ、嫌だ! こんな気持ちでいたくないっ。これなら死んだ方がマシだ)


 その資格がないことは分かっていた。それでも恥も外聞もなく、ミクハは叫ぶ。


「ふざけたことしないでよ! みんな私のせいで死んだ。それも一人や二人じゃないのよ?領地の防衛は神域の騎士の手を借りないと立て直せないところまで数が減ってる。全部私の所為でしょ?これ以上どうやって生きっていけっていうの!? 死ぬしかないでしょ?」

「……」

「ねえなんか言ってよ、私は死にたいの!」


 ミクハは風月へと詰め寄る。その姿が風月にはティアから逃げるようにすら映った。

 風月の胸ぐらをつかみ、膝から崩れ落ちそうになっているミクハの目に涙はない。顔は悲痛に打ちひしがれているが、立場と責任がこの場で泣くことを許さない。


「足りなかったのは兵士の覚悟じゃなくてお前の覚悟だったな」

「ぐっ……!?」


 なんの感慨もなく、反射的に風月の口から洩れていた言葉はミクハを再び黙らせる鋭い言葉だった。

それでもミクハは噛みつく。


「死ぬ覚悟ならできてる!」

「死ぬ覚悟なんてもんじゃなくて自棄(ヤケ)になってるだけだろ。実際そんな覚悟があったところでどうでもいいんだけどさ」


 バッサリと切り捨てる。その心無さに思わず茜が手を風月の肩にかける。『口を慎め、摘まみだすぞ』そういわれているのは分かる。それでもティアの側に立つ風月は言わずにはいられなかった。


「何なのよ本当にっ。これ以上何が足りないっていうのよ! もう殺してよ……」

「ティアに責められる覚悟」


 間髪入れずに放たれた言葉がミクハの胸に深く突き刺さる。呼吸どころか心臓の鼓動すら消えた。実際の時間は数秒程度だが、ミクハには一時間近く言葉を発せなかったような錯覚すら覚える。


「そ、んなこ……と」

「訴える相手が間違ってんだよ。俺の提案なんてティアの意向一つで退けられる程度のもんだよ。俺が出してるのはあくまでも代案だからさ。だろ?」

「まあそうじゃの」


 風月の言葉を渋々肯定する茜。

 神域の騎士としてはここから話をひっくり返されること望んでいない。茜としては今の領主代行兼予備としてミクハが生き残る方が利が大きいのだ。


「お前がティアと目を合わせたところを見てないんだよ。ただの、一度も」

「――合わせられる訳ないでしょ。もう会うと思っていなかったから、いなかったことにした。口の周りを血で汚したあの姿が悍ましかったから、家族を売った」


 目を合わせられなかった。合わせられるわけがない。一度捨てたのに、家族に戻れるわけなんてない。


「もう取り返しがつかないのよ。死ぬ以外に、どうすればいいの?」

「知る――ぐがっ」


――知るわけないだろそんなこと。


 躊躇いなくそう口にしかけた風月に感づいた茜が慌てて風月の首根っこをつかみ後ろへとひいた。抗議の視線を向ける風月だったが、『ちょっと黙っていろ』という圧に晒されてさすがに閉口する。

 ミクハはとうとう風月からも視線を逸らしうなだれる。


 その時、ボロボロのワイシャツが目に入った。生地は裂け、ボタンが二つしかついていないそれは、もやは服の体を成していないそれは、腕の当たりは血で汚れた跡がある。ワイシャツの下にある黒いシャツ穴が開いていた。僅かに覗く素肌に傷が見えた。

 目の前の男がどれだけの修羅場をくぐり抜けたのかミクハには分からない。なぜ戦ったのかも、理由は知っていてもミクハには理解できなかった。

 だがミクハは気づく。


「あ」


 小さく漏れた声は風月にすら届かない。

 ティアの気を変える方法はある。

 再び顔を上げたミクハの表情は薄く笑っていた。焦燥に駆られ、それでも無意識のうちに笑みを浮かべていた。


「あなたを刺したのに、殺そうとしたのに、どうしてそこまでするの?」


 風月を見ていたのに、ミクハの言葉は風月に向けられていない。

 しかし、ミクハの言葉に真っ先に反応した、ティアではなく経験値が頭一つとびぬけたアルトと茜とミラタリオ。その経験とは戦闘ではなく政治に基づくものだ。


 ティアの意見はこの流れを変えるには十分で、ミクハの一言はティアの意見を変えるには十分すぎるように思えたのだ。

 ミクハ以外の誰もがこの流れを変えることを望んでなんていないのに、ミクハがこの場の支配権を握った。

 刺されたことは覚えてはいた風月。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れる、傷が治ってしまいそれ自体を重く受け止めていなかったがゆえに一拍遅れたが、ようやく事態を呑み込む。


――そこまでやるか。


 個人の感情を優先して後先考えずに場を引っ掻き回す。いままで風月がやってきたことだが、相手にされるとこうも厄介かと思い知らされる。


「どういうことだ風月凪沙」


 アルトの言葉からは『聞いてないぞ』という言葉が聞こえてくる気がした。

 気にしていなかった、とは口が裂けても言えない。だが、アルトの行動が読めなかった。

 嘘を断つ剣を抜くのかどうか。変なことを言えば風月は死にかねない。状況によってはアルトは『抜く』だろう。


「そんな傷が何処にある? そもそも誰にも見られずにそんなことができるチャンスは一度しかないだろ。覚悟のない腰抜けにそれができたとはとても……」

「塔の上で私が刺した。わき腹にはその傷が残ってる」

「おいおい、これは塞がってんだぞ。ミラタリオとか言ったっけ? そんな『不死』なんて言われるような回復力もないただの人間に何言ってやがる。そうだろ茜」

「むむっ、儂か? 確かに塞がっていたし、一番ひどかった腕もやりすぎだとアルトに言ったくらいじゃからのう。回復するような事があれば骨が剥き出しのままなんてことはなかったじゃろ」

「ほら」


――これだけだと弱いか?


 この中では比較的付き合いがないがアルトだけが風月の焦りに気づく。今の一連のやり取りは嘘もなく流れを持っていったように見えていた。印象としては悪くない。それでも、風月が何かを恐れているように感じた。まだ詰めるための切っ掛けを探しているように、身体の節々に現れる仕草が忙しない。

 言葉すらミクハに向けていない。ティアへの必死にアピールだった。


 そんな中、異変に気付いたのはクルス。

 神域の騎士達の応酬の中、自分がいる状況に居心地の悪さを越えて場違い感を覚えていたクルスの服の裾を掴んていたティアの体重が重くなったように感じた。正確には体重がかけられた。

 視線を下げて初めて、裾をつかむティアの手が震えていることに気づく。


 日数にしてわずか五日。


 それは風月とティアが出会ってから此処までの日数。倒れていた期間を含めれば風月と共にいた時間はさらに短い。それでもどうなるかわからない状況で紛れもなく命を救ってくれた相手であり、手放しで頼れる人間だった。

 王都でも、魔の山でも風月はティアを助け続けた。

 そんな人間を害したのはたった一人になってしまった家族だったのだから。そのショックは大きかった。

 そのことを今になってクルスは理解する。


 ティアはミクハの言葉を今になってようやく呑み込んだのだ。


「なに、それ」


 奥歯をカチカチと打ち合わせるほど震え、微かな声が不思議なほど響く。


「どういうこと」


 その疑問は誰に向けられているのか。風月は嫌な汗が頬を伝うのを感じる。

 ぼろぼろと。大粒の涙がティアの瞳から零れ落ちた。今までため込んでいた不安が決壊した。

 この状況にしたくなかったが、風月の力が足りなかった。その不甲斐なさを爪を立てた掌に滲ませる。


「こたえて、こたえてよ……おねえちゃん」


 ギリィ。

 奥歯をかみしめる。

 これこそが風月が焦りを覚えていた理由。風月にはどうあがいても推し量れなかった『家族』という関係の重さ。

 ティアは風月とミクハを天秤にかけて、助けてくれた誰かではなく、家族を信じた。ティアにとってそれが、信じたくもない事実だったとしても、()()()()()()()()信じてしまった。


「そう、そうよ。全部本当。殺そうとしたの」


 ミクハは漸く振り返ってティアと目を合わせる。

 痛々しいほどの虚勢に茜は間に割って入れず、風月は家族という関係を知らないがゆえに踏み入れないでいた。


「兵士もお父さんとお母さんも、私が殺したの」

「……、……っ」


 左手で隣にいるクルスの服の裾を、右手を胸のあたりをギュッと握り込むティア。何かを言おうとしても声が出ない。


「どうしてって聞きたそうね。答えてあげる」


 アルトとミラタリオはこの先がどうなろうが興味がなさそうだった。この結末がどうなろうが今後に影響のない二人。そして影響力がないとも言えた。片や外患誘致の罪の誘致された側であり、アルトはティアの一時的な護衛だ。対等な関係を築いた風月ほど発言権を持たない。

 茜は風月とは違い家族を知っているからこそ、この二人の関係を修復不可能だと諦めた。二人の間に広がった溝は片方がどうにかするだけで埋まるようなものではないことに気づいたのだ。


 元より、この三人はミクハの処刑に肯定的だったこともあり、芝居がかった彼女の言動を誰も止めない。


「会いたくなかったから。家族だと思いたくなかったからっ。だから、私はっ」


 ミクハの声が震えていた。涙があふれていた。

 その後ろ姿を見ていた風月は気づく。溶岩のように煮えたぎる怒りの感情に。一歩引いて俯瞰するように。怒りが握りしめる指先へ、噛み締める奥歯へフィードバックされない。明らかに自分の中にあふれる感情を『眺め』ていた。

 同時に、自分の中にこんなにも怒りが溜まっていたことにおどろいてもいた。


「もう家族ではいられないの」

「――っ」


 ティアの限界が来た。不安そうだった瞳がついに伏せられ、同時に風月は怒りの溶岩に呑み込まれ、爪が喰いこんだ掌から赤黒く湿ったものがあふれ出し、奥歯が砕けるかと思うほどに喰いしばる。


 そして身体は思考を置き去りにして動いていた。自分の身体が自分のものではなくなってしまったような感覚。風月はこの感覚を知っていた。


――動かされた……。ティア!


 前触れもなく爆発した感情はミクハを殴りつけていた。全員の視線が風月へと集中する中、当の風月の視線だけはティアの方を見ていてる。

血のように赤く湿った瞳を怪しく輝かせ、泣いていた子供とは思えないほど大人びた表情をした『吸血鬼』の方を。

 すぐに理解する。己の内に溢れだした煮えたぎるような感情はもう一人のティアのものであったと。


 人差し指を唇に当てて、無言のままに『吸血鬼』は語る。

 黙って身体を貸せ、と。そして有無を言わせぬままに風月の身体は乗っ取られる。


「『家族は何処まで行っても家族だ。そのつながりは絶えたりなんかしない』」


 本来はこの蛮行を発生する前に止めて然るべき神域の騎士達。止められなかったのは、そもそも四大貴族を殴るなどという非常識極まりないことをすると思っていなかったことに起因する。直前までの風月の一歩引いた姿勢もそれをあと押しした。

 慌てて茜が風月の肩を押さえるが、もう遅い。

 殴られた衝撃と、精神的なショックで後ろに数歩下がり、そのまま尻もちをつくミクハに、馬乗りになるように膝をついて胸ぐらをつかみ上げていた。

 だが、ミクハには響いていない。それどころか殴られた痛みに救われたような顔をしていた。


「繋がりなんて死ねば消えるわよ……」


 茜の表情が曇る。彼女にとってミクハの言葉には思うところがあったらしい。


「『死んだって消えやしない。残れた側には、残ったままだ』」


 ミクハに残ったものは思い出。

 すれ違った姉妹の間の希薄なつながりは、未だ薄らいで形になっていない。

 両親の死というモノが、罪悪感が、そして寂しさが横たわって二人は歩み寄れない。


「奪ったのが私だってわかってないだけよ。あれだけ言ってもまだ幼いからわかってないだけで、いつか知る時が来る。そしてらきっと……」


――それ、か。


 と、風月は内心で息を一つ。

 風月の視点から初めて見えたミクハの恐れていたもの。それはティアから責められること。

 何が怖くて、何から逃げ出そうとしていたのか漸く気づいた。

 家族を知らない風月にとって、それがどれだけ恐ろしいことなのか、どれだけ重いことなのか想像もつかないが、ミクハが背負うべき責任だと思った。


「『分かってんだよ、そんなこと。ずっと、ずっと』」


 らしくない言葉にアルトが違和感を覚え眉を顰める。

 ミクハの表情が、後味の悪さを覚えさせる救われたかのような顔から、打ちひしがれた悲痛なものへと変わっていく。血の気が引いたのが分かる。


「『家族が家族を殺したって理解してる。全部分かったうえで、まだ家族だって、そう言ったんだ』」


 風月はその言葉を知らない。知っているのは吸血鬼だ。だからこれはティアをずっと見続けていた吸血鬼から、ミクハへの言葉。伝わらなかった姉妹の思いをつなぐのは吸血鬼と風月だった。


「『()()()はもっと辛かった。もっと怖かった。それでも向き合ってここにいる。それでも家族だから会いに来たんだ』」

「……」


 ミクハが最も恐れていたことはもう起きない。しかし、追い詰められているのがその表情から見て取れる。


「あなたの言葉なんて、信じられない。そんなこと言ってるわけないでしょ。そんなふうに思われて良い訳がない」


 ティアが家族の言葉を信じたように、ミクハは家族ではない者の言葉を信じない。

 風月は自らの首筋が冷えたことに気づく。吸血鬼の焦燥にもにた感情が伝わり、身体が発汗したのだ。何に焦っているのかわからないが、勢いで走り出したことを後悔しているようにも感じた風月。

 吸血鬼の言葉が詰まり、代わりに風月が無意識のまま口を開く。


「たった一人の家族なのに、考えていることもわからないのか」


 家族を知らない風月の憧憬にも似た感情からくる、失望交じりの言葉。口をついて出た言葉は戻らない。

 その反感を買う言動は、たった今、辛うじて繋がりかけた姉妹の関係を壊しかねない言葉を誘発しかねない。言葉の持つ危うさに気づいた時には全て遅かった。


「あなたなんかにいったい何がかわ――」


 ミクハの反論よりも、風月の後悔よりも早く、鋭い痛みが頬に走る。ぐらりと視界が揺れ目を回す。一拍遅れてそれがティアによるものだと気づいた。


「もうやめてっ、おねえちゃんをいじめないで」


 大粒の涙をこぼしながら震える声で放たれたティアのそれは、間違いなく家族をつなぐ言葉であり行動だった。

 信じられない、そう言ったミクハの言葉に対する答え。

 救われたような表情で胸を撫でおろすミクハ。


――違う、違う、違う。


 ティアの言葉で本当に救われたのは風月だ。

 ミクハの反応次第でバラバラになっていた家族をつなぎとめてくれた。表情に出なくとも、胸を撫でおろしたその時だった。


「だいっきらいっ。ひとりにしないで、かぞくをとらないで」

「―――」


 膝をついた体制じゃなければきっと倒れていたと思うような衝撃が風月の脳を打ち抜き、思考が完全に停止する。

 ミクハの胸ぐらから重力に従って手が落ちる。


 我に返った時には、喉の奥に反論が湧きだし始めていた。だが、絆を引き裂きかけた風月は何も言えない。言う資格がない。

 ミクハも声を上げようとした、開いた口からそれ以上何も出てこない。元凶であるミクハにはティアの行動にかけていい言葉が見つけられなかった。その行動が何を意味するのか分かってしまったから、蜘蛛の糸に縋るようにティアにしがみついた。口を結ぶころには熱いものが瞳からこぼれだす。

 それから、ティアが失言に気づいた。

 風月との決別を意味することを知って、絶望に近い表情が浮かぶ。


 それこそ、吸血鬼が避けたかった状況だ。

 ティアから見た風月が悪役となってしまうこと。これを恐れていた。


 見ていられなくなった茜が視線を逸らし、罪悪感を覚えているミラタリオは視線を伏る。アルトだけが見届け人として最も正しい形で状況を正視している。

 家族を奪ったのは風月ではない、むしろここまで来て繋ごうとしていたのは風月だったはずだ。それでも、ティアにはそう見えてしまった。



 奪ったのはその人じゃない。

 伝えたかったのはこんなことじゃない。



 ミクハとティアはそんな思いが伝えられない。

 風月は喉のすぐそこまで出かかっていた泥のような醜い感情からくる反論を飲み下す。


――これが、俺の役目か。


 自分自身の言葉の重さに怯えるティアの瞳に射抜かれて、風月は優しく微笑む。

 そんな顔をしてほしくなかったから、ここまで来て、自分にはできないことをやって見せたティアが、やはり眩しかったから。

 ここまでの旅路に一つの区切りをつける。


「そうだな、ごめん」


 風月は立ちあがり、眩いものから背を向けた。

 一瞬、アルトと視線が合うと、あとは任せろ、そう言うように静かにうなずいた。


 助けを求めるような顔で、小さな手を風月の背中に伸ばすティア。しかし、扉の向こうへと風月の姿が消える。


「いかないで」


 漸く絞り出した嗚咽混じりのティアの声には風月には聞こえない。

 繋がりを断ち切れないティアの手に、風月は気づかない。

 その手をとってくれる人はもういない。

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