その罪過は重く
手を引かれて塔から降り、そのまま崖上から連なる森へ行こうとしたところで、足が止まる。
森の側。そこは怪我人が運ばれ、並べられる。簡易のテントでは松明やカンテラの光で何人かが話し合っていた。
ある意味の最前線。
此処も戦場だった。
それも私が作り出した戦場。否応なく巻き込まれた兵士たちは傷だらけで、見知った顔もある。未だ聞こえる戦いの喧騒に怯えながらも、情報を集めて何をするべきか話し合っているのだ。
私がやらかしたことの結果が目の前の光景だと知って足が止まった。
手を引かれてきた私に視線が集まる。侮蔑と悔恨と、ほかにもいろんな感情が混じった視線だった。
このまま逃げてはだめな気がした。この地の兵士たちは先代以前から領主に仕えている者たちが多い。それでも数はかなり減った。
私がそうしてしまったから、掛ける言葉も見つけられなかった。そんな私の前に初老の男が歩み寄ってくる。昔から遊んでくれた、良く見知った顔だった。ヴェイシャズが事を起こしてから会うこともなかった。その間に老けたようにも見えた。
「よく、生きてお戻りくださいましたミクハ様」
「アラン団長……」
「今はただの兵士長です」
私設の騎士団は解体、実質的な兵士の指揮権はミラタリオに委譲されていたのを思い出す。
「ねえ、その。私は、どうすればいいの?」
「不安なのはわかります。ですが、今はお逃げください」
「逃げる?」
「まだ戦いは続いており明日。この場ですら安全とは言えません」
「でもっ」
何かを言い返そうとした私の手をがっしりと掴む。それから 昔のように膝をついて視線を合わせてくる。
「あの戦場でできることなど何もありません。あそこは人の戦う場所ではない。ですが、ミクハ様さえ生きておられるのなら、まだ領地は立て直せます」
「そんなこと……」
「できます」
再び私の反論を封じる兵士長。
「初代ドラクルは、三〇〇年もの間領地に組み込むことすらできない、争い続けるこの地を一代で治め、その功績で四大貴族となったのです。先代は失敗した征伐の影響下でさえ、最大の栄華と呼ばれる騎士の時代を支えました。ミクハ様にもできるはずです」
素直に期待が重い。私にそんな才覚も無ければ、そんなふうに優しくしてもらう資格もない。
しでかしたことが大きすぎて、手に負えなくて、立ちすくんだ。それでも何かしたかった。それが、償いたいという思いに変わって、でも、その償い方もわからない。
現実を直視しようとすると、縫い留められたように足が動かなくなる。
泣いて逃げ出したい。でも、なぜかそれができない。今に絡めとられて、何がしたいのかもわからない。ただ、時間が経って事態が好転することを待つことしかできない。
――たすけて。
乾いた喉の奥が焼けつくように苦しくて、吐き出す息に声が乗らない。
その時、背後から足音が響いた。あまりにも唐突に耳に届いて、意志とは関係なく身体が跳ねる。
怪我をしたのか、肩を貸された兵士がいた。それでも、もう助からないであろう血液が鎧の隙間から零れ落ち、篝火で照らされる距離に来て初めて、右足が完全につぶれていることにも気づく。鎧も明らかに大きさがおかしい。一回りほど薄くなり、瓦礫につぶされたことが想像に難くない。
戦場の無慈悲さともいうべき瞬間を目撃して、私はホッと息を吐いた。
あの娘じゃなかった、と。そんな無意識の感情を数秒遅れて自覚し、心臓が握られたように痛みが走る。
――最低だ、私。
この期に及んで、一番恐れているのはティアと出会うことだった。自覚したら、出会わないための方法を考えて始めている。
「アラン。あの戦いが止まれば、これ以上誰も傷つかないかな」
「……ミクハ様。それはいけません」
選択肢は二つあった。
逃げるか、逃げないか。
逃げなかったとしても、ヴェイシャズのところへ戻る選択肢はない。そう思っていた。その考えも風月という少年を刺した時に、残された言葉によるところが大きい。
けれども、と私はその考えに待ったをかけた。
ティアと出会う前にこの戦いが終われば、私は表舞台から隠される。そうなれば、私をティアと合わせるような手抜かりをヴェイシャズがするはずがない。
この戦いを止められるのなら、これ以上誰も傷つかないのなら、あの娘に合わずに済むのなら。何よりも、私が罰されるのなら、それが一番正しいことのように思えた。
「アラン、私は戻る。きっと、私はここに居たらいけないから」
「その行動でいったい誰が救われるのですか?」
兵士長の厳しい目を見れば、止めるつもりだとわかった。昔から優しくて厳しい人だった。長く仕えてきてくれたからこその信頼もある。でも、今回だけはその優しさに甘えてはいられない。
「たぶん、誰も。でも戻った先で頑張ったら、傷つく誰かを減らせるかもしれない」
「ミクハ様はそれでいいのですか?」
「私がしでかしたことだから。その結果は享受すべきだと思ったの。それがどのような結末になっても、覚悟はする」
「行かせません」
「そんな権限もないのに?」
「権限の問題ではありません。私、アラン・メイラードめはミクハ様の祖父ファウスト様の代から、家系としては三代目のクリス様から代々仕えております。その仕事に恥じ入るようなことはできないと申し上げているのです」
私は恥のあまり消えてしまいたいとさえ思っているのに。
そんな心の声を押し殺す。
「止めないでよ」
「この任がある限り、首を斬られようともお止めいたします」
「なら、任を解きます。何処へでも好きなところに行けばいい。全員に通達を」
そう吐き捨てると、アランの顔が曇った。
気軽にやって良いことじゃないっていうのは分かる。けれども、傷つく誰かを見たくなかった。これで、家への義理もなくなって、逃げたい人は逃げられる。
「これで、止める理由もないでしょ? あとは私がうまくやるから……」
逃げるように背を向けて戦場へと戻る。
「今、それができる覚悟があって、どうして今までできなかったのですか?」
「私が、最低な卑怯者だから」
それ以上言葉を交わしたくなかった。速足でヴェイシャズの下へと向かう。
同時に、手に残る人を刺した感触が強くなったように感じた。
戦場へと近づくほど強くなって、それから、風月凪沙と名乗った私と年がさほど変わらない少年の顔が脳裏に浮かんだ。あの娘の為と言いつつも、あの塔まで私を迎えに来てくれた人。
気づけば熱いものがこみあげてきて、こらえきれずにボロボロ零れだす。
「うっ、……く」
あの野戦病院のよな場所で立ち尽くしていたときとは本質的に違う恐怖に、足に力が入らなくなり、立っていられなくなる。
泣く資格なんか私にはない、分かっているのに涙が止まらない。声を必死に押し殺すと、遠くから怪物たちの喧騒が聞こえてくる。
誰の姿も見えなくなって、私の何かが切れてしまった。
覚悟する、そう口にして歩き出したはずなのに、身体が震える。人生を狂わされた人がいて、怪我をした人がいて、死んだ人がいる、罪と向き合おうとすると動けなくなってしまった。
「怖い、怖いよ……」
嗚咽と共に漏れる私の本心は誰に届くこともなく、闇に消えていった。




