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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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水の中

 ヴェイシャズにとってミクハは東の領地を切り取るための火種の一つでしかない。探していた時にたまたま接触があったから利用しただけなのだ。

 火種を大火にして、混乱の内に権力と領地を切り取る。それがヴェイシャズの狙いであり、ミクハは領地を切り取ったあとの余波を少なくするための材料だ。

 今回の行為を言い換えるのなら、手間を惜しまないのなら、ミクハを殺すことで大火にしてしまえばいい。

 森神を見てヴェイシャズは確信したのだ。契約に『ミクハ』は含まれていない。権力者の心理を読むことに長けているヴェイシャズは一切の躊躇いなく、森神の介入を否定した。

 だから大量の水で押し流し、混乱を引き起こす選択を取れた。


 最も重要だったのは風月凪沙を殺さないこと。森神を刺激せず、そしてアルトにはミラタリオと戦いつつティアとミクハを助けることを強要させる。

 兵士たちもミクハにいい感情を持っている者は少ない。兵士たちにミクハが見つかれば、場合によっては暗殺もあり得る。ヴェイシャズはどう転んでもいいようにそういう状況を作り上げていたのだから。





 激流。


 生み出された大量の水は、さらに発生し続ける水の莫大な質量に圧されるカタチで勢いを増し、容易く人間の身体を攫って行く。一瞬で足を取られ、体を浮かされるほどの水に風月は反射的に服に空気を取り込み浮き輪がわりにした。


「ごっふ、げふっ」


 思わず呑み込んだ水を吐き出し、大きく息を吸う。

 森神が当てにならない以上、自分の力で何とかするしかない。慌てて周囲を見回すと視界の端でアルトを捉えた。

 その青い瞳がミラタリオと剣戟を交わしながらも、風月を射抜いていた。


――任せたぞ。


 そう、告げられた気がした。

 視線が交差したのを確認したアルトはすぐにミラタリオへと向き直った。


「なんだよ……。その信頼したような目は」


 数日前まで敵同士だったはずで、本気で殺そうとしていた。それを風月もわかっていたからこそ、森神との交渉で毒のナイフを追求したときは、アルトが殺される可能性すら考慮しても躊躇わなかった。そういう関係だったはずだ。

 そんな相手に向ける視線ではなかった。それが、どんな言葉よりも、きつく風月の胸に突き刺さる。

 風月の契約はティアとミクハを合わせた事で遂げられた。もう風月がティアを助ける理由はないのに、アルトもそれを理解しているはずのに、それでも風月を信頼していた。


「――くそっ。やってやる、やってやるよ!」


 未だ、ティアもミクハも水面に上がってきていない。ドレスを着用していれば、どれだけの負荷がかかるのか想像に難くない。

 息を大きく吸い込むと浮き輪代わりの服から空気を抜いて一気に潜る。

 経験がないわけではないが着衣泳など年単位でやっていない。それも、夜となれば話は全く違う。月明りは水底まで貫通しているはずなのに、荒れた水面は光を乱反射し舞った砂や瓦礫で最悪の状態だった。唯一幸運だったのは透明度が高いことか。

 その中で沈んでいく海月のようなものを見つける。水で広がるドレスと髪がふわりと広がり、幻想的ではあったが、苦悶の表情と、口から容赦なく抜け出ていく空気を目にして水温以上に胆が冷える。


(ティア!)


 水流に押されるがままティアの方へと泳ぎ、一息に潜ってその体をつかみ上げる。だが、水を吸ったドレスは想像以上に重く、水の抵抗も相まって上がらない。一度地面に足をつけて一気に飛び上がる。

 待ち遠しかった水面からようやく顔を出して、もう一度息を大きく吸うと顔が水につくのを厭わずにティアを背負いあげる。足を必死に動かして何とか自分の呼吸も確保する。


「けっふ、こふっ」

「ティア! 服の中に空気を入れろ」


 全力でティアを持ち上げているが、気を抜けば沈みそうだった。


「ふづき」

「ちょっとはな――ごぼぼ」


 溺れてパニックになったティアに抱き着かれて沈み賭ける風月。

 一度引き離して後ろから持ち上げたりすべきなのは知識としてはもっているが、意外にも強い力で上手く距離を取ることもできない。

 水面へ伸ばした手は容易く水から脱出し、そのまま水面をたたきつけるように藻掻くが顔が水面の上にまで行かない。三〇センチもない程度の距離なのに、呼吸ができない。

 肺の中の空気が容赦なく内側から閉じた唇をこじ開ける。


 その時だった。

 ズキン。右腕がハンマーで潰されたように痛み、傷口が開いた。そこから線香の煙のように血液が伸びて、薄まっていく。


(なに、が……)


 あれだけ欲していた空気、今もなお体を蝕んでいる苦しさ。時が止まったかのように、風月はそれらを忘れていた。視線は吸い寄せられ、水面ではなく、ほぼ真横へと剥いていた。

 次の瞬間、地鳴りと共に大地を砕きながら数多の樹木がせり出してきた。


「―――」


 ごぽごぽ、と。

 風月の口から空気が漏れ出ていくのだが、視線は動かないまま、噴火のような勢いで突き上げる樹木に釘付けになっていた。


(なんか、近づいてきてない?)


 森神の木を生み出す魔術は留まるところを知らない。異常な速度で範囲を広げながら、倒れた塔を串刺しにし、瓦礫を吹き飛ばしていく。その中に人間が巻き込まれたらまず助かれらないであろう惨状を引き起こした意図を風月は読み取れないでいた。

 僅かな逡巡が生んだ時間のあと、逃げようとするが、首に巻き付いたティアの体重が水柱での動き辛さと重なって上体が沈んだ。

 水の中の浮力に支えられたゆったりとした並に漂う感覚。にもかかわらず状況が奈落のそこへと落下させているかのように錯覚させる。周囲の水よりも体温が冷え切り、ひと際大きく口から酸素が抜けていった。


(これ、まず――)


 次の瞬間、足に巻き付いた木がそのまま風月の身体を引きずり上げた。

 待ち望んでいた水面の上。だが、めいっぱいの空気を肺に取り込むには、如何せん体勢が悪かった。

 首に抱き着くティアの体重と水を吸ったドレスの重みが、浮力のない水上へと上がる度に容赦なく風月の首に掛かっていく。

 背中で小さく咳込む音を聞きながら、眩暈を起こす。


 動きが完全に止まって一瞬でも死を覚悟したその直後、太い腕がティアを服だけを摘まみ上げて近場の木へ移動させた。

 漸く解放された気道が自分の喉から出ているとは思えないほどの喘鳴を吐き出し、宙づりのまま、太い腕の持ち主を見た。


「森神。助けるなら最初からやれよ……」


 風月の嫌味に対して森神は傷の開いた右腕を軽く振って見せる。


「手を出すつもりなんぞなかった。だが、契約だからな」


 血縛の契りにより、森神はティアの身を守らなくてはならない。その契約が不履行になりかけたことを知らせるために、傷口が開いた。


「そんな顔をするな。儂とて、沈んだ程度で死にかけるほど脆弱だと知らなんだ」

「……」


 何かを言い返そうとしたが、口を閉ざした。

 というのも、森神が出会ってきた人間は風月が推測できるだけで、屈強な騎士たちと神域の騎士という最高戦力だ。確かに、風月たちがどれだけ脆い人間なのか知る機会は少なかったのかもしれない。


 一先ずの命の危機が去り、ゆっくりと息を吐く。

 見上げれば、水の出現する場所は木に覆われ、ガジュマルの木のように絡まった枝の隙間から水が生み出されているようにも見える。表面を勢いを失った水が微かに流れ、筋ではなく半透明の膜になり、その表面を覆っていた。


「水の勢いが大分弱くなったな」

「スイシュの木、水の呪いを受けた木だ。水を貯える性質がある」

「やっぱりこれスイシュよね。鉢植えサイズしか見たことないから最初分からなかった」


 木の枝をかき分けてクルスが風月たちに合流する。


「お前いたのか……」

「人のことを戦場に突っ込んだ癖に、言うに事欠いてそれ?」

「独房に行くかアルトと一緒に行くかで後者を選んだのはお前だろ」

「牢屋から平然と出てこれるのはアンタだけだ!」


 魔術錠の発展が著しく、競うように解錠する魔術の技術も発展した。結果として魔術錠は常に最新のものにできるだけの金がなければ役立たずになったというのはクルスの弁だ。そのせいか、多くのところで使われている錠は魔術錠を避けた物理錠だ。風月に言わせれば、自転車についているような数百区円で買える三ケタのダイアルロックの方が時間がかかるだけ錠前としてマシだと断言できる。


「なあ、足外れねえか? 同じ足を二度目はさすがにキツイ……」


 魔の山でも万力に締め付けられるような痛みを味わっていたが、今回は痛みは少ない。腰のあたりまで木が巻き付いたことで足に掛かる重さが分散し、知恵の輪のように絡まっているだけだからだ。しかし、足はどれだけ動かしても抜ける気配がない。


「なぎさ」

「お、おおぉい。まてまて。まさか飛び降りる気じゃねえだろうな」


 視界に月明りを遮る影が差し、ティアが覗き込んでいるのに気づく。陰りで」表情は見えなくとも怪しく光る赤い双眸がじっと風月を視ていた。


「クルス、クルス! 今すぐティアを止め――っ」


 ティアは落下することに関しては前科もちである。下敷きになったのだから間違いない。

 クルスもティアの脇の下に手を回すが、如何せんタイミングが最悪だった。

絶対に受け止めてくれると信じて疑わない純粋さから、一切の躊躇いなく飛び降りた直後、バランスが取れずにクルスも一緒になって落ちてきた。


「あ、あぁ」


 状況が先に理解できていただけに絶望よりも早く諦めが来た。




……きゅう。

 風月の口から声にもならない声が抜けると、森神のため息が漏れるころには、三人分の重量を支えきれなくなった枝が折れてさらに下の枝の上へと落下した。


「うぐぅ」

「なぎさ。おねえちゃんが……」


 ティアの声が耳に届いた時、呻き声が自分のものだと気づく風月。強く打った背中の痛みに悶えながら、馬乗りになるティアの顔を見る。

濡れた髪が風月の頬に触れるほどの距離になって、漸く表情が見えるようになった。水なのか、涙なのかわからない液体が頬を伝って顎を滴り、風月の頬へと落ちる。僅かに温かい気がした。


「おねえちゃんがいないの。だから」


 その先は言わなくてもわかった。だから遮るように口を開く。


「        」

 やめろ、やめろよ


 しかし、口が開いただけで声が出なかった。

 約束は果たした。これ以上命を懸ける理由が見つけられない。なのに、拒絶できなかった。


「アルトといい、お前といい。いったい俺に何期待してんだよ……」


 心のどこかで約束の結末を認めたくない自分がいた。

――だからこれは、自分の為。自分のためだ。

 約束の為。その言葉が自分自身にティアの命を背負わせていた。その重さから笑えなくなり、陰った表情をティアを不安にさせえていることにも気づいた。


 出会ったころから軽薄に笑い、命を預けてまで旅をしたあの男はそれほどすごかったのか。はたまた、そんなことを気にするようなタイプじゃなかったのか。

 対比すると酷い差があって、自嘲気味に笑えて来ると、思わず口角が上がる。


「どいてくれ」


 ティアを押しのけ、水を吸ったボロボロの学ランを脱ぎ捨てる。しかし、捨てた学ラン以上に体が軽くなっていることに気づく。背負っていたものが無くなった。

 魔獣に噛みつかれたときに歪んだ腕輪を腕から抜くとティアに投げ渡した。


「持っていてくれ。大事なものなんだ」


 ティアと目が合うと、スッと解けるように悲しげな色が消えた。

 ――大丈夫、きっと笑えている。


「うんっ」

「クルスここは頼んだ!」


 返事を聞くよりも早く、風月は再び冷たい水の中へと飛び込んでいく。

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