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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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一撃

「間違いなく風月凪沙という男は存在する、間違いなく」


 崩れた館と倒れた塔が風を遮ってく釣りだした凪いだ空間に声が響く。国家を左右できるほどの権力者が集まる場所であり、国家の中で上から数えたほうが早いような強者が集う場所でもある。


 そこで、東の国の商人から落ちぶれたクルス・ハリファは冷や汗をかいていた。立場で言えば一介の商人。さらにいえば六層の商業ギルドの後継者ではあれど、いまだ見習い扱いで実績を稼ぐために衛兵の詰め所で書類整理を担っていただけの一般人なのだ。それが何の因果か、わずか数日のうちに国の最高権力者の一角である長老院、四大貴族、神域の騎士に囲まれている。


 ヴェイシャズが魔術で収納していた机と椅子は、本来は執務をするためのものでこうした階段をするためのものではないため、豪奢な服に対して、あまりにも味気ない。にもかかわらず、商業ギルドでも発注されれば書類でしか見ない金額が容易く動くほどの逸品でもある。

その事実だけで心臓が破裂しそうだった。


 なんで自分が……。


 声を呑み込んで、言葉をつづけた。


「まだ、生きてる」


 周りを見れば、何人が死んだかもわからないような惨状があった。この中で巻き込まれて生きているとは思いにくい。

 それは対面に座す男、長老院のヴェイシャズ・ライルヴァスも気づいていた。

 わざとらしく辺りを見回し、手を上げてみせた。


「どぉこにぃ?」


 生きているのなら姿を見せているはずだ。そんな意味が込められたセリフに、クルスはまた、言葉を呑み込む。


――しらないよそんなの。


 毅然とした態度で臨め。アルトにそういわれたことを思い返すクルス。

 一言返すなら〝ふざけるな〟だ。

 態度ひとつ気に喰わなければ簡単に家を取りつぶせるほどの権力を持っている。神域の騎士に庇われても、簡単に搔い潜れるほどの狡猾さを持っている。

 目の前の存在と会話したくないというのがクルスの正直な気持ちだった。

 にもかかわらず、義務も責任もないのにクルスがこの場にいる理由は至極単純だった。


――ムカつく。


(どいつもこいつも権力と暴力を笠に着て好き放題しやがって……。あの脂ぎった横っ面を殴りつけてやる)


 内に秘めたその怒りが、なんの責もないクルスをこの場に縫い付けていた、

 アルトに視線をやるクルス。それはミラタリオを警戒するために交渉の席から離れざるを得なかったアルトに許可を求めるアイコンタクトだっが、アルトは目を軽く伏せて首を横に振った。情報を抜かれるな、と。警戒しているのはこの場で決着した後のことだ。決定しているのはヴェイシャズをこの場で殺さないということだけだ。権力があるというだけで、殺すための手順は複雑になる。死んだときの影響が馬鹿にならないというのはクルスにも理解できる。影響を消すための手順であり、手順を踏むためには時間がかかる。ヴェイシャズはその間に趨勢をひっくり返しかねないほどの政治力を持っている。その政治力を理解できる者たちの中に、誰一人として、クルスの内情を理解できるほど思いやりのある人間はこの場にはいなかった。


 それでも、


「死ぬ前に森神が来る。そうしたらここはこんなものじゃ済まない」


 魔術で治癒された場所に触れたのは無意識だった。治療が速かったおかげか、クルスのこめかみに傷はない。だというのに、違和感のようなものが張り付いている気がしてならないのだ。

 違和感の正体は森神の脅威に晒されたことによるトラウマだ。戦闘の余波で意識が朦朧としていても、身体には恐ろしさが刻まれている。


「アレが来たら誰一人として生き残ることなんかできやしないんだ。権力に守られた長老院だろうが、大領地を治める貴族だろうが、神域の騎士だろうが……」


――私だって。


「証明して見せろよォ。その言葉が本当ならなァ」

「待てばいい。絶対に来る。約束一つ守るために神域の騎士殴って、魔の山で森神と渡り合うような奴が、諦めるわけがない」

「まァだ、理解できないのかァ? この場での発言はァ、貴様が考える以上に重いんだよォ。それが延命の時間稼ぎじゃないと言うんならァ、まずは証明しろォ」


 顎で指し他のはアルトだった。正確には神域の騎士第三席に女王より下賜され、受け継がれてきた一本の剣だ。

 実際に見たことはないが、クルスも聞き及んでいる。嘘を断つ剣が存在することを。何よりも、その剣に貫かれてい生きていた人間の存在を、振るった本人から聞いていた。


「言葉を撤回しても構わんそォ。終わった後に家を取りつぶされェ、行く当てもなく奴隷に身を窶したくはないだろォ?」


 どう転んでも、生き残れる可能性はかなり低い。それどころか、ヴェイシャズがいま言ったことがそのまま実現されかねないのだ。

 だから、クルスの覚悟は決まっていた。

 どう足掻いても破滅が待つのなら、暴れてやる。

 と。


「撤回はしない。嘘か確かめたいなら確かめればいい。命も、家も全部賭けてやる。お前もこの場での発言に見合うものを賭けろよ?」


 礼節も、緊張も、沸き上がる怒りに塗りつぶされた。

 落ちぶれたとはいえ、クルスは元東の地の商人の出。それだけで王都の商業ギルドの支部長にまでのし上がるほどの家系。その血が確かにクルスに受け継がれていた。

 ヴェイシャズは攻撃する相手を間違えたことにいまさら気づいたのだ。


「見合うものォ?」

「お前の首」

「どこの馬の骨とも試練輩如きの人生とォ、このワシの首ィ? 見合うものかァ。そのこの騎士の首でも足りん」

「私の言葉が嘘じゃなかったら、お前の首はどうせ刎ねられる。早いかおそいかの違いだけよ」


 そこで、護衛としてヴェイシャズの横に控えていたミラタリオが言葉を差し込む。


「若いの。実績も、格式もまるで足りん。その命と引き換えたとしても、ワシの腕も切り取れやせんぞ」

「……」


 ミラタリオの言葉など、こうして向かい合うまでもなく分かり切っていた。

 数秒の睨み合いの跡、お互いに無意味なやり取りであると、口にはしないが決めつけていた。

 件の人物である風月がいなければ平行線になることは必至だ。一国が一〇〇〇年もの時を経てもなお、成し得なかった偉業を成し遂げてしまったのだから。成し得た偉業そのものが信じられない以上、風月凪沙という人間が生きているのかどうかが焦点となる。


――ここまでやって、生きてなかったら許さないわよ?


「中心人物たる風月凪沙が不在である以上、ここが限界だ」


 ここまで沈黙を貫いていたアルトが口を開く。


「ティア嬢もいない。ここでできる話はもうない」

「もう一度聞こうかァ。本当に生きているでもォ?」

「二度言わせるな。風月凪沙がいない以上、契約の話はできない。ティア嬢がいないなら家督争いの話も、貴様の罪の追及もできない」


 その言葉にヴェイシャズが初めて笑みを崩して舌打ちをした。

 最も厄介なのは家督争い。ここに口出しはできる立場にあるヴェイシャズだが、ミクハが一言当主を降りると口走ってしまえばそれだけで全てが傾いてしまう。逆に言えば、家督争いについてはヴェイシャズが持ちうる地価はその程度なのだ。

 アルトの口からティアの名前が出た時点でミクハは分かりやすく取り乱していた。その状況では何が起きてもおかしくない。それもまたアルトの掌の上だとヴェイシャズは気づいてしまう。


「最初から目的は時間稼ぎかァ。いつまで待たせるつもりだァ?」

「日の出までだ」


 すでに当初の邂逅予定であった日付の変更は終わっていた。二時間もすれば魔の山の山頂に陽が射し、そこから三〇分で高台に近いこの場所にも陽光は注ぎだす。


「その間、お互いの身の安全を保障する」


 ヴェイシャズはミラタリオに視線を送る。


「飲むしかありますまい。『今の』ワシでは敵いませぬ。あと三度は必要かと」


 その言葉を聞いてから、大きく息を吐いて頷いて見せた。

 気に喰わない、その気持ちがヴェイシャズの中で大きくなっている。たった一日で少しずつ崩され、気づけば手の打ちようのない状態まで追い込まれた。


(未だに姿の見えない風月凪沙、かァ。いったい何者なんだァ? 所在どころかァ、本当に存在しているのかすら追いきれなかったァ。仮に風月凪沙とやらにィ、人質の効力も怪しいところだァ)


 情報戦で完敗しているという状況が、すでに後手に回った状況。

 それはクルスが死体という珍しくもない荷物として風月を運び込んだことに起因するのだが、知る由もなかった。


 考えが煮詰まり、この時間に打てる有効打が無くなったヴェイシャズは机に手を置いた。魔術が発動し、現れたのはティーポット。その陰にはティーカップとスプーンまで用意され、高価な角砂糖まで添えられていた。

 立ち昇る湯気は、水面に反射する光で僅かに藍色を帯び、ランタンの赤い光とぶつかり混じり合っていた。


「ケイドの最高級品……」

「ハーブだけのものは質が悪くてなァ。ここにあったものはこれくらいだァ。最高級品でも口に含むとスパイスの香りが合わんなァ」

「紅茶が恋しいのか?」


 ヴェイシャズはアルトの質問には答えず、カップに砂糖を二つも先に放り込んでから注いでいく。砂糖もランタンの灯りで解り辛いが明らかに精製が甘い。透き通る青の水面はPH値の関係から緑へと色を変えだし、均一な緑になるまでティースプーンでかき混ぜていく。


「こうした話は懐かしいなァ。ミラタリオもミクハも詳しくはないからなァ」

「秘密主義が災いしたな。口の堅い奴は社交の場を持たない。騎士ならなおさらだ」


 そんな、貴族の社交場とは異なる砕けた会話を行っていた。先ほどまでの剣吞な雰囲気は消え去り、もっと陰湿な腹の探り合いをしているような雰囲気すらある。

 だからこそ、この中で最も正確に状況を把握できていたのは、交渉から気づいたら外されていたクルスだったのかもしれない。


――あり得ない。


 そんな心中をふとした気の緩みで吐露しかねない驚愕と畏怖がクルスを支配していたのだ。

 ただ紅茶を出す。その一連の動作に魔術が恐るべき速度で台頭してきた理由のすべてが詰まっていた。


 呪術や占星術、錬金術。様々な者が生活を豊かにする技術、あるいは戦場で生き延びるための技として研究されてきた。魔術も例外ではない。一〇〇年ごとのサイクルに隆盛を極め、その技術を磨いてきた国家が大成し、繁栄する。

今は騎士の時代。剣気を扱う騎士の国が栄華を築き上げている。

 過去三〇〇年、そして、騎士の時代である今の一〇〇年。魔術は次に隆盛を極めると言われ続けてた。それだけの地力があり、発展したそれらの技術に常に追いつき続けた。

 そのポテンシャルを疑っていないからこそ、国家や力を持ちたい者たちはこぞって魔術の習得やそれの利になる話に飛びついていた。それこそ、彫金の技術で魔方陣を掘るという話も存在し、事実として風月はそれで稼いだのだから。


「その魔術……スクロールは?」

「『前時代には不可能と言われていた魔法。にもかかわらず、今では魔法の域すら開拓され始め、魔術と魔法の境が曖昧になっている』グランバル著、イスカルカテル続章より引用」

「それも二〇〇年以上前の話かァ。まったく、騎士は魔術なんてものには興味を示さないと思っていたがねェ……。特にィ、神域の騎士一の堅物は」

「魔術世界――、魔術を使う者たちの間ではスクロールなんて必要ない。かの隣国、デミシェリアでは魔術のみで神域の騎士と戦える者がいるらしいからな。知らずに寝首搔かれましたなんて事がないようにしているだけだ」


 魔術は何かを発動するときにリソースと規模を外側に依存することが可能な点だ。事前に準備さえしておけば神域の騎士に匹敵する力を使うことも可能で、上手く扱えばクルスでも神域の騎士から逃げ果せることも不可能ではないのだ。その汎用性の高さから、神域の騎士にすら魔術と剣気を併用する者が歴代で見ても多くいる。


(魔術系貴族って東と全然違う……)


 クルスの知る貴族はそのほとんどが騎士系かお家柄かかわりの深い商業系。

 そこで、ふと、よく知る貴族に近しい(ミクハ)を見た。

 話を振られないように視線を伏せていて、その近くで控えていたミラタリオに至っては護衛の任を放棄したと思われてもおかしくないような形で視線を逸らしていた。


「お前らも聞いておけぃ特にミクハァ!」


 急な怒号に肩をびくりと振るわせる名前を呼ばれた党の本人は蚊の鳴くような声で返事をしていた。


「教育が追いついていないのか」

「先代は名君と呼ばれたんだがァ、如何せん何もかも異常すぎるゥ。領地運営についての書類がほとんど存在していないィ。金勘定のものも多少あれどォ、貴族の執務室とは呼べんぞあそこはァ。金も執政も感覚と商人たちとの信頼のみで乗りこなしていたァ」

「う、嘘でしょ……」


 現にクルスは家督を継ぐための実績として衛兵の詰め所で働いていたが、それでも商業ギルドからの書類が山ほど届き、魔の山征伐に向けての仕事をこなしていた。毎晩書類を枕にできるぐらいには高く積み上げられた書類に対してため息が止まらなかったことは記憶に新しい。

 そこまでしても上手くいくとは限らないのだ。


「今代もォ、金感情と書類仕事はできるんだがァ……。はぁ。それしかできないというかぁ……。造幣局まで握って諸国を牽制しつつ貿易で利益を上げている元締めがこんなのとは」

「東の貴族なんてそんなものだぞ」


 ぼそりとつぶやいたアルトの言葉はヴェイシャズには届かなかったが、クルスにはばっちり聞こえていた。いずれ家を継いだ時にそんなのを相手にすると思うと気が重くなる。

 その時だった。


 貴族の社交場のような華やかさはないものの、柔らかな雰囲気とその中でも砕けすぎないマナーが演出する気品があった空間を張りつめた緊張が両断した。

 クルスやヴェイシャズの目には捕らえられない速度でミラタリオとアルトが抜刀し、互いに背を向け合うように周囲を警戒した。

明らかに常人には察知できない気配を感じ取っていた、


「ウウオオオオオォォォォオオオオオオオオオオォォォン」


 野太く、それでいて小さくなっても途切れないほど力強く伸びるそれは、遠吠えというより咆哮のそれだ。

 風が凪いだこの場所では、崩れた建物の内部の反響や、風にさえぎられていない上空などで振動がかき乱され音源を特定するまでに至らない。

 そしてかの魔獣たちがあらわれる。闇の陰から、あるいは瓦礫の裏から。アルトの視界内で八匹。死角やミラタリオの方からもそれなりの数が来ているはずで、それだけの数がこの距離に車で神域の騎士に気配すら悟らせなかった。白と灰色が混じり合った毛並みが月明りに照らされて銀色に輝かせる。


「――魔獣どもか。どういうことか説明してもらえるかのう?」

「知るか。元より、契約の中身に私の安全も、貴様らの命も勘定に入っていない」


 契約の内容を一部漏らすことで、日の出までの不戦協定を反故にしたわけではないと暗に伝えていた。


「ミラタリオォ」


 守り切れるか? 無言のままの問いにミラタリオは首を横に振る。これが殲滅できるかどうかを問うていたのなら頷いていた。

しかし、連携の取れる魔獣の数があまりにも多すぎる。

 舌打ちをし、できることを探そうとしてヴェイシャズはクルスと視線がぶつかる。


「……なにを笑っているゥ」

「別に。ただ、アイツはこうしていたなって」

「誰の――」


 その先の言葉が紡がれることはない。なぜなら、ミラタリオがテーブルを蹴り上げたからだ。上に載っていたクルスの給料数か月分の茶器を容易く粉砕する一撃は、真っ先に突っ込んできた者を足止めするため。

 テーブルの向こう側で何かが激突し、弾きあげられたテーブルが戻ってきたときには、ティーカップの代わりに人影が転がってきていた。勢い余ってそのまま地面に落ちて、さらには机の下を通ってきていた魔獣に服を引っ張られる形で勢いを殺し、着地する。


「風月!?」


 静止したのはすでに武器を振りかぶっていたミラタリオの目前だ。次の瞬間には間に割り込んだアルトの細剣と剣戟を一つ。

 鋭い音が駆け抜けて、刃の届かない範囲にいるはずのクルスですら心臓を揺さぶられたほどなのに、風月は一瞥すらしない。鋭い眼光でヴェイシャズを睨みつけ、長い犬歯をのぞかせるその横顔は笑っているように見えた。

 その生死の中、ヴェイシャズがようやく反応し椅子を倒しながら下がった。翳した手に光る指輪が宙に魔方陣を描きだす。さらにはミラタリオから伸びた血液が刃となって風月をつけ狙う。


 退いたヴェイシャズへと追いすがるように踏みむ風月。死すら恐れていないような狂気、あるいはアルトが何とかするという信頼。それがあるからこその行動だと感じ取ったアルト。

 事実、魔術も血液も目の前の刃すら、すべてをアルトは斬って落とすつもりだったのだが――、「きゃっ」小さな悲鳴と共に状況は一変した。

 一切の躊躇いもなく、そして凶悪な笑顔のまま、事態についていけず茫然としていたミクハの腕を引っ張り盾にした。


 ミクハはこの場でなくてはならないのだ。跡目争いをするにせよ、人質にするにせよ、死ねば全員の立場と状況が悪くなる。全員にとって死なれたら困る存在なのだから。それは風月にとっても同じこと。

 にもかかわらず、というよりも()()()()()盾としての価値がある。


 ヴェイシャズは魔方陣にさらに陣を重ね掛けして魔術を相殺し、誤って発動したときのためにミラタリオの血液がヴェイシャズの正面へと集まる。

 すでに、アルトは魔方陣が魔術の発動の条件を満たしていないことに気づいていた。


 ここが勝敗の最後の分水嶺。


 細剣が円を描き、ミラタリオの剣を弾きあげると共に血液を切断する。ミラタリオの力の供給を失った血液が刃からただの雫となり重力に従い始める。それが地面に落ちるよりも早く、風月の拳は雫を砕きながらヴェイシャズの鼻っ柱へと叩き込まれた。

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