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永いひとりの旅  作者: 糸月名
第1章 『窓』
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不安な気持ち

「なあ、あれ何してんだ?」

「さあ?」


 静寂を切り裂き、城館を打ち崩すような破壊の嵐ともいうべき戦いが収まった。その戦いを行った宿敵同士が、どういう訳か、木製の机を囲み話し合っていた。

 風月と夜になって成長したティアは瓦礫と化した城館の影から頭だけを出して覗く。


「なんであそこにミクハがいるんだ?」

「こんな暗くて距離あるのに目がいいな、君は」

「おかげさまでな……」


 不機嫌そうに口をとがらせる風月。吸血鬼の力で傷は癒え、闇が見通せるようになった。その代償の所為かただでさえ感じていた空腹に加えて、喉の渇きが顕著になった。


「その渇きは時間が経つにつれて増していく。最終的には血の事しか考えられなくなるくらいには。僕が無理にでも血が呑みたくなった気持ちがわかるかい?」

「……分かるけどさぁ」


 不服ではあったが、今も喉の奥が張り付く渇きを知った今となっては、反論の言葉もない。


「ま、想像くらいつくよ。あそこではこの件の落としどころを話し合っているんだろうけどね」

「落としどころ、ね。下手人の首を斬って終わりだと思ってたけど、そんなシンプルには行かないんだな」

「それでも解決できるけど、何事も政治だ。手を抜けば後で後ろ指差されたり、足引っ張られたりする理由を作ることになる。今苦労しておけばそういう部分で楽ができるからね。今回だって、ミクハの要請を受けたり、暗殺ではなく処刑を進めたり、そういうふうに手順を踏んでいる。この会議だって、通りさえすれば四大貴族の均衡は崩れ去る」

「ティアも俺も抜きでそんなことができるのか?」

「ふつうは無理だね。でも、向こうはできると思ってるんじゃないかな。僕はたぶん死んだことになっているし、君に至ってはあっちの二人と会ってないんだから、存在そのものを疑われてるんじゃないかな」

「……えっ。いや、そんな悲しい扱いされていたとしても、アルトは森神が来てないから気づいてるだろ?」

「たぶん、話が成立しないことをいいことに泳がせているんだと思う。そういう意味で、ミクハがあそこに戻ったのはいい契機だったんじゃないのかな」


 アルトとは短い付き合いの風月だが、この場をかき回すことをどこかで望まれているような気さえしてくる。


「その森神なんだけどさ、なんで呼ばないんだい? 宿でもそう思ったんだ。誤魔化さないで答えてくれるかな?」


 きゅっ、と。両肩をつかまれる。


「そんな風に捕まえておかなくったって別に逃げやしないよ」

「そうかい? 僕の中で君はとにかく回る舌で変なこと言ってその場を斬り抜ける奴なんだけど。騎士の件とかまさにそれだったじゃないか」

「それは必死だったからで――」

「必死ならなんだってするじゃないか。でも、今はそれをしなかった。死にかけても、呼ばなかった。何なんだ、君は一体、何を隠しているんだ?」


 詰まったような息を一つ。それから軽く両手を上げて観念したように肩をすくめる風月。


「来なかったんだ。何かがあったのかとおも思ったけど、結局理由は分からなくて」

「あんまり舐めた真似をしないでもらえるかな。僕は君の感情を知っている。呼びたくないと思ったその意図を聞いているんっだ!」

「あでででででっ、わかったから噛みつくなよ」


 強くなった語気と共に耳に歯型をつけらてついに観念する風月。


「家族に合わせる、その約束は森神もアルトも関係なかったはずだ。ティアとミクハを引き合わせるまで、それまでは森神の力を借りたくなかったんだ。本当に、それだけなんだ。それだけなんだけど……」


 耳に牙を立てたまま、黙って聞き届けた吸血鬼のティアに、いつがっつりと噛みつかれて出血するか気が気ではない風月は恐る恐る様子をうかがう。


「いつまでかじられてればいいの? さっきから涎垂れてきてるんだけど?」

「ああ、ごめんごめん」


 耳から凶器が離れ、一先ずほっと息を吐く風月。


「私たちの為とか言ったら耳を噛みちぎろうと思ってたのに、なんか予想と違う方向から答えが来たから混乱してた」

「なんか恐ろしいこと言ってる」


 思わず耳を押さえる風月。近所の桜耳の野良猫を思い出して血の気が引いていく。


「つまり君は自己満足のために命を懸けたのかい? 馬鹿か? 本当に馬鹿なのかい!?」

「馬鹿バカ言うんじゃねえ。中途半端なことしたくなかったんだよ」

「君は一人で何もかもやろうとするきらいがあるな。馬車の時も、魔の山でもっ、刺されたときもだ! 馬鹿と言われたくなかったらその性根を何とかしろ!」


 そういわれて苦い顔をする風月。


「どうしろってんだ……」


 心の底からの声が漏れる。今まで、何とかなってしまっていたから、誰かに頼ることができなかった。あるいは、現実に対して一歩引いて抗うことをしなかったから。


「僕を頼ってほしい」


 だから、その言葉が意外だった。

 全く知らない抗う術。


「もしも、これが良くない結果に終わって、僕が君についていくことになっても、ずっと一人で生きていくつもりかい?」

「……」


 その言葉がどうしようもないほど風月の心に刺さった。

 この世界に来る前に氷川カナに言われた言葉はこういう意味だったのだと思った。誰にも頼らないから、助けを求めないから、周りはどうすることもできない。そうやって孤立していく事を指していたのだと気づいた。


「今頼れとは言わないけどさ、ここからどうするか予定くらいあるんだろ?」

「いや、いきたりばったりだけど?」

「やっぱり噛みちぎってやろうか!」


 スッと耳を隠す風月。


「ミクハを助け出した後はアルトを盾に合流を果たす予定だったんだよ。少なくともミクハは逃げてて何とかなってると思ってた。行くなって言ったはずなんだけどなぁ」

「あの娘はそんなに聞き分けの悪い天邪鬼だった覚えはないんだけど。それで?」


 これからどうするつもりだい?

 口に出されずともわかる疑問と、突き刺さる視線に耐えるように肩をすくめる。


「俺のやりたいことでいいのか? 被害者のティアじゃなくて?」

「そうするしかないんだよ。ミクハが行ったことで状況は膠着した。どうにかできるのは森神の協力が得られる君しかいないんだ。たぶん向こうもそれを望んでいる」

「じゃあ、とりあえず殴るか……」

「意外と暴力で解決する事に躊躇いがないよね、君。あれでもトップクラスの権力者なんだけどさ……」

「神域の騎士を殴ってんだ。いまさら権力なんか怖くねえよ」


(断頭台に近づいていってることを理解していないのかな。まあ、気づいてないのは幸せなのかもしれない……)


 いつか本当に断頭台に乗らないことを祈りつつ、風月の袖を引くティア。


「ちょっとは僕たちのことも考えろよ馬鹿」

「……」


 いじけ混じりに小さく吐き出された言葉は、この戦いの後を指しているのだと風月は勝手に解釈した。ミクハとの対話の後、決別したときに付いてくるという話。

 それに対して返す言葉が見つけられなかった風月は聞こえないふりをした。


「推定アルトと同戦力のミラタリオっていうのがいるらしい。アイツ『ら』に拳を叩き込むためには足が足りねえよな」

「ら?」

「走って近づいて拳振り抜かせてくれるほど甘い相手じゃないだろ?」

「そっちじゃない。アイツらって誰のことだこらァ! ヴェイシャズ以外に誰がいるんだおお!?」

「いででででっ、噛むな噛むな」


 牙を突き立てられてはいないが、痣ができるくらいに強く首筋に噛みつかれる。そうしてジタバタしている内に、急に重圧がかかり風月は地面へと伏した。


「お、重い……」


 失言だったと気づき来る痛みへと覚悟をするが、いつまでたっても痛みが来ない。がっつり血を吸われることまで想定していたが、少し拍子抜けだった。


「ぼ、僕も重い……」

「え?」


 ミラタリオやアルトが回ってきたわけでもない。建物の陰に隠れているが、その向こうに間違いなく奴らは存在している。

 ティアの下から這い出て後ろを確認すると、狼がそこにいた。


「ヴォウ」


 灰色の毛が月明りの下で銀色に輝く。その毛はごわごわしており、清潔とは言えないが、どこか凛々しさがあった。琥珀色の瞳がじっと、何かを言いたげに風月を見つめている。

 視線がぶつかり合って数秒後、ペッ、そんな吐き捨てるような動作で口から布を風月へと差し出してきた。


「お前、森神のところの魔獣か?」


 ティアの背中にかけていた前足を地面につけると、鼻先で布を風月の方へと押しやってくる。


「背中が痛い、絶対痣になってるよこれ」

「ちょっと虚弱すぎるよなお前」

「線の細い女の子に向けてなんだその微妙な言葉は」


 背中の上で身体を押し付けられてもいまいちドキドキしない風月。姿が見えないというのもあるが、肩甲骨にゴリゴリと当たる感触が異性を感じさせなかったことが大きいかもしれない。

 背筋力でティアを押しのけてハンカチサイズに切り分けられた布を拾い上げる。端々に無理やり千切ったときにできたであろうほつれた糸の端があり、そこから魔獣の唾液が滴っていた。


「暗くてよく見えないけど、なんか書いてある? 読んでくれ」

「夜目が効かない? さっきまで見えてたのに、血が足りなかったか」

「効いたところで読めないんだよ」

「そういえば文字が読めなかったね」


 しぶしぶ布を地面に広げ、目を凝らすティア。

 風月には布に書いてあるものが何なのかわからなかったが、それが文字であり、森神が書いたものだというアタリはつけていた。

 しかし、ティアは首をかしげる。


「字、きたな」


 汗を拭く程度にしか使えないサイズの布に森神の巨体が文字を書いていると思うと、字が汚いのは仕方がないのかもしれない。とはいえ、ティアの後頭部の上から布を覗き込んでも、文字として汚いかどうかというのが判断できなかった。


「風月君。森神ガチギレしてるけど」

「俺なんかしたっけ?」

「優柔不断なのやめろってさ。次やったら手の傷拡張するぞって」


 反射的に手の傷を隠す風月。


「日の出には強制的に介入するって」

「……」

「そんな深刻な顔することないさ。どちらにしろ解決するし、時間はある」


 その情報を聞き届け尻を地面につけて腰を据える。それからゆっくりとした息を一つ。隠し続けていた心臓の高鳴りをそれで鎮めようとするが、耳の横で鳴っているような脈動する音は消えない。

 兵士に金を握らせて牢屋の中にもぐりこみ、そこから逃げ出して、見つかれば生きて帰れる保証もない。そうした慣れない状況と緊張感の中で、終わりが見えたのだ。心臓が動くだけで体に疲労が溜まっていく気がした。


「やめておくかい?」

「やるよ、やる。自分で決めたんだから。このフラストレーションも全部あいつに叩きつけてやる」

「なら、あそこに近づく手段を――ぉ。お?」


 その時だった。向かい合うティアと風月の間に魔獣が入り込む。見上げた時とは違い、座った状態だと大型犬よりもゴツイ巨躯に言い知れない怖さを覚える。ティアの姿が完全に見えなくなるそのサイズは、魔の山で鼻に噛みついた奴らよりも二回り以上も大きい。毛並みを下から押し上げるように隆起した筋肉は、風月程度片足で潰せてしまいそうだった。

 ティアの背に手を掛けたときはだいぶ手加減してくれていたのかもしれない。

 ふと、魔獣の顔が風月の方を見てることに気づく。


「お前、走れるか?」


 無意識のうちにそんな言葉が漏れていた。魔獣は人語を理解するという話をクルスから聞いている。声を掛けた理由が後から浮かんできて、自分の中で問いかけを口にした意味を探し始めた。

 魔獣は風月のお願いにも似た問いかけに答えるでもなく、黒い鼻を風月の右手へと近づけた。合わせて右手の傷跡を差し出すと、スンスンと鼻を鳴らす。すぐに湿った鼻が手の甲にあたって、呼吸で熱が奪われるのを感じる。


「おい、森神の力は借りないのに魔獣の力を借りるのはどういう了見なのかな?」


 魔獣の背に手を掛けて視線を通してジト目で睨むティア。

 納得がいかない、そう顔に書いてあった。


「いや、それは……」


 森神の手を借りたくないだけだから。

 ティアとの約束に森神が関係ないから。

 対等に見てくれたという嬉しさから、自分の約束のために森神の力を借りたくないと思う、意地を張りたいという気持ち。そして、最初の約束を自分の力で果たしたいという気持ち。どちらが本音でどちらが建前なのか分からなかった。だから、どちらを声に乗せればいいのかもわからない。

 また、黙る以外の選択を見出せなかった風月を下唇を噛む。

 次の瞬間。何の前触れもなく魔獣が風月に噛みついた。正確にはボロボロになったワイシャツと学ランに牙を突き立た。


「なん」


 ――グン。

 首の力だけで風月の身体が浮いて一回転しながら魔獣と背中早生になるように背骨を打ち付ける。

 驚きと衝撃で咳込む風月に対し、魔獣はどこ吹く風と言った感じでバランスを取ったまま首を後ろ足で掻いていた。


「乗せてくれるってさ」

「ありがとな」


 お礼を言いつつ頭を撫でてから、魔獣に跨ろうと体を動かそうとした瞬間、ティアが両手で風月の顔を捕まえる。


「あ、の、ティアさん?」


 仰向けの体制だからこそ、視線の高さが一致したティアの赤い瞳が風月を射抜く。


「死なないでくれ。お願いだから……」


 風月にはその言葉が意外だった。

 また噛みつかれるのかと思っていたのに、今までの態度は心配の裏返しであることを理解して目を見開く。対照的にティアは目を瞑って額を合わせる。


「これが失敗しても恨んだりしない。責めもしない。ただ、死なないでくれ」


 ずっと不安だったんだ、と。

 閉じた瞼の端に浮かんだ雫が、不安を抱えていたのが自分だけではないと教えてくれた。何度も気づいたはずなのに、頭から抜け落ちてしまった。

 だから、次は忘れないように、風月は精いっぱいに笑った。自分の不安も、恐れも、全部押し殺すように。そして、安心させるように。足りないところは多くとも、きっと何かできるはずだと、自分に言い聞かせて。

 ティアの頭に手を乗せて慰めるように、髪を梳きながら。


「おう、任せておけ!」

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