密約
彗星のように尾を引く蒼紅の閃光。それらを覆い隠していた館は先頭の余波で半壊した城館を音よりも早く駆け巡り破壊をまき散らす。轟音が夜空を駆け抜け、静寂を雷鳴のように切り裂いていく。
神域の騎士の戦いは初手で決まる。
それは長い歴の中で積み重ねられてきた事実だ。それを知識で得たアルトと、体験したミラタリオは奇しくも同じ印象を抱く。
――怪物、と。
ミラタリオは言わずもがな。だが、アルトが感じたのは恐怖心のなさ。文字通りの不死だとしても、死を恐れていない。血液に不死の秘密があるのは間違いないのだ。
この世界において不死身も不老も珍しいが、存在しないわけではない。世界の各地に存在する『それら』との戦いこそが神域の騎士の役目でもあるのだ。
だからこそアルトには目の前の人間が異常に映る。
不老だろうが不死だろうが、此処まで無機質ではなかった。毎日の食事を楽しみにし、痛みを恐れ、死を忌避する。だからこそ人間を止めてそうなったのだから。
だが、齢一〇〇に迫りつつある肉体はどういう訳か、若返り寿命を克服しているようにも見える。
血液で作られたアルトの見たことのない意匠の鎧。背後にそびえる死を象ったかのような悍ましき異形の姿。泥のように姿かたちを変えるために、その輪郭をぼやけさせていた。それらの隙間を縫って首を狙っても守りすらしない。どころか自ら死へと向かうかのように踏み出してすら来る。
そうしたアルトの見識は、ミラタリオの見識にそのまま返される。
そこまでして戦っても一太刀も与えられない。
都合六度、ミラタリオは致命となる一撃を食らい、その都度若返っている。髪も生えず、髭も白く老いを見せたままだが、額にあったシミが消え、黄ばんでいた目も白くなり、老いに隠れていた顔の『傷』が浮き上がっていた。
ここまでくれば、かつて森神と殺し合った時と遜色はなく、それでもなお、制限を掛けられたアルトに届かない。
「忌々しいほどに、強いな」
互いの呼吸の合間、打ち合った武器同士の中でわずかに生まれた間隙。お互いに距離があったからともいうべきか、ミラタリオの口から洩れた言葉で、緊張の糸が緩んだ。
「……神域の騎士が弱いとでも?」
「そうではない。確かに古い時代の騎士の鏡、だと。御伽噺の騎士そのままだ。魔術や呪術などを駆使し人を助け、いざ命懸けで戦うとなれば武器しか使わない。同じ魔術系と聞いていたが、家系を活かした搦め手もなし。今の時代にはお目に掛かれん騎士様だな」
皮肉たっぷりの言葉に、不愉快そうに眉を顰めるアルト。
「貴様に合わせただけだ。生半可なものは通用もしなかっただろうからな」
「合わせる、か。コレが魔術ではないと見抜くか」
「見なくともわかる」
血で作られた赤い鎧。そして武器に纏わせた血液。それが魔術ではないことすら看破した。ミラタリオとしてはそれは『魔術』と認識されてなくては困る事情があるのだ。
「厄介極まりない」
その時、アルトの背後で動く人影を認識し、太った姿でヴェイシャズだと直感した。戦いの余波に巻き込まれないように戦ったが、ミラタリオにはそこまでが限界で、ティアを連れて逃げた三人組までの道を切り拓けなかったが、この状況は好転した。
ヴェイシャズが手を翳せば、指のシルエットすら返るほどに纏った宝飾の数々が煌めき、青い軌跡でもって魔方陣を描きあげ、ヴェイシャズの周囲へと展開される。
ミラタリオがヴェイシャズと組んでから一〇年。その中で幾度も見たことがある魔術だ。歴戦のミラタリオは一方的に行動を合わせる。動きを抑え込むべく、特攻を慣行する。
同時にアルトの背後にいたヴェイシャズの頭上、何もない虚空に巨大でそれでいて鋭利な氷塊が生み出された。
風を引き裂いて飛来する氷槍は明らかにアルト諸共ミラタリオを串刺しにする軌道を描くが、目撃しているミラタリオすらそれを受け入れた。
ほぼ同時に迫る挟撃にアルトの選択は受けではなく、後退だった。
これまで全ての攻撃を受けないまでも、刃で鎬、流し、弾き、躱し、その卓越した技術で直撃を避けてきた。その中にただの一度も後退はなかった。避けたときですら必要最低限の動きだけで身を捻って直撃を躱していた。
それまでとは異なる行動。
(見切られたか?)
音もなく、死角から飛来する氷槍に気づいたのかと一瞬だけ察したミラタリオ。しかし、熟慮するだけの時間はなかった。
後退と同じくらい違和感のある動き。刃が隠れるほど大きく振りかぶった事前動作だった。アルトの細剣でやる動きではない。
反射的に体内の血液を操り、鎧すら総動員させて防御の体制へと移行する。
防御とアルトの一撃が叩き込まれたのはほぼ同時だった。背後から迫る氷塊を粉砕しながら緑の弧を描く一撃は防御の上からミラタリオを叩き潰し、その膂力は大地を広範囲に渡り砕き、押し出されるようにヴェイシャズの目の前まで浮き上がった。
「これも、耐えるか」
その言葉を掛けられたミラタリオは地面っと鋭角に弾きだされ、大地を削りながらバウンドし、塔へと激突した。地盤に入った亀裂が塔の重さに耐えられなくなり沈み始めた。
轟音を立てながら大量の瓦礫と粉塵で視界を遮り、その数トン以上の重さで封じ込められた。
「魔術……?」
それはヴェイシャズの口から洩れた。一瞬ではあったが、緑の弧を描いた残光を見間違えはしなかった。斬撃の軌道と共に乗せられた光は緻密な魔方陣を描き、衝撃と共に離散していった。
魔術系の出身と知らなかったわけではない。一般常識として、その系統から外れた場合は落伍者としてみられるか、適性が低すぎて別の場所へと逃れるしかない場合がほとんどだったのだ。例外として、神域の騎士になるような者たちは、その才覚ゆえに引き抜かれることもある。ミラタリオも魔術系貴族であり、剣気を扱えたがゆえに騎士として元の家系から独立する形で引き抜かれている。
たった一つの魔法陣に衝撃の増幅と、膂力の強化を載せ。それも、魔術の技術だけで神域の騎士へと踏み込めるほどのことをやってのけたのだ。
これほど秀でた才能があるのならば、通常なら魔術系という派閥が手放したりはしない。
「騎士の鏡、その評価は撤回してもらおう」
「肯定した覚えはない」
瓦礫の中から幽鬼のように立ち上がるミラタリオ。だが、それは異常さを増していた。纏った鎧の大きさが変わっていた。それ以上に歪なのは、背後に聳えていた血液で作り出された異形。三度目あたりで顕現し、絶えず輪郭を動かしていたものが、明確な形を持つ。カタチは三倍ほどの大きさもある人間だが、皮がところどころ存在しない。左目と思しき場所に眼球はなく、月明りですら照らしきれないほどの眼窩が闇を覗かせ、右目は瞼がなく、生々しい眼球の動きを如実に伝えてくる。それがすべて血液で造られており、不気味さを余計に増していた。
「届いていたのか。なら七つ目。あと一つか」
「今の隙にヴェイシャズの首級をとればいいものを。それとも今の一撃から何かが変わったのか」
酒にやけていたような声に張りと潤いが戻り、完全に若返っていた。
「館の窓。そこから三人が見えた」
それはミラタリオも戦いの中で視認していた。
「一人足りなかったように見えたがの」
「確かにティア嬢は居なかった。なら、あの男の側にいる。もう守りながら戦わなくてもいい」
「守り、ながら? まさか――」
塔を崩すまでの戦いの動線を記憶の中で辿るミラタリオ。確かに戦いの場は一定の場所を避けるように移ろっていた。
ミラタリオも最初こそティアを追うフリをしていたが、館は別館や塔まで合わせると非常に広く、そのルートが分からなくなってからはそのフリすらやめて気にせず戦っていた。ゆえに避けている場所があると気づけなかったのだ。
「先も魔術に感づいていたな。居場所を知れたのはそういうことか」
簡易な魔術で足元を照らしていた音を思い出す。ミラタリオはその光で三人を目撃していたが、アルトはその魔術を感じ取っていたのだ。
「もう取り繕わない。だから聞かせろ。一つ足りないが、私の刃は森神には届きうるか?」
「……なに?」
アルトの言葉を思わず聞き返すミラタリオ。
「手を抜かれた。本気で殺し合った貴様に聞きたい、この枷がなければ届くのか否か」
「手を抜かれたのは同じか」
自嘲気味な笑いを零すその表情は悔しさに染まっていた。
「変わらぬさ、結果など。あの怪物は、魔の山に一〇〇〇年もの間君臨し続けておる。何人も挑戦し、散っていった。儂の時も複数人で挑んで手を抜かれ二人死ぬ相手だった。もはや論ずるまでもない」
「なら、貴様との二人でなら?」
「――」
今度こそ、ミラタリオの脳みそがフリーズした。
その発言はヴェイシャズとアルトの対立構造をそのままに、状況を一変させた。
「契約によって森神を縛ったのは私ではない。神域の騎士として目指すべき最良は東の地の混乱を取り除き、森神を消すこと。ヴェイシャズの身柄さえ抑えられるのなら、一〇年前の続きに介入する準備がある」
アルトの本心だった。森を打ち倒せてしまうのなら、それが最も『この国の為』となる。そのための手段をすでに風月に看破されていたが、ミラタリオの協力が得られるのなら、届きうる可能性があった。
「あれは『クライシス』と同じだ。それも一桁に並びうる」
「だが、生きている。王より賜ったのはそういう奴らを屠るための武器だ」
ミラタリオの記憶の中にその答えがあった。
「西の龍か」
「女王より預かっている。一〇年前に傭兵の一人が征伐に持ち込んだものだ」
「カカカ、忌々しいことに縁を感じずにはいられんのぅ」
どういう訳か、その瞬間だけは若返った見た目とは裏腹に年相応に枯れ木のような表情をして笑っていた。
かつての戦友達の遺品。
その殆どは戻らず、今も魔の山に置き去りになっている。
その中でもアルトが持っていると言ったのは魔術により王の宝物庫へと戻せるように術式が組み込んである秘宝。ゆえに戻ってきた数少ない遺品だった。
一〇年前の森神征伐の切り札。瘴気によりまともな生物がすめなくなった環境に身を置く龍の一部から作り出されたナイフだ。
目を瞑り、その形を思い出すミラタリオ。それを扱っていた男に記憶を馳せた。
「恨むなとは言わぬ。赦せとも言わぬ。ただ、すまない」
それが自分に向けられた言葉ではないとアルトにも理解できた。
「あんな奴でも、裏切れん理由があるのだ。何より、かつての戦いでそれがどこにあったのかすらわからん。過去に視ているのなら森神も警戒しているはずだからのう。部の悪い賭けに乗ることは一〇年前の続きとは言わん」
「そうか」
アルトが持ってきた武器は風月に見抜かれた毒のナイフだった。すでに投げることで森神の反応を伺うことはしたのだ。先の戦いで目にすることはなかったことまで見抜きいた。だが、それ以上口を開かない。
「じゃが、もう終いが近い」
「終い?」
ミラタリオが顎でヴェイシャズの方を指す。肩越しに覗くとヴェイシャズの傍らにティアをそのまま成長させたような女性が立っていた。
「あれがミクハ・ドラクル」
「そう邪険にするな。アレで戦い方を模索しておる」
「付け入る隙を晒し、挙句この様だ。貴族として最低限の教育が足りなかったようだな」
ミラタリオは肩をすくめる。事実であり、それ以上拘泥しなかった。
「来い。これからの処遇について話をはじめるかのう」
「役者はまだそろってないぞ」
「どうやってその剣を騙したのかは知らんが、居もしない者を待つつもりはない」
アルトはその言葉を聞き、細剣を収める。現に、ミクハとティアを合わせるという目的を除けば勝利は確定しているのだ。
「風月に煮え湯を飲まされるな、これは」




